Re: Re: 手塚ファンなので、当然高田の馬場駅 タイ国鉄さん、こんにちわ。 >いろいろ家庭の事情もあって、年3回恒例のタイ旅行も昨年秋に行ったきりで、 >2月頃と6月頃の2回とんでおり、そろそろ行かないと禁断症状が起こりそうです。 騒動も大きかったですしね。 勤務先もタイに工場を持っています。 幸い、騒動には巻き込まなかったようですが、こちらからは出張禁止令まで出ていました。 >さて、内蔵介さんは手塚ファンとのこと。宝塚歌劇近くの手塚治虫記念館の横は >よく通ったのですが、まだ入ったことはありません。 はい、コミックのファンで中学生の頃から単行本の収集をやっていました。 亡くなられる前から古本は高価でしたので、新刊中心です。 全集を買い揃えてからは、未発表作品があれば買う程度です。 記念館は開館の年に行きましたが、それ以来・・・訪問していません。 最近お客さんが少ないようです。 >手塚治虫といえば、終戦直後の阪大の医学生のときに、 >当時米軍に接収されていた、私の勤務先で阪大近くのビルのホールにあった >グランドピアノを弾いたというエピソードが、「アサヒグラフ」の「手塚治虫物語」? >だったかでイラストで紹介され、勤務先の機関紙の編集をしていたので、 >それを転載させてもらうため、朝日新聞大阪本社へ許可申請に行ったことがあります。 阪大医学部(実際に大阪帝国大学附属医学専門部だそうですが)は福島にあったようですね。 >30数年前になりますが、そのホールで結婚披露宴をしたのも懐かしい思い出です。 タイ国鉄さんご自身の披露宴ですよね。 それはいい思い出ですね。 私が式を挙げたホテルは取り壊されてしまいました。
ありがとうございます。 得点
大阪帝国大学附属医学専門部 ご指摘のとおり、正確にはそう書くべきでした。 阪大本部や医学部は現在は吹田へ移転していますが、以前は北区中之島にあり、 跡地の一部が市立科学館や国立国際美術館になっています。 30年ほど前に発行された元勤務先の「創立100周年記念史」をひもとくと、 「1944(昭19)年に、大阪帝国大学に校舎として貸し出した」 とあるので、手塚治虫さんも勉強されたのかも分かりません。 なお「米軍に接収された」というのは、私の記憶違いだったかも知れません。 グランドピアノの件、「演奏を聴いた米兵が絶賛した」という エピソードだったと思うので、勝手に合成してしまったのかも。