餘部駅

餘部鉄橋が開通し、山陰本線全線繋がったのは明治の御世ですが、餘部には駅はなかったそうです。

Wikiで見ると
余部橋梁が完成してから1950年代まで、余部集落住民が山陰線を利用するためには、列車の合間を縫って徒歩で余部橋梁を渡り、トンネルをくぐって隣の鎧駅まで行く必要があった。

1955年(昭和30年)、地元住民が駅設置の実現化に向け、国鉄に強く働きかけたり、小学校児童が県知事に駅設置を願う手紙を書くなどの行動が展開された結果、駅設置が決定した。

建設の際は住民たちも駅造りを手伝い、その様子を描いた壁画がホーム傍に立てられていたが、新橋梁建設工事開始後は周辺案内板等と共に撤去されている。


昭和40年代の後半、私が乗り降りした頃は全部の各駅停車(DC機関車+客車)が停車していましたが、先輩に聞くと以前は各停でさえ通過が多かったので、クラブ員が下車するため国鉄に臨時停車をお願いした・・・との事。

鉄橋の下に集落があるのはご存知だと思いますが、小さな小学校もあります。
しかし道路が発達していなかった昔はさびしい所だったと思います。

小学生の頃父親が買った日本全国の観光地の写真集(白黒)に餘部鉄橋を渡るSLが掲載されており、子供ながらに「是非行ってみたい」と思ったのですが、当時は同じ県内なのに遥か彼方の地・・でした。

>こちらに餘部鉄橋の写真も。昔はわざわざ写真を撮りに行っていたんですね

拝見しました。
なかなかの腕前、かなりの撮り鉄とお見受けします。

ディーゼルカーは郷愁を感じますね・・・って、単身赴任先のJRは非電化なので、いまででも時々乗っているんですけどね。

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