Cafe Guarany/タッチ式改札のこと アヴェニダ・パレスはHPからしてそれほど気取らない感じでしたね。 実際は自分たちはまだ若いし...というところがあったのかもしれません。 今のところ勝手に寛いでいるという・・・ ここに限らず連泊に関してはよくオファーがやってました。 あらっ♪ 私たちはここのレストランで夕食を戴きましたよ。 なんだか(ポルトガルの町は?)狭いですね。 http://www.ghparis.pt/portugues/por_index.html よく本とかでも紹介されていたところですよね。 ここも宿泊の候補に挙がっていましたが、なにしろ駐車場どころかホテルの前に車を一時駐車するのも難しそうだったので... ポルトガルの町の中心部のほとんどのホテルがそうでしたけどね。 なんだかホテル談義になってますが、トピはズレるほど楽しい....とか... 夕食に外に出て、散歩中、レストランの看板メニューを見つけたところが偶然Hotel Parisだったので、 あ、ここは♪と入ったのですよ。 なぜかレストランの名前も注文したものも思い出せなくてなんなのですが・・・ 連れはそれこそ『カルボナーラ』ではなかったかしら。笑 ウエイターさんがものすごく硬い感じだったのが印象的でした。←連れがしきりにそのことを言っていたので。 泊まっていたホテルのビルの1F(?) のCafe Guaranyです。 http://www.cafeguarany.com/ なんでインディアンの絵??だったのですけどね。 結構格式がありました。こんなCafeに入ったのは初めてかもしれません? ピアノの生演奏があってていい感じでした。 出て行くときにはすかさずお見送りがついて 背中に流れるポール・マッカートニーの忘れ得ぬメロディー...(今、曲名をど忘れしてひどく残念。) 自分にとって最高な演出になってました。 ええっと、地下鉄? だいたいパスを使用していましたが リスボン、ポルト、そしてパリもですよ! (ついでにロンドンも...)もう皆タッチ式でしたよ!! ポルトの地下鉄では普通の切符がチャージ式?になっていて係員のいない販売機での買い方がわかりにくかったです。 通りがかりの人が代わりにやってくれたので助かりました。 空港までは空港バスではなく地下鉄を勧められました。 ポルトのは車両や路線自体新しく快適です。 ただ、乗り換えや切符を買うのが慣れないとちょっと手間取ると思います。 シントラCincoの猫はほんとに最高でした。 私たちのところに一晩泊まっていってくれてうれしかったです♪ (悪いことしないか見張りに来たという話も...笑) ロカ岬? 行きましたよ〜。 ちょっと小雨が降っていましたが、風景的になかなか面白いところでした。 記念に絵はがきを買って岬の郵便局から出しましたよ。 犬はここにもいましたかね? そういえば、ポルトガルのあちこちで大きめの犬が歩いているのを見かけましたね。 首輪はしていないけど、そんなにこわい感じはしなかったので放し飼いにされている犬なのかな?と思いましたが 日本ではあまりないことなので異様と言えば異様でした。 ポルトでは咬まないように口輪をされた犬を見かけてちょっとどきっとしましたけどね。 ケイジャーダのことはちゃんと訊いていたら良かったですね、どこで召し上がったのかとかを。 とろりとした写真のチーズの出所、実は出発前にCDG空港で両替をする場所を教えてもらっていたサイトだったのでびっくり。 HOMEは輸入者直営のチーズ専門店?のサイトのようだったので、ふぅ〜ん??って感じだったのですけどね。 出すと宣伝と思われそうで出せないという・・・ ポルトガルのくだんのチーズは別の名前で出ていたような? P.S. 思い出すに、コインブラのホテルのお庭は別に怖くはなかったでしょうね? 外部からの見学の順路に沿って行くと、ゆわゆる、雰囲気がありすぎということでした。 歴史を知ると一層です。
Re: Grande de ParisのレストランとCafe Guaranyで弾いてくれたピアノの曲 Grande de Parisのレストランで >連れはそれこそ『カルボナーラ』ではなかったかしら。笑 「七面鳥のクリームパスタ」でした。 この頃、しきりにカルボナーラが食べたいと言っていましたが、メニューにはなかったので近い感じのものを選んだのでした。 (Clioさんは本当にカルボナーラでしたか?笑) 私はというと、あまりおなかすいていないからとスープ(とワイン)を注文したそうです。 パンやチーズの入っている食べるスープ(グラタンスープ?)みたいな感じだったと思います。 同じような感じのスープはパリのモンマルトルのやはりピアノ演奏のあるカジュアルなレストランでも戴きました。 (特別好きなわけではないのですがセットで出ました) Cafe Guaranyのピアノ >出て行くときにはすかさずお見送りがついて、 >背中に流れるポール・マッカートニーの忘れ得ぬメロディー... 曲は『No More Lonely Nights』でした。 元はピアノ曲ではないですが ttp://www.youtube.com/watch?v=ah2ywKPfnTc たまりません・・・
Re: タッチ式改札のこと/たくさんぶらさげてしまってごめんさない! 記憶力にいささか不安を感じる歳となり、パリの地下鉄の改札のこと、子どもにちょっと確認しました! 子どもは2005-2007にパリに住んでいたのですが(そして私が訪ねましたのも、その間)、少なくとも当時はタッチ式ではなかったみたいです。 これを確かめてちょっと安心??しました。 ただ、むろん、徐々にタッチ式になりつつはあるみたいですけれど。 パリの地下鉄の改札は、バーが重いこと、ゲートの幅が狭いこと、かなりの難関でした。 スーツケースなど荷物をもって通り抜けるのはけっこう難儀でしたね。 でも、わかりやすくて、東京でも地下鉄での移動は敬遠しがちな私も、パリでは地下鉄をよく使いました。リスボンでも、もちろん! ~ところで、コインブラのホテルの庭は、泊まってしまえば普通でしたよ♪ でも、昨日たまたま捨てようとした古い雑誌にポルトガルのことが載っていて、この庭のあたり、悲劇の気配、とか書かれていました。 同じ景色、同じ場所でも、自分の心にある知識やイメージによって、印象はずいぶん左右されますよね。もちろん、シンプルに、ただ見てきれい!という景色もあるでしょうけれど、いろいろなことを知れば知るほど、さまざまな側面が見えきますね。 ポルトガルも、歴史的な日本との関わり、ポルト酒、タイルなど、それ自身見所いっぱいですが、私自身はタブッキ~ペソアを読んでから行ってよかったと思います。 汗をたらたら坂を上り下りしてレモネードを飲むと、『供述によるとペレイラは』が実感されましたよ~
Hotel Quinta das Lágrimas 最終章/ペソアとタブッキ Clioさん、 Quinta das Lágrimasの庭はParreiras通りにある涙の泉入り口から入ると ただでさえ雰囲気あり過ぎの木々がうっそうと茂る中で 枝の一部が白く塗られていたり、赤い紐が下げられていたりしていて、 もう、怖がらせないでよ!って感じだったのですよ。 「道しるべだから...」て連れは冷静でしたけど。 Hotel Quinta das Lágrimas HP >VISITA 360°>atmosfera に ちらりと不気味な絵が...? http://www.quintadaslagrimas.pt/ イネスの血に染まったという?泉の岩はしっかり載ってますよ。 お疲れでお部屋から一歩も出られなかったとかだったら...あらら... そばにはカモンイスの詩の碑がありましたよ。 綺麗な水の湧く空気の綺麗ないいところでしたよ♪ 私はペソア〜タブッキでしたが、読んで行ってよかったですよ。 『ペソアと歩くリスボン』のは典型的な街のガイドブックだったので 事前に地図でコースをたどってみたりして楽しかったです。 タブッキの『供述によるとペレイラは』レモネードを飲む場面が何度も出て来て印象的でしたね。 夏は(40度超えてませんでしたっけ?)リスボンはすごく暑くなるんだなぁと。 地元の人が汗だくになって暑いと言うんですから... リスボンは夏には旅行はしない方がいいと思いましたよ。 内容は衝撃的でもありましたね。 ポルトガルのある一時期のこと、善良な一市民が何か..に巻き込まれて行く過程がとてもリアルでした。 図書館にあったのでついでに日本での最新刊?の「ダマセイロ・・・」も えい!と読んでみたのですが、これもまた、警察権力の腐敗?を突くような硬派な内容で... その後、おすすめの『レクイエム』と『フェルナンド・ペソア最後の三日間』も読みましたよ。 「ダマセイロ・・・」のあとがきが「ヘルシンキにて」になってたけど、きわどいこと書いちゃったからタブッキさん、 ポルトガルでは身の危険を感じて逃亡したのかとか思ってしまいました。 そういえば、タブッキはシエナの大学の教授です? たしか、もう、ペソアからは離れるような話だったと思いますが... タブッキさんは今いずこ。 Clioさんがポルトガルのトピで「ペソアと歩くリスボン」を紹介されていたことから 思いがけず関連した本がたくさん読めて良かったです。ありがとうございました。 ちょうど本がどっぷり読みたいと思っていた時でした。
Re: Cafe Guarany/あら、ゆうべ追伸をうったつもりでしたが............. Cafe Guaranyのページのご紹介のお礼を申し上げたくて。 リストアップされている音楽、ひととおり聴きました♪ いいですね~ こんな雰囲気。 ポルトは勉強不足でした(しょぼん)。 中の“サテン・ドール”は、私が初めて買ったジャズのレコード、確かウェス・モンゴメリーのアルバムにはいっていた懐かしい曲です。 往時が偲ばれますよね。 (投稿、内容が二重になっていましたら、ごめんなさい。送信したつもりでしたが、反映されていないみたいですので。??) ではでは。
Re: Cafe Guarany/タッチ式改札のこと:えっ、そうでしたっけ!? >タッチ式改札のこと: え~っ! そうでしたっけ......... うーん、パリでは、.....あららら記憶が!!タッチ式でしたっけ? ただ、自動ドアではなかったですよね??(もちろん自動化されている線もありましたが。) リスボンの地下鉄は、ほんとにきれいで使いやすく、よかったです。 でも、まごまごしているとき、みな親切ですよね。 いつも、旅先ではほんとに助けられてばかりです。 >ポルトのホテルのこのレストラン、いらしたとは奇遇です♪ このホテルのあたりも、初めてでは確かにちょっと車では入りにくい場所ですよね。 ポルトまできて、何でパリなの、と思いつつ予約を入れました。 (フランス人の常宿というような意味なのかしら。) 建物のあちらこちらに、古いオルガンやタイプライターなどが置いてあって、意味不明でしたが、悪くない雰囲気でした。 ポルトではあまり時間がなかったので、地下鉄などに乗る機会はありませんでしたが、ここでも、コインブラでも、エレベーターは使ってみました♪ みーはーもの好きな方ですので。 ~そういえば、私方(関西)から車で1時間ほどの団地にも、こんなエレベーターがあります。 >Cafe Guarany: ふ~む、こちらでは、そんないいことがあったのですね! そういうことがあると、旅全体がとてもhappyになりますよね。 あ、思い出した! 私はリスボンのバスで、生まれて初めてスリに遭遇したのでした! 被害は受けなかったのですが、腕に上着をかけたひとが妙に体をもたせかけてきて(混んでいた昇降口付近)おかしいなと思っているとその上着の下から手が......ちょっと感動??しました、スリって初めてだったので。 ところで、シントラのねこさんは、そんなにかわいい子だったのですね! 部屋に泊まっていった!? まあ!! 私は、パリのホテルを選ぶとき、わざわざねこがいるホテルを選んだのに、レセプションで挨拶してもすげなくされてしまいました(涙)。 http://www.h-saintpaul.com/en/photos.html ↑の真ん中あたりにある写真の子です~ おっしゃるとおり、ロカ岬にかぎらず、ひとり(1匹)あるいは連れだってうろついている犬、けっこういましたよね。 私は、モンサラーシュで朝、バスを待つ間、ずっと犬が2匹まわりをうろついていて、ちょっと不安でした。 何をするでもなかったのですが、日本では、つながれていない、あるいは近くに飼い主の見あたらない犬って、あまりいませんよね。 周りは人っ子ひとりいませんでしたし、かなり緊張してしまいました。 チーズは、そうですね、私のとちょっとラベルは違いますね。 でも、感じは写真にそっくりです。 食べたのはどこだったかな........えーっと、確かペソアが働いていたという会社のある通りにある、小さな店だったのではないかしら。 ~ところで、私が行ったときは、何だかサッカーでポルトガルが一勝を挙げたときで、町中が盛り上がっていましたね。確か、フランクフルトーリスボンの機内で、勝利のニュースの放送があったと思います。 (一瞬飛行機が揺れたかと思うほどどよめいた。) 空港からホテルまでの道々、ラッパ?やクラクションを鳴らし、旗を振り立ててゆっくり走っていく車、車で埋め尽くされている感じでした.........うーん、懐かしいです。
コインブラのエレベーターとポルトのケーブルカーとゲーラ・ジュンケイロ博物館? コインブラのエレベーター乗りましたよ。 大学のある丘まで往きはバスだったので、下りで乗りました。 丘の上の住宅地を見ながら長ーいエレベーターでの下り、いい景色でしたよね。 下りは反対側のアルメディーナ門の方へ歩いてでも帰れそうだったけど、わざわざエレベーターに乗りに行ったのでした。 ポルトのはケーブルカーですね? 川沿いカイス・ダ・リベイラから帰りはケーブルカーで登って帰ろうという算段だったのですが 急遽カテドラルの近くに有る「Casa Museu Guerra Junqueiro (ゲーラ・ジュンケイロ博物館)」に行くことにし、 これが閉館時間との戦いだったので、ちょっと裏路地的な感じの長い階段をかけ上って行きました。 「ゲーラ・ジュンケイロ博物館」は日本のガイドブックに載ってないようなところです。 ゲーラ・ジュンケイロという人が住んでいたところが博物館になっているわけですが、 家具だの彫刻だのテキスタイルだの世界の陶器だの宝石だの... たくさんの収集品がところ狭しと飾られていました。 出てから門のところにある説明を読むとGuerra Junqueiroは詩人とわかりました。 ジュンケイロってなんか聞いたことがあると思ったら! きっとペソアかタブッキの本で出てきたのでしょうね。 フェルナンド・ペソアと同時代の詩人ですよ.... 何にも知らずに行ったのに、この奇遇に驚いてしまいました。 ペソアって意外なことに「貧困の中にいた」...ような記述が詩の中にかありませんでしたか? それはこのゲーラ・ジュンケイロを意識すればそう言っても無理はないか...と 詩人でこんなに財力のある人がいることもちょっと意外でした。 詳しくは知りませんけど。 その後、また裏路地的長い階段を下って、さらにドン・ルイス一世橋を渡ってヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアへ行きました。 船や対岸のポルトの街が見えて、この辺りはとてもいい感じでしたね。 また橋を渡って戻りましたが川縁のカイス・ダ・リベイラの西の方のレストランで夕食をとることにしたので とうとうポルトのケーブルカーには乗れずじまいでした。
Guarany と聞いて真っ先に思い出すのは、 イグアスからラプラタに掛けて原住民が居ました。 トゥピーグァラ二ー族で、バンデイランテスに奴隷にされたり虐殺されたり。 今では希少民族ですが、伝統はブラジル政府の保護の下、伝承されています。 ポルトガル人でブラジルに牧場を保有している人は、かなり居ます。 ポルトガルで遊んで暮らせるのはブラジルが植民地として機能しているからでしょう。 ポルトガルで英語が通用するか?、と、上の方で書かれていましたが、 若い人が相手なら通用する確率は高いです。 ポルトガルとイギリスは400年前からの海賊協定が続いていて、 イギリスを目指す人が非常に多いです。 逆に言えば、英語が話せなくてもロンドンではポルトガル語だけで過ごせる。 数年前に夜中に路頭に迷う羽目になった時、助けてくれたのはアンゴラ人でした。 いつも宿泊するリッチモンドのホテルではポルトガル語以外必要ないし、 英語ではビタ一文まけてくれないのに、ラテン語になった途端30%オフなんてザラです。(笑) アフリカからイギリス永住ルートが決まっていて、 アンゴラやモザンビークからブラジルで4年住み、その後ポルトガルで最低3年過ごしたら、 堂々と胸を張ってイギリスに渡れます。 海賊間の取り決めが有る様で、途中からの参加でもイケルみたいです。 従って、私も南回りのイギリス永住ルートを画策中です。(笑) 幸いポルトガルには友人も多く居ますし、なんとかなるでしょう・・・。
ポルトガルと他国 シロカイーナさん、こんにちは。 コメントありがとうございます。 ブラジルとは植民地時代から今も政治的・経済的・文化的関係が強いのですね。 リスボンのテージョ川の対岸にはブラジルのリオ・デ・ジャネイロのキリスト像を模して作られたものが建っていますよね。 今はそんな時代なんだ(?!)...と思いましたけどね。 ブラジルは2014年にサッカー・ワールドカップ、2016年には南米大陸初のオリンピック開催地。 これから「底知れぬブラジル・パワーに世界が注目」デスよ。 なんだか今、EU経済圏でギリシャとポルトガルが問題になっているのですが... ブラジルのパワーがポルトガルの助けになるようなこともあるでしょうか? アントニオ・タブッキのポルトガルが舞台の小説を読んでいると、よくフランス(パリ)に行くような話が出てきたので フランスと関係が深いのかな?と思いましたが... 確か、軍事的(政治的)にはイギリス、文化的にはフランスの影響が強いのでした。