体験記5

 ホテルのカウンターの中にいる女にホテルの金額を聞くと、2500ペソだという。ホテルの感じからして、1500ペソ以上だろうなとは思ってはいたけれど、2500とは予想外でした。1000ペソ前後の安ホテルに泊まるつもりにしていたのに、これでは予定が大幅に狂ってしまうことになってしまうと思い、もっと安い部屋はないのかというと、ないという。
 どこか他のホテルに移動できれば良いのだけれど、重い荷物を持ったまま逃げることなんてできるはずもないし、どうしたものかなと思っていると、こちらが予想外の料金に態度をはっきりとさせないでいることに業を煮やしたホテルの従業員と、ここに連れてきたごろつきはいらいらした様子で見ています。
 ホテル側としても、ここに私を強引に連れてきたごろつきにしても、せっかく捕まえたカモを逃がすわけにはいかないということなのでしょう。ここではらちがあかないと思ったらしく、腕をつかんで強引に脇にある小部屋に引きずるようにして連れて行き、そこに置いてあったこうした場合の備えなのでしょうが、ここよりも高いホテルのパンフレットをテーブルの上に並べて、同じようなホテルはみんなここよりも料金が高いと言うと同時に、ここの方が良いと言うことを執拗に言い、とにかく最低でも一泊させないことにはここから出さないという剣幕で、とにかく早いとこ金を払えの一点張りなのには閉口しました。
 私は、もっと安いホテルに泊まるつもりでいたのに、こいつが強引にここに連れてきたんだ、と言っても勿論聞く耳を持っていません。そんなことは言われるまでもなく知っていると言うことなのでしょう
 とにかく、ホテルの従業員とここへつれてきたごろつきが一緒になって、狭い小部屋の中でとり囲まれた状態になっているわけです。このまま拒否の態度を続けていると、危険なことになりそうな雰囲気が伝わってきたので、身ぐるみはがされたことを思えばたいしたことはないと思い、黙ってカウンターの所に戻ると、あとをホテルの従業員とごろつきが血相を変えてついてきて、どうするんだ!とわめいていたのを無視をして財布からお金を出してカウンターに2500ペソを放ると、みんなほっとしたようなうれしそうな顔になりました。もちろん、私の方はうれしくも何ともなかったけれど、カウンターの女が私を軽蔑したような顔で見ながら、紙になにやら書いている間、こんなことは普通の国ではあり得ない。白昼ホテルのロビーで恐喝を行うというのだから、まるで、カポネの時代のシカゴのようだ、と思いました。そしてカポネの時代のシカゴと同じで、このことを警察に言っても何の足しにもならないのだろう。だからこそ安心して、こんな時間に堂々と恐喝を行うのだろうが、全く、とんでもない国だ、と思いました。
 お金を払ったあと、クルマで誘拐されるように連れられてきたので、いったいここはどこかさっぱりわからない。いったいここはどのあたりなのかを地図で示してくれと言って地図を差し出したのですが、カウンターの女は地図全体を円で描くようにしてこのあたりだという。こいつは自分のいるホテルを地図で示すこともできないというのかと思ったけれど、たった一泊ばかりしか宿泊しない上に、すぐに料金を払わずにごねたやつなんかの面倒はみないと言うことらしい。このあとホテルの従業員の誰に聞いても同じような対応だったから。

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  • 体験記6

     部屋に案内されて室内の様子をみると、2500ペソなだけあって、そこそこ広い部屋でしたが、鍵は安ホテルでおなじみのボタンを押して扉を閉めると鍵がかかるというものでした。このタイプの鍵は、泥棒にとっては最も開けやすい鍵だと言うことは外国人の泥棒が跋扈していた頃に、テレビでさんざん紹介されていたのを思い出して、大丈夫かな、と不安になりました。
     1000ペソ以下の安ホテルならしかたがないけれど、2500もとっておいて、なんだこれはと言う感じになったものですが、全ての設備が古いのでこんなものなのでしょう。ごろつきに頼んで客を連れてくるしかないと言うことでは、設備を更新することなんてできるはずもないでしょうから。さらに、冷房は一体型のクーラーで、タイでは安ホテルでもこんなものにはお目にかからなかった。いったいなんなんだこれはと言う感じですが、こんなことだからこそ強引に客を引っ張ってくる以外に方法はないのだろう、と思ったものでした。日本でも昔はこうした一体型のクーラーがあたりまえの時代がありましたが、そのことを知っているのは40代以降の人だけでしょう。なぜ一体型が廃れたのかは、コンプレッサーという騒音源が一つの箱に入って窓に取り付けられているために、ものすごくうるさいわけです。しかも、このホテルのものは、相当古いらしく特にうるさい。起きているときにはまだしもなのですが、寝ているときにはやかましくて冷房を付けたままでは寝ていられない。それに輪をかけてひどいのが、大通りの交差点に面しているので、自動車の騒音がものすごい。途上国は、タイでもそうでしたが、エンジン音が大きい上にやたらとクラクションを鳴らす。これが24時間途絶えることがないので、とても安眠などできたものではないわけです。さらに、道路から一番奥にある部屋だというのに、騒音だけではなく、頻繁に部屋全体が大きく揺れる。ベッドに横になっていると、まるで船に乗っているかのようにゆったりとした感じで頻繁に揺れる。最初は地震かと思ったのだけれど、数分おきに揺れるので、地震ではなく道路を大きな車が通ると揺れるのだと言うことがわかったのですが、日本でも環七などの道路脇に立っている建物だと揺れることがあるけれど、あれとは比較にならない程頻繁に揺れるし、揺れ方が大きい。恐らく地盤が軟らかいのと、基礎工事がいい加減なのが一緒になって、とても揺れやすい構造になっているのでしょう。とてもゆったりとした揺れなので、歩いていたりすると気がつかないのだけれど、ベッドに座ったり横になると気持ちが悪いくらいに揺れる。全く、とんでもないホテルで、こんな所に間違ってもまた来ようなどと思うものはいないでしょう。
     荷物を置いてベッドに腰を下ろしていると、空腹感が襲ってきました。なにしろ、機内食を食べて以降飲まず食わずですから当然と言えば当然です。これまで緊張していたので空腹に気がつかなかったのだけれど、一人でベッドに腰を下ろして緊張感がゆるんだとたんに空腹感が襲ってきて、何も食べていないことを思い出しました。
     何かを食べに外に行こうと思いエレベーターの前に行き、乗ろうとするとエレベーターが15センチか20センチほど下に止まる。何だ、これは、と思い、足を載せたら、1階まで落ちて行くのではないかという不安に駆られ、そうっと足を載せてみると大丈夫そうだったのですが、こちらの不安を見透かした掃除担当の従業員がドンとばかりにエレベーターに飛び乗ってきてにやにやしている。
     エレベーターから出て、ロビーを外の方に向かったけれど誰も何も言わないし、ドアボーイが立っているところに行くと何も言わずにドアを開けてくれました。

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    体験記7

     おそるおそる外に出てみたのですが、外で誰かに制止の声をかけられると言うこともなく、拍子抜けをするくらいに普通に外に出ることができてしまいました。
     おそらく、彼らにとってみれば、先ほど私に行ったようなことは日常茶飯事のことなので、罪の意識も何もないのでしょう。勿論、この事実を警察に話したところで、大統領選挙の最大の争点がいつも汚職の追放という国です。空港の職員からこのホテルまで、全てが有力者の影響下にあることは疑いないわけです。従って、警察としても有力者には手も足も出ないことから、私がこのような目にあったと言っても、結局話を聞くだけに終わってしまうことは確実なので、安心して私を外に出すことができるのでしょう。
     外に出てみると、右側に大通りが見えたのでそちらに行ってみました。とても大きな通りなのだけれど、他の道では交差点に行くと、道路の標識があるので、ここはどこだと言うことがすぐにわかるのですが、フィリピンのこのあたりの道路には道路の表示板が見あたらなかった。
     辺り一帯はスラム街のような感じで、高いコンクリートの建物が密集して建っているのですが、建物に人の気配が全く感じられないために、心中穏やかではなかったけれど、クルマの交通量はとても多いので、襲われる心配はないだろうと思ってとりあえず大通りを右方向に歩いてみました。しかし、どこまで歩いてもこの大通りがなんだかわからないので途方に暮れていたのですが、歩いているうちにだんだん人通りが多くなってきたところでちょうど大きな教会が目に入り、そこの入り口に警備員と思われる制服を着て立っていた老人が目に入ったので、老人の前に行って、この道路は何という道路かと地図を差し出して尋ねると、老人はRoxas Boulevardと書かれた所を指さしました。
     この老人の行動に間違いがなければ、この先の道を右に曲がるとバクララン駅に行くのではないかと思い、先に行くと運良く右に行く道にでることができ、道の両側にはびっしりと朝市のような感じの店が並び、同時に大変な大にぎわいの状況になりました。これはもしかして地図にあるバクラランマーケットなのではないのか。もし、この予感が当たれば、ようやくこちらに運が向いてきたことになると思って歩いていくと、まもなく、モノレールのような高架が見えてきました。これで、ああ、あのホテルはこんなに駅から近いんだ。ということは、あのごろつきと一緒にクルマで走った距離なんて、せいぜい1キロか2キロくらいでしかない。こんなわずかな距離を走って500ペソだなんて、全くとんでもないペテン師だと思うと腹が立ちましたが、フィリピンと言うところはそういうところなのだと言うことで、まさしく聞いていたとおりのことが自分の身にも降りかかってきたと言うことなのであって、フィリピンに来たからにはこうしたイヤなことを経験しないではいられないと言うことなのだ。と思うと同時に、自分のいるところがわかったことで安心感がわいてきました。
     これで明日は、この高架鉄道に乗ってエルミタに行くことができる。