なるほどです・・

ぼうふらおじいさん さん こんばんわです
ご教授いただき ありがとうございました

>ナチはまだ必ずしも悪の権化?ではなくてかの国にも支持者はしっかりいた時代です。
チャップリンの「独裁者」は もっと前の 1940年封切
「ナチの実態が知られていなかった時期に この映画を撮ったの?!」とか 驚いた記憶があります

「カサブランカ」 封切 1942年ですね
内容から、戦後の作品とかおもっていました

ディズニーアニメの「バンビ」「白雪姫」「風と共に去りぬ」など 戦前のアメリカ映画ってすごい作品が多いです・・・・
アメリカってすごい国だったんですね この頃は・・・・






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2件のコメント

  • 第一次大戦後のドイツいじめとその蘇りを全世界が注目していた・・

    のりーたさん

    私たちは近世世界史からほとんど切り離されている国民です。

    中央主権に乗り遅れて、田舎もの扱いされていたドイツがようやくプロイセンを中心にドイツ民族をまとめて英仏露などすでに産業資本の確立の元に世界帝国主義的支配を推し進めているのに、1-2周回遅れでスタートした冠たるドイツ帝国が英・仏+米国につぶされた後の敗戦処理は見るも無残、天文学的インフレの中でとたんの苦しみにあえがされました。

    そのどん底の中で屈辱感にあえぐ中産階級以下の民衆のエネルギーを背景に、われらこそ選民と立ち上がったのがナチズムです(いえいささか短絡的ですが)。 キリスト教を中心とするヨーロッパ社会で、なぜかその背景に不死の英雄ジーグフリード伝説をすえたのは反カソリシズムの故といわれています。

    ナチズムを信奉する人たちは第2次大戦前夜には米国・欧州全土に広がっていて、当時の英国の首相もその一人だったため、対応が遅れたのだと・・。ナチズムの危険性に各国が気がつくのは、イギリスの嫌われっ子チャーチルが登場してからです。

    つまり対応が遅れて大事になっためいめいの責任を、原因のナチズムに押し付けるためにはまるで悪性の病原菌みたいに非難しないと都合が悪かった・・ということです。

    当時の状況は 多分今のどこかの北半分の置かれている政権の状況と同じだったのではないでしょうか。いえもっと賢き対応をしたために世界中を巻き込んだ騒ぎになったわけですけれども・・。

    何時の時代でも映画は大衆のものです。 状況を単純化して相手を悪者として自分たちを正当化するプロパガンダ媒体として今でも巧妙に利用されています。 

    書き方がついいやらしくなってしました。 でも楽しむのは楽しみますが、それでもどこかでタブラカサレマイゾという覚悟を持っていなくてはいけない・・・というのが、教科書にスミをぬらされたおじいさんたちの
    皆さんへのつぶやき・・・遺言?です。

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    Re: 第一次大戦後のドイツいじめとその蘇りを全世界が注目していた・・

    ぼうふらおじいさん こんばんわです

    >教科書にスミをぬらされたおじいさんたちの皆さんへのつぶやき・・・
    私の祖母によれば 
    「焼け野原で、消し炭は山ほどあったが、墨も教科書もなかった」↓
    http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/445702/-/parent_contribution_id/370716/
    教科書に塗る墨があるなら、字のひとつも書いて教えたい! 
    学校の現状をみかねた GHQの兵隊さんが、短くなった鉛筆や 書類の裏紙を持ってきてくれたそうです。
    祖母は「こんな立派な物を捨ててしまうなんて、勝ち目のない相手だった」と思ったそうです

    この頃から↑世界史は 米国サイドのヒストリーです
    >私たちは近世世界史からほとんど切り離されている国民です

    中南米を歩くと また 面白い側面がみられますよ~ 
    中南米の歴史は 日本ではほとんど 教科書に載っていません
    旅先で??と思ったことを、帰国後図書館で調べると、一つ一つが新鮮です

    日本では英雄視されている ナポレオン 
    スペイン・ポルトガルでは 侵略者ですよね
    中南米では、本国↑が ナポレオンに侵略されて国力が無くなったので独立運動がしやすくなった~ 
    (でも ナポレオンを英雄視までしないところが 好きです)

    サッカーのお祭りでニギヤカな地域も アジアも 中近東も それぞれの立場で書いた歴史書は面白いでしょうね~

  • 知らぬは日本人ばかりなり・・・

    のりーたさん、

    >「ナチの実態が知られていなかった時期に この映画を撮ったの?!」とか 驚いた記憶があります

    アウシュビッツなどの絶滅作戦が明るみに出たのは戦後のようですが、ヒトラーが首相になったのが1933年、大統領(総統)になったのが1934年です。

    ユダヤ人迫害のきっかけになった有名な「水晶の夜」事件が1938年11月9日、振り返って考えると、ユダヤ人だったチャップリンが反ヒットラー映画を撮影しても当然ではないかと思います。

    テレビも無い時代、大多数の日本人はそんなことは知りもせず・・・でしょう。

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    Re: 知らぬは日本人ばかりなり・・・

    内蔵介さん こんばんわです

    歴史の勉強になりました
    第二次世界大戦中から 敗戦が舞台になっている 欧州映画は多いけれど
    それ以前の舞台設定は、暗すぎるためか なかなかないですね

    「水晶の夜」なんだろう?
    なにやら 綺麗な用語なのですが 調べたら あらら・・・
    えげつないこと していたのですね

    >テレビも無い時代、大多数の日本人はそんなことは知りもせず
    イタリア・ドイツは友好国でしたからね~

    教員をしていた 祖母によれば
    音楽の時間 軍歌を生徒に歌わせたくなかったそうで
    「友好国の国の歌」ドイツ歌曲や イタリア歌劇を レコードで聞かせていたそうです
    (ショパンやシュトラウスは ドイツの占領国なので okだったらしい)

    当時インテリだった 教頭先生に
    「ヘンデルは ドイツ人だがイギリスに寝返った(帰化した)から ×」
    「ドボルザークは アメリカよりだから ×」
    「英語の発音に似ているから アリアは×」とか、結構ダメだしされたらしい

    でも 祖母はめげるどころか「これの原曲は 英国よ~」とか思いながら 
    生徒と「故郷の空」「埴生の宿」「蛍の光」などを 堂々と歌っていたそうです

    こういうところが血統だな・・とか思います

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