寛大なかたでよかったです GGA02757さん こんばんわ >了見の狭いレスポンスがついて悲しい思いをしました。 悲しい体験をされたのですね・・ 文字通り「脱線」にお付き合いいただいて ありがとうございました パンタグラフ・・・ ここから電気を取り入れることを思いついた人は 偉いです 私の訪問先の中南米では、列車が少ないです 地下鉄や路面電車を見ると すいつい 乗りたくなります エクアドルの路面電車(路面バス?)は パンタグラフから火花が散らしながら 走っていました 電線が垂れ下がっている 十字路を背の高い車が通ると 係員が長い棒で 電線を持ち上げたり なんとものんびりした光景でした
>係員が長い棒で 電線を持ち上げたり 私が幼少の時代の驚くべき実態をご紹介します。 私の生まれた田舎には私鉄電車が走っており、 その電車は、パンタグラフではなくて、「ポール」 というもので集電しておりました。 ポールというのは、屋根に斜めに棒が立っており、 その先端についたローラーが架線と接触するので す。ローラーには溝が切ってあり、その溝に架線が はまります。これは摩擦しながらの接触ではなく、 転がり になります。 大問題があります。それは、ポイント部をうまく 通過できないのです。 そのため、ポイントに 来る度に、車掌がロープを引いて、ポールを下げる のです。 下げるのはいいけど、ポイント通過後、上げるのが 難しい。架線に合うように、ポールを左右に振らないと いけません。夜など、その間中、停電です。 失敗 すると、火花が散り、車掌の腕前がばればれです。 あせればあせるほどうまく行かず、大変な仕事だった でしょうね。雨の日も顔は上を向けます。
噂は聞いたことがあります。 トロリーポールですね。 http://www.tawatawa.com/denshanani/page012.html >大問題があります。それは、ポイント部をうまく 通過できないのです。 そのため、ポイントに 来る度に、車掌がロープを引いて、ポールを下げる のです。 私が聞いたのは終点での方向転換の切り替え時に、ポールを下げて向きを変える・・です。 ポイント毎に切り替えとは驚きです。 トロリー長野県の大町側から黒部ダムに行く際に乗ったトロリーバスが私の唯一の経験ですが、終点では方向転換のスペースがあり、バスはぐるっと一周して方向転換していたと思います。
東京でも 昔は東京でも都営のトロリーバスが走っていました。 当時は都電も縦横に走っていたため、東京は架線だらけでした。 やはり集電のために、日本のポールが立っていました。 そして、交差点を曲がるのが大変でした。 交差点前に停留所があり、そこで車掌が降りてポールを下げる。 すると、エンジンが動き出し急にうるさくなります。 交差点を曲がるとまたすぐに停留所があり、そこで架線にポールをセットします。 そのため、一本道のルートが多かったように思います。 都電の架線との同居も難しかったのかもしれません。 時間も都電よりかかりますし、故障も多かったような気がします。 車が増えてくると、トロリーバスは渋滞の原因になってしまい、あるとき急に姿を消してしまったと記憶しています。同時にチンチン電車(都電をこう呼んでいました)もほとんどなくなりました。いまでは、専用路線を多く持つ荒川線のみになってしまいましたが。 私がまだ子供だったときの思い出でした。