レポート

フランスへ行ってきました 2015

公開日 : 2015年12月07日
最終更新 :

フランスへ行ってきました
9月中旬から末まで、行程は以下のようにしました。
日本出発

パリCDG空港乗り継ぎ、ニース空港へ

ニース(カップ・マルタンのル・コルビュジエの休暇小屋見学、ガラス工芸の町・ビオット観光)

サン・ラファエル(サントロペなど観光)

アビニョン(レ・ボーなど観光)

リヨン(ペルージュ観光)

ディジョン(ボーヌ観光)

チューリッヒ(スイス)(シャガールのステンドグラスのある聖母聖堂、ル・コルビュジエハウスなど観光)

コルマール(エギスアイム、リボービレの村、ブフ・ブリザックのヴォーバンの要塞など観光)

メッス(ルクセンブルク観光、サルブールSarrebourgのシャガールのステンドグラスのあるチャペル観光)

トゥールTours(修復工事中のアゼー・ル・リドー城観光)

ラ・ロシェル(レ島Ile de Re のサン・マルタンのヴォーバンの要塞観光)

ボルドー(市内観光)

トゥールーズ(市内観光)

トゥールーズ空港からパリCDG空港乗り継ぎ帰国
(今回は、パリには入っていない。一人旅。)

以下に見聞したことなどをレスの形で続けます。
(必ずしも行程の順とは一致しない。)


ps
今回フランスを旅するにあたり、パリ市内やベルギーから来るタリスの乗車は避けることにした。(とは言っても、正直なところ、11月のような大きなテロ事件がある可能性などは考えていなかった。)
行程の都合で、メッスからトゥールに移動する計画になったが、パリを経由せずに行くTGVがあったので利用した。

11月のテロは1月の時とは違って対象をフランス人一般に拡大したようで、場所も無差別になっているし、国民を恐怖におとしいれることを目的にしているとのこと、一般旅行者が流れ弾に当たる可能性もあるかもしれない。

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16件のコメント

  • 16/01/18 17:11

    13)フランス人の仕草(思い出したので追加)

    a)涙が出ています
    在来線の切符を窓口で購入してホーム入り口で刻印したが、インキが薄くて、かすかにしか刻印の跡が見えない状態になった。切符を斜めからよく見れば見えるから、再度反対の端を刻印することはしなかった。
    列車に乗っていると車掌が検札に回ってきた。
    切符を見せると、「切符に刻印しないといけないのは知っていますか?」と尋ねたので、おや、来なすったね、と思いながらおもむろに指で刻印箇所を示すと、切符を斜めに見ながら「Ah(あ~)、Je vois.」といって切符にパンチを入れた。(vois は見る、わかるの意味で、ここでは現在形なので、了解、の意だろう。)
    立ち去り際に、人差し指で、自分の目のすぐ下から頬の中央に向かって、点々と3点上から下に指で軽く突いて、それは涙が頬を伝わって落ちている様子を表しているらしい。
    自分の不手際(刻印してあるのに、刻印してないと乗客に言ったこと)を残念に思っています、ということの仕草らしい。その時の顔の表情もユーモアたっぷりだった。
    (フランスではこの仕草がこのような状況下で一般的なのかどうかは知らない。)

    b)こちらにいらっしゃい
    ボルドーの裏町の入り組んだところで、どちらの方向に進めばいいかわからなくなった。地図を広げて、あちらの方向やこちらの方向に回して検討していると、5mほど離れた信号のない四つ辻に郵便局の輸送車が一時停止した。配達用ではなく、都市間輸送の中型トラックである。
    運転していた26~27歳のお兄さんがこちらを見て、「道に迷ったのですか?」と聞くので、「ウイ」というと、握り拳から人差し指を何回か上の方に曲げて、こちらにいらっしゃい、という仕草をしている。(日本では、握り拳が横向きで人差し指だけを横に曲げると、泥棒行為を暗示する仕草であるが、フランスでは、握り拳の向きは上向きで、人差し指を伸ばして自分の方に曲げると、自分の方にいらっしゃい、という仕草になる。
    ただし、静かに、大げさじゃない状態でいらっしゃい、という程度の物らしい。

    相手の人数が多くて、みんなこちらにいらっしゃい、と大きくやるときは、手のひらを上に向けて腕を自分の方に振るようだ。

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  • 15/12/12 21:07

    12)南仏の松の木 (思い出したので追加)

    南仏コートダジュール地方のサン・トロペ(Saint Tropez)に点描主義の画家(新印象派とも言う)の、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックなどの画家の作品が充実している美術館があるとガイドブックにあったので、行ってみることにした。
    美術館の名前はアノンシアード(musee de l’Annonciade)美術館。

    サン・トロペまでは国鉄駅サン・ラファエルからバスで1時間程度である。サン・トロペの終点で降りるとそこはレジャーボートやヨットがどこまでも延々と係留してある港だった。9月中旬に入ったところだが、海岸付近は観光客がそぞろ歩いて、まだバカンス時期が続いている。美術館は、バス停から海岸沿いを6~7分歩いたところにあった。

    中に入ると、彫刻などもあるが、絵画では新印象派のものがかなり数多く展示されていた。
    私は、新印象派のスーラとシニャックではシニャックの方が、色使いがくっきりしていて好きだ。
    見た中では、シニャックの南仏の松の木を描いた絵がなかなか良かった。

    出がけに、あの松の木の絵はがきを買おうと思って売店の棚を見たが、どうも見つからない。念入りに探すと、よく似た絵柄の絵はがきがあるが、松の木の感じが違う。売店から展示室へは自由に行き来できるので、もう一度絵を見て確認すると、その絵はがきに違いないが、シニャックの絵は縦横の比率が正方形に近い4対5ぐらいで、絵はがきの中に収めるには左右に白い縁を作らねばならないが、縁なしにするには上下の部分をトリミングする必要がある。この絵はがきは、上部をトリミングして、こんもりした松の木の上部を切り飛ばして寸詰まりにして、椎茸の傘の開いたのか、ヒラタケみたいにして、縁なしにしたのだ。

    ちなみに、絵の掲載されているサイトを引用すると以下のサイトなどがある。
    (7枚目の写真)↓
    http://www.voilesetvoiliers.com/cultures-voiles/paul-signac-saint-tropez-lorage-1895/

    このサイトの最初の写真↓
    https://www.google.fr/search?q=paul+signac+le+pin+parasol+aux+canoubiers&biw=1093&bih=490&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjTjL3U_dXJAhWKoJQKHendABwQsAQIGw


    不満ながらも、安価で適当なものがないので、この絵はがきを記念に購入した。


    ちなみに、
    南仏の海岸付近に行くと、松の木は、球を半分に切ったような、昔の形の深いこうもり傘というか、上部がこんもりした樹形に幹を付けた格好をしている。南仏へ来た初めのころ、観光地などで見たときは、町の中では比較的小さい木が多かったので、剪定してあんな樹形にしているのかと思っていたが、何度か南仏に来るうちに、林の中に他の木々を圧するほどの大木になったあの樹形の松の木が高々と茂っているのを見て、この松の木はそのような樹形になる樹種だと理解した。
    この松の木は、海岸から数km内陸に入るともうない。内陸では普通の樹形の松が分布する。おそらく、地中海の潮風の当たる地域しか分布しない種類だろう。
    私にとっては、この松の木も、南仏を思い起こさせる風物の一つである。

    画家シニャックはこの絵で、松の木のどっしりとした様子とその下に見える海岸風景を描きかったのだろうと思う。
    私もそこに描かれた松の姿が好きだ。
    (この絵のタイトルはLe Pin parasol aux Canoubiers 「Canoubiers浜のパラソル松」、pinは松、parasolはパラソル、Canoubiersはサン・トロペの砂浜の名前。松の種類は、仏語でpin parasol というようだ。松の部分を直訳すると「パラソル松」となる。フランス人も、あの樹形はパラソルそっくりだと見ているようだ)

    絵はがきを買うときトリミングしてあるのを知って、一応納得して買ったが、なんだか、欠陥品を買って持っている時みたいな気持ちがして、椎茸のような形をした松の木のこの絵はがきは、引き出しの奥に仕舞いっぱなしで、出してみる気持ちがしない。
    (美術館さん、絵はがき作成で大家の絵を適当にトリミングするのは止めてくださいな。)

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    15/12/13 09:29

    Pinus pinea イタリア笠松

    街道沿いにあって雰囲気がある木ですが
    画像検索するとスペインに最多のようですね。
    日本では千葉市の昭和の森で見かけましたが他では見かけない。
    ところが近年クリスマスツリーの代用樹として輸入されているようです。
    幼木は同じ樹種とは思えません。

  • まだ、とびとびに拝見したところですが........

    こんにちは。


    いましがた気がついたばかりで、まだ飛び飛びにしか拝読していないのですが、......
    >ヴォーバンの要塞(1) アルザスのヌフ・ブリザック

    行かれたのですね!
    ここは、Breisach am RheinからColmarに抜ける道すがら、せっかく通過しましたのにそのときは知らなかった、残念の地です。
    バスの車窓からも、迷路のような小径にはいっていく感じや苔むした石垣から普通ではない様子がわかり、気になって帰国後ひとに伺ってここがヴォーバンの要塞址だということを知ったのでした。
    詳しいご報告を拝見、あらためて確認の嬉しさと悔しさ半々というところです。

    ラ・ロシェルは、「ダルタニャン物語」で懐かしい地名ですね。


    >ロレーヌ地方サルブール市のシャガールのステンドグラス
    写真拝見しました。
    なるほど、これは教会というよりはギャラリーですね、外観は教会ですが。
    ドイツでもこんな感じの教会(?)に出会ったことがあるような気がします、たしか戦災のあと修復されないままになっていたのではなかったでしょうか。
    ステンドグラスはまさにシャガールの色ですね。
    ~ところで、mamoruさんが英国にいらしたというのをあまり伺ったことがない気がするのですが、シャガールのステンドグラスにご興味があればご存じかもしれませんが.....
    私が昔訪れました↓
    http://www.tudeley.org/chagallwindows.htm
    そう思って読みますと、ここのページの中に、Sarrebourgに言及している部分がありますね、今まで気がつきませんでした。




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    15/12/11 00:15

    ときどきClioさん

    こんにちは

    レスありがとうございます。

    1)ヌフ・ブリザックに行くバスは、ヌフ・ブリザックの4つある入り口の一つの城門をくぐって入り、中心部の広場の停留所に止まるので、門をくぐるときの外側の地形が庭にしてはおかしな造作をしていると思われたでしょうね。(私は、行きはコルマールからフライブルグに行くバスに乗りました。)
    Breisach am Rheinは17世紀から独仏の領地争奪のポイントだったようで、ルイ14世と周辺国との戦争の終結により国境がこのあたりはライン川と決められたので、ドイツ側の地となって決着したそうです。
    フランス語では、Breisach am Rheinを、Vieux-Brisach(旧ブリザック)と言います。(元はフランス領だった、という認識なのでしょうか。)
    一方、ヌフ・ブリザック(Neuf-Brisach)は「新ブリザック」という意味です。neufという語は新しいという意味ですが、服を新調した、とか、火山で新山が出来た(昭和新山みたいなもの)のような、何もなかったところに新規なものを手に入れたり、出来たりしたものを指します。(Vieux-Brisachを失って、この地に新しく要塞を作って、内部を街にしたからですね。)
    ボージョレー・ヌーヴォーのnouveauは新しいという意味ですが、繰り返し新しくなるケースではnouveauの方を使います。


    2)シャガールのステンドグラス
    英国には2箇所シャガールのステンドグラスがあるというのはつかんでいたのですが、旅行計画がなかなかそこまで範囲拡大に年数を要しています。
    Tudeleyの紹介ありがとうございます。
    英国には渡ったことはないので、いずれ、機会を作って訪れたいと思っています。

    このほかには私の行っていない箇所では、ドイツのマインツに一箇所、フランスではToulouse近くの不便なところに2箇所あるのですが、行程が近くを通るようなものになれば訪れたいと思っています。(何年後になるかわかりませんが)

  • Re:フランスへ行ってきました 2015

    mamoruさん、こんにちは。

    知らないところの方が多い(?)のですが、興味深く読ませてもらいました。最近はmamoruさんのように「テキスト旅行記派」(私もそうですが)が少なくなってしまって、残念です。写真だけでなく、もっとテキストを!!と思うのですが・・・

    話は変わりますが、今回のフランスの地方選挙はびっくりでした。またおじさんの懐古話になるのですが、私の初ストラスブールが1980年代の後半で、当時もフランスはテロが続いていて(もっとも一度に100人も死者がでるようなテロはなかったですが)ECとスイス以外の国からは全てビザを義務付けていたため、私の貴重なフランスビザコレクションになっています。そして当時、勢いがあったのが「ふろん・なしぃおなる・・・」で、ちょうど選挙の時でFNのポスターがそこそこ張ってあって、これが例のFNか・・・と写真も撮った記憶があります。あのルペンの娘が党首ねえ。・・・

    もともとアルザスはFNが強い、とのことで、今回もアルザスを含む地域は第一党になっているみたいで、そんなものなのかあ・・・とちょっとがっかりです。さすがにイル・ド・フランスはそんなことにはなってませんが、排外的な風潮が増すのはいやですね。個人的にはユーロをフランスの銀行に預けているので「非居住者の預金=テロリストの資金源」・・・とかなって、閉鎖だのなんだの言って来ないかが一番心配ですが・・・

    ボージョレ・ヌーボーしか飲んでいませんが、確かに今年のは(宣伝でなく)おいしい・・・(フランス全体の)葡萄の出来の良さ、というのは実感できたでしょうか?また、ぼちぼち色々とフランスの話を聞かせてください。

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    15/12/10 00:48

    高島たいらさん

    こんにちは

    レスありがとうございます。

    フランスの政党「国民戦線」
    オランド大統領の政策は経済的な結果が出せず、フランス人の財布を軽くしたようで、就任1年半ぐらいの時に、知人の仏人から聞いたのは、オランドは次の選挙では勝てないだろうというのがフランス人の一般的認識だ、というので、就任からそんなに経っていないのに、意外に思ったものです。
    財布の中身に関わってくれば、フランス人でなくても、右に傾くのは、どこの国の人もそうでしょうけれど。


    ワインの方は、フランス旅行では食事の時にグラスワイン一杯たしなむ程度で、出来不出来について語るほどの舌を持っていません。
    レストランでは、15ユーロ以下の料理ならグラスワインリストの安そうなものを、25ユーロ以上の料理なら給仕人にどのワインがいいか聞いて、勧められるワインを頼んでいます。(ワインの銘柄が多いので、その時の料理に合うかどうかは、自分ではわからないです。料理のある程度値の張る店は、給仕人が、料理に合わせて勧めたいワインがあるようです。)

    フランスでワインの醸造所巡りも行ったことはありません。醸造所ではつまみやなんかも出て楽しいらしいですけど、どうも、興味がわきません。


    古い映画で、ジャン・ギャバンが出ていた「現ナマに手を出すな」の中で、ジャン・ギャバンが深夜に相棒をつれて自分のアジトに帰ってきて、次の仕事の打ち合わせをするとき、「腹が減ったな、ちょっと一杯、おまえもやれ。」と相棒に言って、戸棚からワインの瓶の少し飲んだのを出して、堅い系統のチーズ(コンテかエマンタルあたり)をナイフで切って、手で持ってかじりながらグラスでワインを飲んでいたのを見て、ふーん、あれが男所帯(独り者)の腹が空いたときのおやつ代わりか、なかなかいいかも、と思って、私もやってみました。赤ワインとフランスで買ってきたコンテあたり(エマンタルでも)は良く合い、おやつ代わりにはなかなかいいです。(何杯も飲んだらおやつをちょっと食べた感じにはなりませんが)

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  • その節は・・・

    MAMORUさん、その節は大変お世話になりました\(^_^)/
    今度は、MAMORUさんが行かれたのですね。

    でも、私共と違って豪勢ですねぇ~o(^◇^)o
    ゆっくりと拝見させて頂きます。

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    15/12/09 23:28

    めーじむらさん

    こんにちは

    レスありがとうございます。

    一人旅だと、自分の好きなところへ足が伸ばせるのがいいですね。興味ある事柄の探索とでも言うような。
    連れ合いと行く場合は、相手の希望の場所を入れていくので、自分の行きたいところは半分ぐらいで、息抜き程度の過ごし方です。

  • 15/12/07 23:06

    11)ミラベル mirabelle(果物) (その2)

    c)アルザス地方のコルマール市とロレーヌ地方のメッス市にて
    コルマールでミラベルのタルトを買って食べたが、ディジョンで食べたものの方がミラベルの味や風味は良かった。作り方によるのか、使うミラベルによるのか、その原因はわからない。

    9月20日頃メッス市に着いた。ケーキ屋で尋ねると、ミラベルの季節は終わったのでミラベルのタルトは作っていないという店がほとんどだった。(23日頃まで6~7軒は尋ねた。)たまたま1軒、ミラベルのタルトを売っていたので買って食べたが、生地に何か南方の香辛料が入っていて、食べると口の中でミラベルと香辛料が混じって、私の好みではなかった。(この地方の人には香辛料が隠し味で入っている方が好まれるのかもしれない。)

    ミラベルは終了したと言われたが、スーパーにはまだ果実は売っている。ここのスーパーで売っているミラベルを多めに買っておいた方が良いと思って、500グラムぐらい購入した。
    メッス市はロレーヌ地方の一番北の端にあり、冬が早いのだろう、ミラベルは早く実って早く終わるものと解釈した。

    買った中に混じっている実の熟したものを食べるとミラベルの風味が強い。何日か持っていて、熟するのを待った方がいいのかもしれない。買ったものの中から毎日少しずつ熟したものを選んで食べることにした。

    d)サントル地方のトゥールToursにて
    9月23日にトゥールに着いた。トゥールはロワールのお城の観光の中心地である。この土地ではミラベルは産しない。
    街を散歩しながらケーキ屋を覗いていると、とあるケーキ屋にミラベルのタルトが置いてあった。早速一切れ買ってホテルに持ち帰って食べてみる。
    あっ、おいしい。ミラベルの風味といい、味といい、これまでで一番おいしい。
    なぜここのものがおいしかったのか、理由はわからない。

    Toursで、メッスからキャリーケースに入れて持ってきたミラベルを少し食べてみる。だいぶ熟してきたようで、味も風味も出てきた。もっと日にちをおいたら、さらに熟すに違いない。

    熟したものを少し食べながら残りをキャリーケースにしまっては移動し、最後に充分熟したものを食べたのは、買ってから5日後だった。ミラベルは追熟させれば、少し柔らかくなるが、風味が強くなっておいしく食べられるようだ。

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  • 15/12/07 23:04

    10)ミラベル mirabelle(果物) (その1)

    フランス東部、ロレーヌ地方とアルザス地方に産する果物でミラベルという果物がある。今まで、フランスでミラベル入り(果肉などが入っている)のケーキや菓子類、ヨーグルトを食したことがあり、この味と風味は一度食したら虜になる感じがする。

    実が熟するのは8月中旬から9月下旬だそうで、8月最後の週末には、ロレーヌ地方のメッスとナンシーでミラベル祭りが行われ、それぞれの町でミラベルの女王が選ばれるそうだ。今回、9月10日頃にフランスに来たので、この果物を追ってみた。

    a)南仏ニース市とサンラファエル市にて
    9月10日頃に南仏のスーパーや八百屋を見ると、ミラベルが置いてあった。産地はロレーヌ地方と書いてある。大きさは中くらいのブドウの実程度である。色は薄緑色からやや黄色、表面に薄い赤みが差している物もある。

    フランスのインターネットサイトによると、生産量はロレーヌ地方が大半を占め、アルザス地方も産するが少ないそうである。また、早生(わせ)よりも晩生(おくて)の方が甘みが多く、ロレーヌ地方でも、ナンシーを主生産地とする品種よりもメッスを主生産地とする品種の方が皮が薄く柔らかいと出ている。
    未熟なものは薄い緑色、熟してくると薄い黄色になるそうだ。植物としてはプルーンの仲間だそうだ。
    多くのサイトにミラベルの料理のレシピが紹介されていて、ジャムや、ミラベルのタルト(tarte aux mirabelles)が出ている。

    生の実を買って食べてみたが、確かにミラベルの風味はするが、菓子類に入っているあの独特の強い風味はあまり感じられない。なぜだろう?
    菓子類にはミラベルの香りのエキスが入っているから強い香りなのか?
    本当においしい味や風味のものはロレーヌ地方に行かなければ味わえないのだろうか? 

    b)ローヌアルプ地方のリヨン市、ブルゴーニュ地方のディジョン市にて
    スーパーにはミラベルの果実が売られている。ミラベルの実を買って食べてみたが、ミラベルの味や風味はするが、濃厚な味は今ひとつである。
    ディジョンで買ったミラベルのタルトはミラベルの味や風味が強くおいしかった。
    (ミラベルのタルトは、タルト生地を直径25cmぐらいの円形に平たく伸ばして、上にミラベルをぎっしり並べて焼いたあと、シロップを掛けたデザートである。十文字に4個ぐらいに切って販売する。)

    (続く)

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  • 15/12/07 22:56

    9)アルザスのワイン街道の村、エギスハイムEguisheim

    Eguisheimは「フランスの美しい村」のリストにも掲載されているアルザスのワイン街道の村である。(仏語風の発音ならエギスアイム)
    Colmarからバスがあるが、便数が少なく、午後は、正午のバスで行って帰りは17時過ぎのバスになる。現地で4時間以上時間があり、通常、「フランスの美しい村」の観光は長くてもせいぜい2時間もあれば充分なので、ここは、行ってから時間をもてあましそうである。

    村は円形で「美しい村」としては比較的広い。中央を車が対向できる程度の道が走っていて、村を左右に分けている感じである。この中央の道にはお土産屋やカフェやレストランなどが軒を連ね、道もカラーの舗装で観光地風であり、また、商業化され過ぎの感がある。この表通りの裏には、何重かに円形に中心を取り巻いた形で裏通りがあり、路面は割った古い石敷きで、両側には古い木組みの家が並んでいて、昔ながらのたたずまいを見せている。ゆっくりそぞろ歩きするなら、裏通りが気分の落ち着く良い雰囲気を持っている。「フランスの美しい村」に選定されたのはこの裏通りによるものだろう。

    村の外にはいくつか醸造所があり、今はブドウの収穫時期で、ブドウ畑から取り込んできたブドウを醸造所に搬入するのに忙しい。
    時間が余ったので、村を出てブドウ畑の方に行ってみた。丘を登っていくと、ブドウ畑が続くずっと遠くに、車が何台かと働く人が点々と見える。ブドウの収穫をしているようだ。ブドウを入れるバケットを積んだトラクターやトラックが村の方に行き来する。折悪しく雨が降ってきたので、一旦村に戻った。
    雨降りの中で時間があるので、プチトランに乗ったら、村を一周した後、村を出てブドウ畑の方に行った。さっき私が登った方とは別の方角のブドウ畑の方に登り、ちょうど収穫をしている地域を通った。雨の中の収穫でご苦労様と言いたい。

    村に戻って、また裏通りを歩いていたら、狭い道を黄色いテープで通行止めにして、何か作業をしている。近づいてみると、道路上にブドウを絞る機械を据えて、小型トラックの荷台からバケットのブドウをその絞り機に仕込んでいる。機械から出た透明のホースが地上を伸びていて、紫色のブドウ絞り汁が醸造所の方に流れていくのが見える。機械の後部からは絞りかすがぽろぽろと出てくる。100リットル入りぐらいのバケットからブドウを一気に放り込んでも出てくる絞りかすは意外に少ない。

    普通、醸造所は自分の作業庭があり、塀の中で作業をするが、ここの村の裏通りの醸造所は庭もなくて、収穫時期には道を使って作業する醸造所だ。出来たワインは観光客向けに売るようで、裏で作業して、表の方で販売するようになっている。

    ここの村は、お土産屋の多い通り(中央の通り)と、昔ながらの落ち着いた家並みの通りが表裏セットになった村で、両方が希望という人の観光にはいいだろう。
    バスの便が少ないのが欠点。(朝8時に行って12時45分のバスで帰ることも可能。)
    ここと比較するなら、リクヴィルRiquewhirの方がバスの便も多いし、村のたたずまいも「フランスの美しい村」として上品であると感じた。(リクヴィルには数年前に行った)

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  • 15/12/07 22:54

    8)ロワールのお城、アゼイ・ル・リドー城の改修工事見学

    Azay le Rideau 城は小さいながらもその姿を池に写す姿が優美で、人気のある城ということになっているようだ。
    城のサイトを見ると「2017年まで修復工事中。外観は工事足場が掛けられて見られないが、内部の見学は出来ます。そばの建物内に工事の説明展示場を設けているので、興味ある方はぜひお越しください。」とある。行ってみることにした。

    かつて工事の見学で面白かったのは、日本の姫路城だ。天守閣の最上階と同じ高さに設けられた見学建物から、すぐ近くで工事の様子が見られて、あれは良かった。


    Azay le Rideau 城は最寄りの国鉄駅から田舎道を歩いて30分強で着く。

    城の建物は鍵の手に曲がった建て方になっていて、短辺の方は工事が終わって姿を表しているが(全体の3分の1程度)、長辺の方は工事たけなわで、シートに覆われている。

    列車がまばらにしかないから、帰りまでの時間はたっぷりあるので、内部の見学の後、工事展示館もゆっくり見て、後は工事の様子を外から眺めた。
    50mぐらい離れた所に作業小屋があり、そこから準備された石(一面だけ彫刻されている、一辺が60cmぐらいの直方体)や木材を運び出してリフトの下に運び、リフトで上に揚げる。石を積んでいる位置はシートの中なので、様子はわからない。
    屋根の小屋組(屋根の瓦を乗せる傾斜部分の木製の三角形の構造物)は今回新しくやり直したようで、新しい材木の肌が見えている。現在は小屋組の上に屋根板を貼る工事中のようで、一部貼ったところがあり、シートの中から盛んに木材を切る電動ノコの音が聞こえてくる。

    そばにある工事展示館にはいろいろな修復工事の技法等が展示されている。例えば、屋根のスレートは石を薄く割った本物のスレートで、穴が一つあり、銅の釘で留める。きちんと締まるまでは打ち付けず、自重で下の方に向いて並ぶように、ぶらぶらした状態にしておく。おそらく堅く締めると、割れる原因になるのだろうと思う。


    そういえば、姫路城の工事で、天守閣の真横まで上って気づいたことだが、姫路城の屋根瓦は、つなぎ目を漆喰でかまぼこ形に覆っていて、面積の4分の1ぐらいは漆喰で覆われる結果となって、それが、屋根を遠くから見ると日本瓦の色ではなくて灰色に見える原因のようだった。

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  • 15/12/07 22:53

    7)ロレーヌ地方サルブール市のシャガールのステンドグラス

    ロレーヌ地方にサルブールSarrebourgという町がある。そこの礼拝堂にある、画家シャガールが作製したステンドグラスが、彼のものとしては最大級で、たいへんきれいだとのことなので見に行った。
    (注:サルブールの綴りはSarrebourgで、ドイツのSaarburgとは異なる。)

    町はNancyとStrasbourgの中間ぐらいにある。
    礼拝堂はSarrebourg駅から徒歩10分程度の所にある。

    料金を払って中に入ると、一枚の絵柄としては確かに大きい。中から見た壁一面の床から天井まで、建物の全幅に一つの絵柄のステンドグラスがはめ込まれている。
    絵柄は、シャガールが晩年に数多く作製したリトグラフで見る感じの、中央に花束と男女がモチーフとして、回りに十字架や聖人の像、動物等が配置されている。
    サイド及び後ろの窓は、薄い青色の木の葉の模様で統一されていて、正面の作品を際立たせ、サイドの模様の存在を目立たせないようになっているようだ。

    画像は以下のサイトを参照
    https://www.google.fr/search?q=images+sarrebourg+chapelle&biw=1093&bih=490&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CBwQsARqFQoTCJvI94a5ycgCFUiUlAodS3gGtQ

    ここのチャペルは、内部には十字架とか祭壇とかが置かれていない。ステンドグラスの対面側の床に10cmぐらいにかさ上げされた木の床があり、本来はここが祭壇を設ける場所なんだろうけど、何もない状態である。ミュージアム的な使い方である。宗教活動もおそらくやっていないだろう。

    ここのチャペルは市の管理らしいが、シャガールにステンドグラスの製作を依頼して完成したら、中はがらんどうの建物として管理するつもりだったのか?(それは考えにくいが)
    チャペルとして運営してくれるカトリックの団体が現れなかったのかな、内装を揃えるには費用がかかるだろうし。


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  • 15/12/07 22:51

    6)ヴォーバンの要塞(2) 大西洋に浮かぶレ島のサン・マルタン・ド・レの要塞

    大西洋岸の港町、ラ・ロシェル la Rochelle へ行った。ガイドブックによると、ここは、古い映画で、リノ・バンチュラとアラン・ドロンが共演した「冒険者たち」の撮影の舞台になった場所で、港から、最後のシーンに出てくる、海上の小さな要塞を巡るクルーズがあるらしい。

    観光案内所で、映画に出てきた要塞のことを尋ねると、クルーズは2社あり、どちらも内容はほぼ同じ、いずれも要塞には上陸は出来ないので要塞は回りを巡るだけだという。
    2社の時刻表をくれた。表紙には映画に出てきた小判を積み上げたような形の要塞が写っている。
    これに行くかどうかは、考えることにした。

    次に、この近くにVaubanの要塞があると聞くので、行き方を尋ねた。
    要塞は、このラ・ロシェルの近くにあるレ島(Ile de Ré)にあり、町の名前はサン・マルタン・ド・レ Saint Martin de Ré、 島に渡るには橋があるので、バスに乗っているだけで、1時間ぐらいで着くそうだ。バスの時刻表をくれた。

    翌日、要塞の方へ出かけてみた。

    サン・マルタン・ド・レは港町である。町を取り囲む城壁と、町と隣り合わせにくっついて要塞がある。
    町は港町なので、港にはヨットやレジャーボートがぎっしりと係留されている。港の狭い通りには裏通りにもレストランや土産物屋が並んで、かなりの人出で賑わっている。(この日は土曜日だった。)

    要塞は、海の方に面した部分には、出入りと防御のためのクワガタみたいに砂浜に突き出た二本の防波堤と、その奥50mぐらいの所に城門がある。砂浜からの位置が高いので、砂浜からクワガタの間を上陸してこの城門を攻撃するのは比較的難しいだろう。中に入れるか見たが、現在、ここの要塞は役所が内部を使っているので、扉は閉じられたままだった。
    次いで、陸の城壁の方へ回ってみる。

    陸の方は、星形のVaubanの特徴ある稜が造られ、前衛の稜もあるようだが、草地が50~60mぐらいまわりを取り囲んで、柵がしてあって立ち入り禁止のようなので、近くに寄って見ることが出来ない。

    回りをさらに歩くと、町の入り口の城門に来た。ここは、星形の稜が城門を守っている形になっている。この門の城壁にはヌフ・ブリザックのような、城壁に近づく敵兵を狙撃する銃眼は設けられていなかった。城壁の上部から撃つ考えのようだ。
    現在はこの門を町の入り口として一般通行している。
    ここの要塞への陸からの通行は、まず町に入り、それから要塞の方へ入る、二重のようになっている。


    この島には「フランスの美しい村」のリストに登録されている村が2箇所ある。
    また、ラ・ロシェルやサン・マルタン・ド・レの土産物屋には、レ島の食塩として、小さい袋に入った天日製塩の食塩が売られていた。
    帰国してから調べると、島の先端付近に天日製塩所があるようだった。製塩所は見学出来るらしい。
    この島は、ゆっくり時間をかけて訪れてもいいという印象の島だった。

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  • 15/12/07 22:49

    5)ヴォーバンの要塞(1) アルザスのヌフ・ブリザック

    アルザス地方のコルマール市の東、ライン川との間にその要塞はある。ルイ14世の時代に、ドイツとの国境をライン川と定めることになったことから、ここに要塞の必要性を感じたルイ14世が、当時の要塞建設の天才、ヴォーバン Vauban に建設を命じた。

    ヌフ・ブリザックへは、コルマールからバスがある。ドイツのフライブルグまで行くバスと、フランス内のヌフ・ブリザック周辺まで行ってコルマールに戻るバスの2路線。ドイツまで行くバスは料金が4ユーロを超えるが、フランス内のバスは1ユーロそこそこである。(フランスのバスは補助金で運営しているから安いね。)

    ヌフ・ブリザックに到着して、バス停前の観光案内所で町の地図をもらう。ここの要塞は、内部が町になっていて、最内周の周囲が直径500~600mほどの8角形の城壁となっている。その外には、前衛の稜が何重にもあるので、全体では直径1km程度である。


    Vaubanの考えた様式の要塞はフランス各地で見られ、ぎざぎざした稜が周囲に出ていて、星のようで、これが防御性を良くしているそうだ。
    稜の数は異なるが、幕末に江戸幕府が西洋の方式で北海道の函館に造ったものは五稜郭と呼ばれ、五角形で考え方は同じである。

    バスの時間の関係で、1時間半程度の時間に、入り口の一つの周辺を歩いてみた。
    入り口のすぐ横には壁にうがった銃眼が左右2箇所ずつ、入り口に迫る敵兵を狙撃するべくにらんでいる。銃眼は奥行き1m程度はあり、ラッパのように奥は狭く外側は広くなっているが、その壁面は、壁面に当たった銃弾が壁面を滑って銃眼の奥に達しないように、ぎざぎざの階段状になっている。これは、20世紀なって造られたトーチカにも、銃眼壁にはこのような階段構造が見られるものがあり、西暦1700年頃には既にこのような考えがあったことがうかがえる。

    門の扉を大砲で撃ち破るには、正面の射程距離内に大砲を持ってこなければならないが、正面には前衛の別の稜が造られており、稜の上に上がらなければならず、稜の上に上がると、他の稜から狙撃される構造になっているようだった。

    ここはVaubanの考えがよくわかる状態で保存されていた。

    ここの要塞はその後中世に起こった戦闘では陥ちることはなかったが、建設から170年経った普仏戦争では、プロイセン軍に取り囲まれ、仏軍の主力は他の戦闘で応援に来られず、離れた場所から大砲を大量に撃ち込まれて、兵士や市民の損失が大きくなり、開戦から3ヶ月で降参して門を開いたそうである。

    この要塞が完成した1702年と言えば、日本では江戸時代は5代将軍綱吉の頃であり、西洋でも大砲の技術はそれほどではなかったから、この構造で十分防御性は良かったのだろうけれど、それから170年も経った明治初めの頃の普仏戦争時には、大砲の飛距離は格段に伸びて、建設時の大砲の性能を基準に考えた防御方式は通用しなくなっていたのだろうと思う。

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  • 15/12/07 22:47

    4)建築家ル・コルビュジエの作品見学(2) チューリッヒのル・コルビュジエ・ハウス

    スイスのチューリッヒにル・コルビュジエ最晩年の作品、ル・コルビュジエ・ハウスというのがあるので見に行った。
    ここの受付の人によると、昨年まで個人所有だったものをチューリッヒ市が買い取り、それまで週末だけだった公開を、火曜から週末まで広げたとのこと。

    外観はこれまでの彼の作品とは打って変わって、自由奔放な感じである。展示場、美術館向けとして設計したので、特にその形は、特異な物になったのだろう。
    構造は、彼の作品がずっと鉄筋コンクリートであったのに比して、鉄骨プレハブ構造みたいに、L型の鉄骨をボルトで組み合わせて柱にした構造である。外部からはそれが明確にはわからないが、内部に入ると、ボルトなどがむき出しで、それが強調されている感がある。
    建物全体を覆う屋根は建物とは離れて上方に設けられ、長丸の断面をした柱で支えられている。建物にキャンバスのテントを掛けたような感じである。柱は灰色に塗られているので、一見鉄筋コンクリートだと思ったが、叩いてみると、鉄板を巻いて造ったもので、全体が鉄で造ってあるということになる。屋上に上がると、この屋根がテントよろしく日よけのようになっている。屋根板には手が届かないが、見た感じでは屋根板ももちろん鉄のような構造だった。

    彼の最晩年に、鉄筋コンクリートではなくて、鉄で造ってみたかったものを実現したというところか。

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  • 15/12/07 22:45

    3)建築家ル・コルビュジエの作品見学(1) カップ・マルタンの休暇小屋

    今回の旅では、ル・コルビュジエの作品として、南仏のカップ・マルタン(Cap Martin) の休暇小屋と、スイスはチューリッヒのル・コルビュジエハウスを見学した。
     ル・コルビュジエのカップ・マルタンの休暇小屋の見学は、修復工事のためしばらく休止の状態だったが、今年になって再開したので、今回の旅行に合わせて、見学の申し込みをした。自由見学はなく、ガイド付きの見学のみ。
    1回の見学定員は12名、集合場所はSNCF(国鉄)のRoquebrune-Cap-Martin駅、14時集合となっていた。


    最初に案内されたのは傾斜地に建つVilla E-1027 という白い別荘。
    http://capmoderne.com/fr/lieu/la-villa-e-1027/
    予備知識なく行ったので、ル・コルビュジエの作品かと思ったのだが、説明を聞くと Eileen Gray という女性建築家の作品だそうだ。鉄筋コンクリート造。設計は1927年頃。
    傾斜に建つVillaとしては設計者の工夫が見て取られ、その辺の説明が続く。
    見た感じ、ル・コルビュジエの作品で、写真で見るドイツにある作品に感じが似ている。(1927年頃の建築)
    ここの説明に約1時間を使った。

    この建物には、戦前、持ち主と知り合いのル・コルビュジエがしばしば遊びに来て、持ち主の依頼で、一階の外壁のない横の壁に(傾斜地なので地下という感じもするが)、漆喰が生乾きの時にノミで彫って線描画を描き、彫ったところに色を付ける技法で壁画を描いた。描かれたル・コルビュジエの画は、キュビズムのピカソの線描画に似ている、女性の裸体(複数)画である。
    その後、この土地は第二次大戦中にドイツ軍に占領されたが、戦争が終わってみると、ル・コルビュジエの壁画には数百発の銃弾が撃ち込まれ、画とは言えない状態になっていた。そのときの写真を回覧して見せてくれた。(大戦中、ヒトラーの命令で、当時の現代美術を排斥する命令があったそうで、銃弾はその命令を受けてのものかもしれない。銃弾を撃つにしても、念入りに撃ちすぎぐらい撃ってある。)近年、この建物をカップ・マルタン町が購入し、芸術家に依頼して、もとの写真に合わせて修復したそうである。現在は白い壁に線描画が彫られ線には黒い色が入っている。

    次いで、少し歩いて、木造のバンガローの見学。コルビュジエの設計だそうである。
    棟割り長屋風で5軒のバンガローの部屋に区分されている。

    その後ようやく木造のル・コルビュジエの休暇小屋の見学。
    小さいので、4人ずつのグループに分け、中に入って見学するのは1グループ5分程度。8畳間程度なので、見学は5分あれば十分だろう。
    この建物の窓は小さめであるが、窓の扉には外向きに鏡が付けられ、窓を内側に開けると、外の海の景色が写って、開いた窓と連続して広く海が見られる開放感を工夫したもののようである。

    木造の小屋の修復と言っても、外部の丸太を樹脂でコーティングした程度で、内部はオリジナルのままだった。

    8畳間程度の中に、二人で来ても泊まれるように、ベッドが二つしつらえてあって、数日の休暇なら過ごせる感じがした。

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  • 15/12/07 22:43

    2)ペルージュ とブル・カン・ブレス (その2)

    駅に着くとリヨン行きの電車は出た後だった。1時間半待ちになるので、ブル・カン・ブレスへ行ってもいいかもしれないと思い、リヨンとは反対方向のブル・カン・ブレス行きの電車の時間を尋ねると、こちらも一時間半程度の待ち時間だった。

    それで、窓口の女性に「ブル・カン・ブレスで何か観光するのにいい所はありますか?」と尋ねると、「ブル・カン・ブレスには教会があって、内部もきれいですが、ファサード(正面外観)はちょっとないぐらいとてもきれいです。時間があるなら是非ブル・カン・ブレスに行って、教会を訪ねてみてください。」とこの教会をずいぶんと勧めてくれる。(このおばさん、ブル・カン・ブレスの出身なのかも)
    「じゃあ、ブル・カン・ブレスに行ってみることにします。」というと、「教会の名前は Eglise de Brou といいます。Brouというのはそこの地区の名前です。」といってBrouの綴りを紙に書いてくれた。そして、「あと5分で駅前をブル・カン・ブレス行きのバスが通るから,電車はやめて駅前からバスで行ったらいいですよ。」と、バスの時刻表も置いているらしく出してくれて、観光案内所並みの説明である。バスの所要時間は約1時間である。

    バスに乗り込んで前方の席に座る。30分ぐらい走ったところで、女性運転手に、さっき書いてもらったメモを見ながら、「ブル・カン・ブレスのBrou教会に行きたいのですが、どこの停留所で降りるのがいいでしょうか?」と尋ねると「う~ん、このバスの終点が近いんだけどね~、ちょっと歩くことになるわね。」と言っている。

    ブル・カン・ブレス国鉄駅を過ぎると、もう客は私の他にはあと一人程度になった。
    運転手が「ムシュー、終点まで行くと遠くなるから、この先の交差点を左に曲がったところに、このバスの停車予定ではないけどバスの停留所があるから、そこで特別に止めるから、降りてバスの後ろの方向に向かって歩いて行けば、遠くはならないわね。」という。「ありがとう、マダム」。

    バスがしばらく走って角を曲がるとバス停があって、バスを停めてくれた。
    ありがとうと言いながら降りたあと、振り向いて見ると、運転手がドアを閉めてこちらを見ている。「メルシー」と言いながら手を振ったら「うん」という風にうなずいて、バスを発車させていった。(フランスのバス運転手は結構融通を利かせてくれることがある。)

    バスと反対の方向に歩いて行くと教会に出た。

    駅の窓口のおばさんの言った通り、教会は前面のファサードの石を彫った装飾がなかなかきれいだ。石をくりぬいてレース編みのようにした飾りが上部一面に取り付けられ、建物全体を華やかにしている。入り口のアーチには数百体の聖人らしき石の彫刻がぎっしりと組み込まれている。確かに、この装飾は他にはなかなかないかもしれない。内部も、石や木の彫刻の装飾がなかなか良く、きれいに出来ていた。

    帰りはブル・カン・ブレスの国鉄駅まで歩いた。徒歩30分程度だった。

    今日はいい一日だった。

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  • 15/12/07 22:42

    1)ペルージュ とブル・カン・ブレス (その1)

    ペルージュPerougesは「フランスの美しい村」のリストに載っているローヌアルプ地方の村である。
    リヨン市内からペルージュ行きのバスが出ているのだが、その日は時間帯が合わないので、最寄りのMeximieux Pérouges駅(国鉄駅)まで電車で行き、徒歩で行くことにした。
    ペルージュの観光案内所のサイトに、徒歩で行く場合の地図が掲載されているので、画面をカメラに写して持って行った。
    http://cluster005.ovh.net/~perouges/wp-content/uploads/2013/04/acces-pietons.jpg

    この地図にそって歩いてみると、町を抜けると乗用車の入れない農道を通り、林の中の踏み分け道を通り、沼の土手の上を歩き、小川を幅60cmの石橋で渡り、この道でいいのかと思うような林の中をたどりながら行くと、ひょっこりアスファルトの道路に出る近道だった。ちょっとしたハイキングコースである。
    最後はアスファルトの道路を登っていく。

    Perougesの村はお土産屋などの商店も少なく、昔のままのたたずまいを残している、「美しい村」としては静かな村だった。
    住人も少ないのか、夏期のみ開業と書いてあるカフェ(行った日は閉店中)などもあり、訪れる観光客もそれほど多いわけでもない。落ち着いた良さがある。

    帰りのバスも、時間が合わないので見送り、歩いて駅まで降りる方法を選んだ。
    帰りは来るとき通った林の中の踏み分け道の入り口がどうしてもわからず(林に入る道はいくつもあり、入っていくと違っていた)、さらに坂を下ったところで脇道に入ると農家に出たので、そこの農家の人に、駅へ行く道を教えてもらった。(アスファルトの一般道路を通る道を教えてくれた。林の中を通る道からはだいぶ降りていたのかもしれない。)
    この農家からは全行程下り一方で30分程度である。
    (続く)

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