レポート

ベルリン Stasi-Museum・・・・20うん年ぶりのあの時代との対面

公開日 : 2015年03月01日
最終更新 :

Stasiというのは、旧東ドイツ(DDR)の役所、国家保安省「Ministeriums fuer Staatssicherheit」の後半の部分の省略形。国家保安省は知っていたが、それをシュタージと呼ぶことは、統一するまで知らなかった。

 20世紀の話だが、ホーネッカー書記長の自伝が本屋に高く積んであった頃に東ベルリンに行ったのだけど、アテンドしてくれたライゼビューローのお姉さんが、今日の夜はフンボルト大学の学生との交流会に呼んでくれるとのこと。ところが、知り合いの一人がどうしても行かない、という。「秘密警察(国家保安省のこと)がずっと監視しているし、そんなところに行くと洗脳される。」ばかばかしい。日本からの旅行者を監視するほど秘密警察も暇ではない。Uバーンに乗って会場に行く途中、そのお姉さんから「彼はなぜ来ないのか?」と聞かれた。体調が悪いとでも言えば良かったのだけど「彼はSecret Policeがいつも監視していて、会場に行くとBrainwashされると言っている。Stupidだ。」と英語で言った。彼女は苦笑いしていたが、私は本気にStupidと思っていた。このゴルバチョフの時代にいちいち場末の日本人まで監視するものか。でも、本当にstupidだったのか・・・・

 アレキサンダープラッツからU5に乗って・・・このU5は昔の東ベルリンでは銀座線みたいな路線だった・・・Magdalenenstrasseで降りるところまではいいのだが、そこからが分かりにくい。地面に上がって、フランクフルターアレの北側、RuscheSt.とMagdalenenSt.の間くらいに入口がある。またはRuscheStを北上すると右手側にも入口がある。さすがに秘密警察の親玉だけあって、幹線道路からちょっと奥まったところにある。

 歩き方には「展示はドイツ語だけ」と書いてあるが、今では95%くらいの説明に英語が付いているので全く問題ない。もっとも、だから衝撃的だったのだけど・・・国家保安省の建物そのものが博物館になっているので、まずは国家保安省の建物を目にするのだけど、あの秘密警察に入れるなんて・・・そこからおじさん回顧モードになってしまう。

 16時過ぎでもう暗くなりかかっていたのだけど、人が多くてびっくり。私のような回顧組でなく、若者も多い。彼らの生まれた前後に、自国政府がこんなことをやっていたなんて・・・信じられるのだろうか。日本式の四階までが展示室になっていて、まずは二階、ミールケ国家保安相の執務室と業務で使用した部屋がずらっと並んでいる。ミールケの名前を見るのは本当に久しぶり。このフロアの執務室の迫力というのは、文章では書けないけれど、秘密警察というのはこういう仕事の仕方をするのかという会議部屋やミールケ専用のキッチンだの映画を見ているような光景が続く。

 その上のフロアには・・・・本当にこれだけの広範囲の市民を監視していたのか、という証跡がずらっと並ぶ。統一後、いろんな文書が公開された結果、実は家族がシュタージの協力者だったということが分かって家族が崩壊した例、なんかは紹介されていたが、なんとなく絵空事のような気がしていたのだけど・・・ソ連製の隠しカメラや鍵の形をとる粘土セットや盗聴キットなんかも、映画ではなく、国家の省庁が実際に使っていた訳で、なんでこんなことになってしまったのか・・・・圧巻だったのは偽の身分証明書で、全く同じ写真の張った四つのの身分証が提示されているが、全部名前、出身地が異なっている。これを国家がやっていた・・・というのは、小説や映画と違って胸に迫るものがある。

 私は筋金入りの反体制派だけを見張っていた(それは日本でもやっているが)だけと思っていたのだが、そんな人々はさっさと西ドイツに売って(追放して)しまっていて、DDRの屋台骨を支える一般市民の監視の方に重点を置いていた。・・・検閲を隠すための封書の再封入用のアイロンなんてのもあったが、こんなことまでして市民を監視をしなければならない国家というのは一体なんだろう・・・・ちょっぴり目頭が熱くなった。

 外国人に対する監視資料もあるそうで、ドイツ語が堪能であれば、きちんと請求できるらしいが、毎朝、党の機関紙である「Neuesdeutschland」を熱心に読んでいた彼女だって、協力者の一人だったか・・・というか、西側の旅行者をアテンドした人たちはみなシュタージの協力者だったのかなあ。

 私は英語速読能力に難があり、18時の閉館に間に合わず、途中で端折って帰ることにした。が、ここは「壁」と同様、他の人には勧めるものではない。あの時代の現場を知らない日本人が見ても何も面白くないと思う。(ワシントンDCのスパイ博物館が好きだったという人には、別の意味でおもしろいかも知れないが。)歴史博物館としては、コッホシュトラーセの近くにある「壁博物館」は行く価値があるかな、というくらいである。

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1件のコメント

  • シュタージ博物館!

    今回はシュタージ博物館にもいらっしたのですね。

    東西分断時代にも訪問していらっしゃる高島さんにとってひときわ感慨深いものがおありになったことだと思います。

    広~~い敷地の中に巨大なビルが立ち並んでいるさまは壮観でしたね。
    あれがすべてシュタージ(秘密警察)関係機関のものだったのでしょうか?
    東ドイツ人民の何パーセントかが秘密警察に関係している人たちだったようですから、なんとなく頷けます。

    秘密警察のドン、ミールケってどんなコワモテおじさんかと思ったら、普通の貧弱なおじさんでビックリしました。

    何と言ってもあの盗聴器や隠しカメラには驚きました。
    ドアの鍵穴、ネクタイ、バッグ、木の根っこ、それにコートのボタンからカメラのレンズが覗いているなんてぞっとしました。

    25年前までドイツにはあんな時代があったのですね。

    興味深いレポートをありがとうございました。

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