Re: インターネット時代の旅行レポートの書き方。 私自身がハリウッド・チャイルドさんの意図するところを上手に把握出来ていない気がするので、ちょっとレスを躊躇ったのですが、どうしても気になった部分があるので・・・・。 > ・・と納得したと思う。 > 1枚の写真で相手を納得さすのには無理な状態になってきた。 > 返答に困る状態になって逃げ込んだりする事も生まれてくる。 これって、誰に『何を』納得させようとなされているのでしょう? そして、なぜ返答に困って逃げ込むのでしょう? そこがどうしても理解出来なかったのです。 旅行って、自分が何かを感じる為に行くものであって、自分が旅行に行った事によって誰かに何かを感じさせる為の物ではないですよね? 同じ行程で同じ時期に同じ所へ行っても、感じ方は十人十色になるのではないかと思うんです。 LAのブロードウェイを歩いても、「何でも凄く安くて!貴金属だって1/3で買えちゃうのよねぇ!一杯買い物しちゃったぁ!」という人も入れば、「すげぇヤバイ雰囲気のところでさぁ・・・ドキドキしながら緊張しまくっちゃったよ!路地裏なんかチラッと見たら誰かが3人がかりでトランクに放り込まれていてさぁ・・・映画のシーンみたいだったよ」 という人も居ると思うんです。 読み手に自分の思う通りの反応をしてもらう為の『旅行記』だとすれば(それが『納得』という意味かも・・・とも感じたのですが)それは、旅行記ではなくて旅行会社の募集案内パンフレットになるかとも感じるんです。 ある企業の研修講師をしていた時期があって、毎月数十人の研修レポートを数年に渡って拝見させて頂いていたのですが、 「お前は旅行会社の添乗員か?」と思うような、日程と時間を細かく書き込んだ『だけ』のレポートがあったり、「全員に配った参考資料の数字でレポートを埋めてどうするねん?」「写真展じゃないんだから、ベタベタ貼り付けた写真の説明を加えただけで、肝心の『考察事項』やら『提案』やらはどこに書かれてるねん?」と、記録であったり数値であったり写真であったり、『自分が無い』レポートが相当(1/3ほど)ある事に最初は驚き、でも最後は諦め始めていました。 数字や時間や写真だけなら、ネットでいくらでも検索出来てしまいます。 インターネット時代だから『こそ』、自分(中味)の無い旅行レポート(旅行記?)は意味が無くなるのではないでしょうか。
説明不足ですみません。 > ・・と納得したと思う。 > 1枚の写真で相手を納得さすのには無理な状態になってきた。 > 返答に困る状態になって逃げ込んだりする事も生まれてくる。 今から、4年ほど前にはよく、この掲示板に ホテルのパンフレットからの写真を使ってこのホテルに泊まったとか ホテルの玄関だけの写真でこのホテルに泊まったとか 友人がLAXから貨物列車に乗ってマイアミに向かったとか スーパー8の送迎車を撮影して、このモーテルに泊まったとか ・・・・・・・・・・・・・・・と言う書き込みをしていた人が居たから それで、・・・この様な事を書き込む人は、この状況の中でどの様に 感じているのか気になったものだから インターネット時代の旅行記のあり方について アドバイスを頂ければいいと思ってかきました。