レポート

フランスへ行ってきました 2014

公開日 : 2014年08月03日
最終更新 :

フランスへ行ってきました

5月下旬から6月初めまで、行程は以下のようにしました。

日本出発

パリ CDG空港

リール Lille (リール市内観光、ルーブル・ランス見学)

ベルギー、ブリュッセル観光

アミアン Amiens (市内観光、アミアンの大聖堂観光)

ルーアン Rouen (「フランスの美しい村」:Le Bec-Hellouin 観光)

カン Caen 
(ノルマンディーの林檎の礼拝堂観光、
ノルマンディー上陸作戦の地観光)

パリ
(ボーヴェ観光、「フランスの美しい村」:Gerberoy 観光)

帰国

以下にレスの形で見聞したことなど書きます。
(項目は旅行の順とは必ずしも一致しません)

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12件のコメント

  • TGVチケット刻印のお礼とブリュッセル

    mamoruさん、その節は大変お世話になりました。
    私共夫婦も(笑)無事フランス旅行を終えました。
    (時差ボケ?で午後2時までぐっすり眠っていましたが、フランスでは午前7時と正常?なんですよね)

    さて、私共が心配しておりました「TGVチケットの刻印」はmamoruさんのご回答の如く、黄色の刻印機で無事(笑)刻印する事が出来ました。

    刻印機はmamoruさんや他の方からのご回答にもありますごとく、機械によっては「?」がありますよね。
    TGVホームに背中合わせに設置してあります「刻印機」は2台とも「赤ランプ」が付いていまして、5~6名の乗客が並んでいましたが私は「故障」と推測して他の刻印機(西洋人のご夫人が刻印されていました)へ回りました。

    ご夫人が無事刻印されたので私もチケットを通したのですが、うんともすんとも・・・
    再び別の刻印機へ回りまして、チケットのミシン目を外さずにバーコードと反対側の端を刻印機に通しましたら、混同は無事(笑)刻印する事が出来ました。

    フランスは3度目なんですが、どうも「機械物がイマイチ」と確信しました o(^-^)o
    (前の2度でもいろいろありました・・・)

    mamoruさんは「ノルマンディ」「ブリュッセル」へ旅行されましたのですね o(^-^)o
    私共はノルマンディの西橋の「モンサンミッシェル」へサンマロからバスで無事に行ってくることが出来ましたが、皆さんからもご回答を頂きました如く「超混み~」ですね。  (残念ながら教会内へは長蛇の列を見て諦めました)

    なお、私も今回の旅行をmamoruさんのような方法でUPしたいと思っておりますo(^◇^)o
    (昨年は「サンフランシスコ」を同様に書かせて頂きましたo(^◇^)o)

    さて、一つお伺いなんですが・・・
    「ブリュッセル」ってどんな感じでしょうか?
    娘婿の姉ファミリーが住んでいて「次回はブリュッセルへ来ない?」と誘われているのですがチョッと二の足を・・・
    と、申しますのは婿がグルメ?(笑)でして私共も支払いをしたのですが、一般に日本で夕食をするのと訳が違う位の値段なのでこの調子では年金生活者の私共夫婦は破産と考えてしまいます・・・

    グルメとブリュッセルを比較するってのはお門違いかもしれませぬが、このような婿の状況を鑑み「私はパスしたい」と家内には申し上げたのですが・・・如何でしょうか?

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    14/08/18 00:42

    ブリュッセルについての感想

    楽しまれて無事お戻りのようで、良かったです。

    1)TGVチケットの刻印について
    裏に磁気ストライプがなくても刻印は入るんですね。磁気ストライプがなくても機械が何らかのことで切符と認識できる仕組みがあるのだろうと思います。
    ちなみに、駅売りの切符は、バーコードがある方を入れても、反対側のバーコードがない方を入れても刻印します。

    フランスの機械ものは信頼性がイマイチです。
    いろいろな場面で不具合が出ることに遭遇すると、そういうものだろうと思って、別に驚かなくなりますね。


    2)ブリュッセルについて
    ブリュッセルの中心地区のホテル代の相場は、パリ中心部程度に、けっこうな値段がします。
    食事の習慣はフランスに似ていると思います。

    ホテルの朝食は7~9ユーロですが、私たちは、ホテルを予約したときに朝食代が含まれているホテルでは,ホテルの朝食を食べましたが、それ以外では自分たちで準備しました。

    サラダに出来る野菜はス-パーや八百屋に種類豊富においてあります。(キュウリは大きくても種を取らすにサラダにして食べられるし、ズッキーニ、ほうれん草の芽、そのほか、店員に見せて,それが生で食べられるか聞いて,主としてサラダにしました。後は、ゆでエビ、たこのマリネなどを買っておけば、けっこう朝食の材料になりました。)

    ホテルの電気ポットでゆで卵が作れます。
    電気ポットはお湯が沸くとスイッチが切れますが、5分ぐらいしてまたスイッチを入れて次に切れたらほおっておけば、10分ぐらい後には中心まで固まったゆで卵が出来ています。
    (卵は、ゆでる前に曲率の大きい方、というのか、丸い方というのか、をテーブルの角などで軽く打ってヒビを入れておくと、殻をむくとき、つるんと簡単にむけます。)

    パンは、朝、パン屋に買いに行った方がおいしいです。フランスパンは明くる日になると堅くなるので、コッペパンみたいな形の田舎風パンを買ってスライスしてもらって朝食用にしていました。(田舎風パンは明くる日でもあまり堅くならないです。直径は比較的大きいので、スライスしたもので、サンドイッチも出来ます。)

    おそらく、一人5ユーロぐらいで、ホテルの朝食より健康的な朝食が食べられたのではないかと思います。
    (フランスのホテルの朝食は、パンとジャム、チーズ、ハムなどで、野菜が非常に少ないですね。私たちは、どちらかというと、健康上の理由もあって、ベジタリアンに近いです。)


    レストランは、ある程度腹ごしらえ出来るぐらいを食べようと思ったら、料理だけで最低20ユーロはかかります。
    夕食は、35ユーロぐらい出すと、料理人が腕を振るったのか、と思える程度でしょうか。
    ベルギーのレストランは、同じ金額を出すなら、パリのレストランより料理人の腕を振るったと思える料理が出ます。

    料理で50ユーロする食事は、その家族で言えば,何かのイベントとしての食事だろうと思います。一般家庭なら、連日、料理だけで50ユーロ以上の食事はしないのではないかと思います。料理の上にワイン代もかさみますし。
    フランスの家族で招待するときは、レストランよりは、各家庭内で食事をするのではないでしょうか?


    今回、ブリュッセルに行ったのは、王立の軍事博物館に行きたかったのがメインですが、ホームページでは日曜も開いているとの表示だったので、行ったら、なぜか閉まっていて、ちょっと残念というか、また来る口実が出来たというか、軍事博物館については複雑な気持ちです。

    グランプラスの夜は、ちょうどいた期間にジャズフェスティバルがあって、終了後コーヒーを飲んで余韻を楽しんだりして、グランプラスで宵を過ごすのもいいです。
    前回オルタ亭に行こうとしたら(アールヌーボーの家)、その日はちょうど休みだったので、機会があったら行こうと思っていたところ、今回は行けたのでよかったです。

    今回はブリュッセルで2泊しましたが、前回の時にブリュージュは行ったので、今回また行く気にはなりませんでした。
    (ブリュージュって、そう何度も行きたいという気にはなりませんね。あの、古色蒼然とした町並みは、一回見るにはいいが、リピーターになるほどのものではない感じです。)


    食事は出来るだけ安く上げる工夫もあるだろうし、ブリュッセルへ行ってみてはいかがですか。




  • 14/08/03 15:38

    11)ルーアンから「フランスの美しい村」ル・ベック・エルアンへ行く

    ルーアンから近くで行けそうな観光地を探していたら、「フランスの美しい村」のリストにル・ベック・エルアン(le Bec-Hellouin)というところがあったので、行き方を調べた。
    一つの方法は、パリからEvreuxまで電車で行き、そこからHonfleurに行くバスに乗れば、各乗車時間1時間ずつで行けるようだった。今回はコースが合わない、バス便が少ない、片道2時間以上かかる、などの理由でこの行き方はやめた。

    Rouenにいるときに行くには、Rouenから電車で最寄りの駅 Elbeuf Saint Aubin まで行き(乗車30分)、そこからタクシーで行く方法しかなさそうで、電車とタクシーにした。
    あらかじめ調べておいたElbeufの町のタクシー会社に前日に電話し、Rouenから乗る電車の到着時刻、行き先等を告げると、タクシーの予約を了解してくれた。

    電車が着くとタクシーが待っていた。降りる客は少ないから、ドライバーは私たちを直ぐわかったようだった。
    距離は27km程度でウイークデーで片道45ユーロ程度だった。帰りはまた来てくれるのか、タクシーメーターで待つのか尋ねると、タクシーメーターで待つ、という。料金表を見せて、メーターで待つのは、1時間待つとメーターが20ユーロ回る、というので、1時間程度と決めて待ってもらった。メーターだから、早く終わればその分メーターの回りは少ない。
    タクシーは木陰に入って休んでいるという。

    村の入り口付近にかなり大きい修道院があり、ドライバーは、この修道院だけ見に来る人もいる、ガイド付きで見学できる、と説明してくれたが、修道院の見学はしなかった。

    村はこぢんまりしていて、木組みの家並みが美しい。特に花を多く飾るというわけではない。
    この日はウイークデーだったが、村の店の休みの日に当たっているそうで、絵はがきでも買おうと思ったが、お土産屋さんが閉まっている(村人に尋ねるとその日は店が休みの日だという。おそらく日曜営業なのだろう)。
    修道院の売店は開いていて、修道士の服を着た人が販売係である。一般的に修道院で売るようなものが並んでいる。お土産にはいいかもしれない。

    この村は華やかさはないが、落ち着いた、商業化されない村を好む人向けだろう。観光客も少なめだった。
    今まで行った「フランスの美しい村」の中では、中ぐらいの魅力だろうか。
    でも、良さがじわっと感じられる村だった。

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  • 14/08/03 15:29

    10)平たい桃 pêche plate(果物の話)

    フランスではちょうどabricot(杏、明るいオレンジ色の果物)の時期で、スーパーやマルシェにはうずたかく積み上げられている。
    リール市のスーパーでabricotを買ったが、その横に平べったいスモモのようなものが置いてあった。直径はリンゴ程度で、円盤状に平べったい。それが何であるかは知らなかったが、果物だから食べられるだろうと買って帰り、ホテルでおそるおそるかじってみたら、味は桃だった。 

    皮を見た感じは日本のスモモのようだったので、食べるまでは期待していなかったが、口に含むと、すっきりした甘さがすがすがしい。甘さにしつこさがないというのか、食べているときは口の中ではかなり甘いが、飲み込むと口の中に甘さがあまり残らない。後味がすっきりしていると言えばいいのか。このような味わいの果物は日本にはなかなかないような気がする。
    皮をむかずにそのまま食べても口の中で違和感がないのもいい。種があまり大きくないのもうれしい。
    これに対するフランス人の好みはそれほどでもないのか、値段は手頃というか、かなり安めだ。

    ルーアン、アミアン、カンと移動したが、これらの町の八百屋には数十個程度であるが置いてあった。名前は知らないので、店の人に、指さして「あれ二つください」というと、「はい、桃 pêche ですね」というので、桃として認識されているようだった。

    日本に帰って調べると、フランスではpêche plate(平たい桃)というのが一般的ないい方で、昔中国から渡ってきたものをらしい(おそらく品種改良しているだろう)。
    また、中国語の発音から入った仏語としてのpantaoといういい方も使われるそうだ。ノルマンディー地方など北部で取れるそうだ。

    日本ではこの種類のものを蟠桃といって、東北地方や信州で取れるらしいが、これまでお目にかかったことはない。(それらの地方に住んだことはないし。)
    日本での取れる時期は夏のようだ。

    パリでも探せば出ているかもしれない。
    読者で、この時期にフランス北部に行ったら、是非お試しあれ。
    pêche plate (仏語の写真のサイトより)↓
    http://urx.nu/aEMl


    一方、abricot 杏 は産地や時期により、すなわち店により、日によりおいしさにばらつきが大きい。おいしいものに当たったら、abricotってこんなにおいしかったのかと思うことがある反面、期待してまた買いに行ったら、次のはそれほどでもないことがある。運みたいなものだ。
    ある八百屋で、主婦らしき人々が並んで一人2kgぐらいずつ買っていくので、一人の買う量が多めだし、ひょっとしたらこの店のはおいしいのではないかと思い、自分も買ってみようと思って並んでいたが、どんどん売れて、自分の直前で全部売れてしまった。う~ん、あれはおいしかったのではないか、と思いたい。傷み出したので安売りしていたのではなさそう。(イソップの狐のまねをしてもつまらないしね。)

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    confiture d'abricot を手作りするかたも・・・・

    こんにちは。

    mamoruさんの旅行記、楽しく読ませていただきました。

    露店のマルシェでabricotが洗面器ほどの器に載せて売られていたのを何度か見ました。
    また、朝食時にconfiture d'abricotは良く並べられていました。
    なので、生でも食べるでしょうが、手作りジャムの素材として用いる主婦も多そうに思います。

    平たい桃 pêche plate、これは食べたことがありませんが、
    お書きになったのが美味しそうで興味を持ちました。
    桃の類でも、甘み・酸味・果汁・果肉の繊維質など様々のものがありますが・・・・その平たい桃を皮をむかずにたべても歯間に果実の繊維が付かなければ、最高に美味しくいただけそうです。
    その時期にフランス北部に行って試してみたいです。

  • 14/08/03 15:23

    9)ノルマンディーの教会における戦争の爪痕

    スピルバーグ監督がノルマンディー上陸作戦を舞台に描いた映画「プライベートライアン」の中で、教会の塔に潜んで狙撃する連合軍兵士を倒そうと、ドイツ軍戦車がこの塔を砲撃し、塔の上半分が崩れ落ちるシーンがある。そのシーンのヒントとなったのが、尖塔の上部を戦争で吹き飛ばされたサンピエール教会だといわれ、その教会がカン市の中心部近くにある。(今はもう修復されている)

    以前この町を訪れたときは、修復した部分の石の色が多少違っていたので、どの部分が吹き飛ばされて修復したのか、外からよくわかったのだけれど、今回見ると、修復したことを知らなければ、あまり顕著な色の違いは目立たない状態になっていた。

    前回は時間がなかったので内部には入らなかったが、今回は中に入ってみた。
    ステンドグラスが全部モダンなデザインなのは致し方ない。(この町の教会のステンドグラスは、どこも戦争で壊れたので、修復されて幾何学模様の現代風である。)
    入ると、内部の壁に、終戦直後の半分から上が崩れた状態や修復の足場の写真、修復途中の写真、修復後の写真などがパネルに貼ってある。戦争の傷跡の記憶を残そうということだろう。

    カンから約100km東のルーアンの大聖堂も、戦争の爆撃で建物の右の方の壁が崩れ、その時の写真が、十数年前に訪れたときは掲げてあった。そのとき、ツアーで来ていたフランス人の一行が、写真の前でガイドの話を聞いて、その中の年配のご婦人がそっとハンカチを出して涙を拭いているのを見かけた。
    今回久しぶりに訪れ、あのときの写真があるかと思い、つぶさに中を巡ってみたが、戦争の爪痕の写真はどこにも掲げられてなかった。
    ルーアンの大聖堂は、何で壊れたときの写真を掲げるのをやめてしまったんだろう?
    今はEUの時代で、過去の戦争にとらわれることなく、EUは一体であるとの考えに向かっていこうと、ルーアンの人々が思っているなら、それはすばらしいことだが。

    ルーアンの大聖堂の石も、修復ではめ込んだものと、オリジナルのものとの色の差がそれほど目立たなくなってきている。時間の経過とともに、戦争の記憶を残したものは風化していくんだろうね。

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  • 14/08/03 15:14

    8)ノルマンディー上陸博物館(その2)

    砲台の見学が終わったので、ノルマンディー上陸博物館へ行ってもらった。

    上陸博物館は海に面していて、海中には、連合軍がD-DAYの後、継続的に荷揚げできるように作ったと思われるコンクリートの施設の残骸等が海面上に見える。
    展示室内は、上陸のジオラマみたいなものや映像などで、上陸時の状況を見学者に見てもらうのが主目的の展示だった。兵器類はあまり大きいものは置いてない。
    ほどほどに切り上げて、受付でタクシーを呼んでもらった。

    続いて、バイユーの「ノルマンディーの戦い」の博物館に行ってもらった。
    こちらは、上陸後の連合軍がドイツ軍と戦ったノルマンディーの各地の戦闘の推移の説明が主だった。
    兵器や装甲車なども屋内展示場に置いてある。

    ドイツ軍の88mm高射砲が置いてある。砲弾初速1000m/秒と書いてあるので、例の、飛行機を撃ち落とす高射砲でありながら、この砲を水平にして戦車を撃ったところ、軽々と装甲を撃ち破ったということで、その後、この砲がドイツ軍戦車に搭載され、比類なき破壊力を発揮したという高射砲だろうと思う。対戦末期まで、戦車に搭載できる大きさで、これだけの初速を出す砲は連合軍にはなかったということだ。(wikipediaによる)
    確かに砲身が長いね。(砲弾を加速するための砲身内の助走距離が必要なのだろう。)

    屋外には米国の小型戦車数台と、ドイツの軽駆逐戦車ヘッツアー1台がそれぞれ距離を置いて展示してある。連合軍のものは数多く、ドイツのものはたった1台なのは、フランス人の心情を表しているのか。または、ノルマンディーに投入された双方の戦車数の比率?
    軽駆逐戦車ヘッツアーは、ドイツには四号駆逐戦車、ヤクートパンターなどもっと大きくて戦闘能力も優れた駆逐戦車があった中で、小型のものを展示品として選択したのは、そばに展示されている米軍の戦車が小さいので、おあいこにしたのか、なんて勘ぐりたくなる。

    しばらく見ていたら、ドイツ語らしき言葉を話す男性の二人連れが来て、戦車を見ている。ドイツ軍の軽駆逐戦車ヘッツアーの所に行くと、戦車の周りを見て何かしゃべりながら、やがて、戦車をバックに代わる代わる立つ位置や方向を変えて何枚も写真をとって、だいぶそこにいた。おそらくドイツ人だろう。ドイツ人なら、戦争に敗れたからとはいえ、かつて敵だった国にこんな風に自国の戦車がおいてあるのは、残念な気持ちもあるだろうし、その戦車がいとおしいだろうね。

    国敗れて戦車あり、、、。

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  • 14/08/03 15:07

    7)ノルマンディーの上陸博物館(その1)

    国鉄のBayeux駅から上陸博物館のあるArromanche-les-Bainsまではウイークデーはバスがあるが、行ったのは祝日でバスがないので、駅からタクシーに乗った。
    運転手に、上陸博物館に行きたいというと、Bayeuxにあるミュージアムか、それともArromanche-les-Bainsにあるミュージアムか、と聞いてきた。
    ガイドブックに出ているドイツ軍の建設した砲台の写真を見せて、最初にこの砲台に行き、現地で10分程度タクシーメーターで待ってもらって、その後Arromanche-les-Bainsにある上陸ミュージアムに行きたいというと、了承してくれた。

    (Bayeuxに「ノルマンディーの戦いのミュージアム」というのがあるらしい。あらかじめ詳しく内容を調べてこなかったが、タクシーの運転手がどちらに行きたいのかと聞くくらいだから、見る価値はありそう。最後に行ってみることにしよう、、、。)

    砲台のある場所はあまり調べてこなかったが、タクシーはManvieuxという町まで行きそこから西に牧草地や畑の中をしばらく走って、砲台に着いた。
    後で調べると、着いたところは、Longues-sur-Merという村にある砲台のようだった。
    wikipediaの引用↓
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Batterie_de_Longues-sur-Mer

    ここの砲台はトーチかが4ヶほど並んでいて、それぞれの相互間距離が40~50mほど離れている。ガイドブックの写真などを見ると、隣のトーチカまでは100mぐらい離れているのかと思う写真が多いが、隣は直ぐそこだった。

    このあたりは海岸線が断崖になっているけれど、砲台は海岸線からだいぶ離れていて(後で地図から見ると海岸から400mぐらい離れている)、土地に起伏があるので、砲台の位置から海は見えない。従って、艦船からも砲台はほぼ見えないだろう。射手は海岸近くにある監視のためのトーチカから電話連絡等で距離や方角の指示を受けて砲撃するようだ。艦船からこの砲台を砲撃したくても標的が見えないから命中させるのは難しいだろう。ドイツ人もなかなか考えたね。

    砲の前面の防御鉄板は厚さ12~13mmぐらいだが、一つのトーチカに砲弾の命中した跡がある。中から見て、左45度ぐらいから撃たれた砲弾が、前面から入り右側の天井付近に抜けた跡である。天井付近の鉄板に開いた穴は周りがぎざぎざで、そのぎざぎざが外向きに飴のように曲がっている。おそらく、死角から忍び寄った歩兵(砲兵)の持ってきた砲で攻撃されたのだろう。

    ここに来た見学者は断崖(海岸)の方へ歩いて見に行くようだったが、タクシーに10分程度待つように言ったので、時間がなくて断崖の方には行かなかった。

    (続く)

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  • 14/08/03 15:02

    6)ボーヴェから「フランスの美しい村」ジェルブロワへ行く(その3)

    タクシーは40~50分ぐらい走ってジェルブロワの村に着いた。距離は三十数km程度、料金は約80ユーロ。この日は日曜だから、ウイークデー料金の30%増しぐらいになっているものと思う。
    帰りは、タクシーメーターで現地で待ってくれるのか、時間を決めて再度来てもらうのか聞くと、再度来るという。1時間20分後に来るように頼んで、タクシーを返した。

    村は、今まで行った「フランスの美しい村」の中では広い方だった。
    このあたりの地方は大体、美しい村というと、木組みの家が建ち並んでいるのが一般的である。ここも木組みの家並みで、家々にそれぞれ思い思いの色のバラが植えてあり、6月最初の日曜日だったが、早咲きのものはもう花が終わっていた。今は、中間のものの時期らしい。青っぽい花を植えている家もあって、かなりこだわりがあるようだった。家の色と調和させている家もある。全体的にはバランスが取れていてたいへんきれいな村だった。

    あと2週間後に、ここでバラ祭りを開催するとのポスターが貼ってある。でも、今年はバラが早いのかもしれない。あと2週間もしたら、バラは全部終わってしまうのではないかという感じもする。(年により早い遅いがあるのだろうと思う。かつて、ここより南に位置するパリのバガテル公園に5月末にバラを見に行ったが、バラはまだまだ咲きそうもなく堅いつぼみだったことがある。)

    小高くなっているところに小さな城館があり、そこの庭を有料で見学できる。
    中はバラづくしで、なかなかきれいにしつらえてあった。また、庭から村の家々の屋根が見渡せる。

    村には観光客がかなり来ていた。工芸品や雑貨を売る店などはごく少しで、あまり観光ずれしていないのがいい。
    水彩画でこの村のたたずまいを描くアーティストのアトリエがあり、絵の雰囲気がいいので20cm角ぐらいの小品ををちょっと買った。(小さな額に入れて部屋に飾るといい感じかも、と思う。でも、引き出しの奥にしまったままになるかもしれない。)


    帰りはボーヴェの大聖堂に行ってもらった。
    天井が高い。天井の高さではフランス随一だという。
    (48.5mあるそうだ)
    ステンドグラスの絵柄は一見して中世のものだが、カテドラルの説明によると、一箇所の柱間に残っているオリジナルを除いて、他は全部第二次大戦後の製作だそうだ。
    (この町は、第二次大戦初期のドイツ空軍の爆撃で大火災になり、町の2/3を焼いた。このとき、過去から受け継がれた文化的遺産のほとんどは焼失したそうだ。)

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  • 14/08/03 14:57

    5)ボーヴェから「フランスの美しい村」ジェルブロワへ行く(その2)

    パリからボーヴェ駅に着いて駅舎内の公衆電話でタクシー会社に電話する。
    電話のカードはブラステルという会社のプリペイドカードを使っている。料金がフランス国内1分15円程度で比較的安い(日本へも17円/分)。ただし、掛ける番号が、応答を聞いてID番号や暗証番号を入れていくので、普通に電話を掛ける3倍は長い。

    メモしてきた1社目と2社目のタクシー会社は、日曜休業らしい。留守電応答なので切る。
    私たちの右後ろで誰か電話が終わるのを待っているらしい人がいるのに気づいて、その人の方を向いて、「電話を掛けたいのでしょうか?(仏語で)」と尋ねると、「ノン、ノン」という。電話が終わるのを待っているのではなさそう。(でも、何でそこにいるの?)

    電話機の方に向き直って三番目の所に掛けたが日曜休業の留守電だった。「ここも日曜休業だ」と夫婦で話していると、その人は、日本語で、「日本の方ですか?」と聞いてきた。22~23歳ぐらいのアラブ人と白人の混血のような風貌の女性である。そして、「あなたのカードは正しいカードで、使えるカードですか?」と。おそらく、押す番号が異常に長いので間違っていると思ったのかもしれない。日本語がある程度話せる感じだ。「プリペイドだから大丈夫なはずだと思う。タクシー会社に電話したいのです。」と言ったが、「私のカードで掛けてみましょう」と電話機の正面に来て自分のカードを入れ、私が掛けたメモの三番目の会社へ電話した。やっぱり留守電だったようで「留守電ですね」と言った。

    どこに行きたいのかなど少し話をした後、「タクシー会社の電話リストは駅の案内でもらえますよ」と言って、駅の案内に行き、10箇所ぐらいタクシー会社の電話番号を印刷した紙をもらった。
    見ると、一番上に書いてある番号と、私がメモしてきた次に掛けようとした4番目の番号は同じだった。

    彼女がそこへ電話すると、その会社は営業していた。彼女はそのまま、タクシーを呼んでくれた。(私がメモしてきた4番目の会社がこの町では大手の会社だったようだ。)
    彼女が掛けたとき電話機を見ていると、最初の時0.7ユーロ、二回目の時1ユーロをカードから引かれた。
    私が、電話料をお支払いします、というと、そんなこと大したことじゃないです、といって受け取らないという。

    彼女のことを聞くと、日本文化を研究している学生で、この半年ほど日本の○○大学(大学名は伏せ字にしておく)にいて、最近帰って来たところだという。
    日本の山や自然はたいへんきれいで、日本人はたいへん親切だったという。
    タクシーが来るまで10分程度、立ち話をした。うちのかみさんとは、女同士、話が弾んだようだった。(日本語しか話せない妻とも何とか話になる。)

    程なくしてタクシーが来たので、お礼を言って分かれた。

    (続く)

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  • 14/08/03 14:53

    4)ボーヴェから「フランスの美しい村」ジェルブロワへ行く(その1)

    「フランスの美しい村」のリストにあるGerberoy(ジェルブロワ)はバラの美しい村として、日本でも比較的知られているようだ。
    フランスのテレビ「france2」が行った2012年度の「フランス人の好む美しい村の22か村」の視聴者投票で17位となっている。
    (エントリーする22か村は主催者側が選定する。17位というのはエントリーは出来たが、フランス人による投票結果は、上位ではないという認識でいいだろう。)

    この村は、公共交通機関利用ではすぐ近くの町まで行くバスがないので、レンタカー以外なら、鉄道駅からタクシーで行くことになる。(私は外国ではレンタカーを使わないことにしている)
    今回の旅行では、ボーヴェの町の観光と、ジェルブロワ村の観光(ボーヴェから30kmを超した程度)をセットで一日として計画した。
    (ジェルブロワだけなら、ボーヴェよりもう少し近い駅からタクシーを予約することができるようだった。)

    その日は日曜だったので、ボーヴェ駅から近そうなタクシー会社を多めに(といっても4社)電話番号を書き写して持っていった。

    (続く)

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  • 14/08/03 14:50

    3)ノルマンディーの「林檎の礼拝堂」(その2)

    カンからファレーズへのバスは約1時間かかる。
    ファレーズの観光案内所近くのバス停は、boulevard de la liberation。
    このバスは日曜休日は運休。
    観光案内所に着いて、料金(4ユーロ×2人分)の料金を払い、見学許可のペーパーをもらい、タクシーの手配を頼んだ。
    タクシーは片道12ユーロだった。見学時間を1時間と決めて、帰りにも迎えに来てくれるように、タクシーのドライバーに頼んだ。

    「林檎の礼拝堂」の正式名は  Chapelle St-Vigor-de-Mieux という。
    礼拝堂では、管理人がドアを開けて待っていてくれた。見学許可のペーパーを渡す。
    中は、白壁に、茶色を基調としたかなり大きい葉っぱが描かれた林檎の木が何本か描かれている。絵の具を重ね塗りしてその後線状に削り出して複数の色を出す技法が使われている。
    部屋は明るく、色が映える。天井の屋根瓦の一部に色づけしたガラス瓦が使われて、光がよく入っていることの効果もあるようだ。管理人の説明によると、このガラス瓦は作者の田窪さんが自ら作ったそうである。入り口に赤、青、黄、緑など6種類の色ガラスの瓦のサンプルが並べてある。

    床は5cmほどの厚さの鉄板で、 30cm角ぐらいのタイルのように切ったものが敷き詰められている。鉄板の厚さの小片サンプルが入り口においてあった。目地で止めてなく敷いただけなので、歩くと場所によってかすかにゴトンと音を立てる。鉄は日本の会社から購入し送付されたものだと説明された。完成後15年ほど経っているが、鉄の表面は普通の茶色の状態で、あまり激しく錆が進行していないところを見ると、耐食性のある鉄なのかもしれない。床の材料に、石ではなく鉄を使うことにしたのは、何か理由があるのだろうか。聞き漏らした。

    管理人が、デスクの本立てから一冊のグラビア印刷の本を取り出し見せてくれた。それは金刀比羅宮の会報であり、田窪さんが金刀比羅宮の白書院で壁画に取り組んでいる特集がしてあった。(日本で発行されたそのもの。田窪さんか誰かがここへ送ったか持ち込んだものだろう。管理人は日本語を解さない。)田窪さんは日本でも壁画に取り組んでいると説明しながら見せてくれた写真のページは、私が数年前に金刀比羅宮で見た光景そのものであった。(今はもう完成しているのだろうか。)

    周辺は農家がある村の中で、直ぐ隣の二軒のうち一軒は英国人、もう一軒は定年退職したフランス人が購入して農業をしているとのことだった。塀の中を覗くと、鶏などが飼われていた。

    この日は、このあとファレーズの自動人形館を観光したが、一日ゆっくり観光できた。

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    14/08/10 13:37

    Re: 3)ノルマンディーの「林檎の礼拝堂」(その2)

    こんにちは。いつもmamoruさんのフランス旅行記楽しみにしています。
    今年は林檎の礼拝堂に行かれたのですね!田窪さんの書いた「林檎の礼拝堂」という本を持っていまして、いつか行きたいと思っていました。このレポートを拝見し、本棚から探してまた読み始めています。

    あの小さな礼拝堂内部の、ダイナミックとも繊細とも思える、独特なタッチの林檎の木の絵も圧巻ですが、私はあの屋根の色ガラスで作られた瓦が観たいです。ゼリーのお菓子のような、パウル・クレーの絵のようなのガラス。何色ものガラスは、ガラス瓦募金でまかなったそうですね。透明の部分は空や鳥が見えて、色ガラスの部分からは光がその時々に変化して、古い素焼きタイルとの調和も見事なんでしょうね。本には、夜街頭もなにもない真っ暗闇の中で、礼拝堂からガラス瓦を通して漏れ出す光の写真もあり、そのシーンもまた見てみたいのですが、礼拝堂の近くには泊まれる宿などないと思いますので、これは住民の方々だけのものでしょうか。

    四国で田窪さんにお逢いしたとのこと!
    金毘羅宮とフランスですか~。不思議な縁を感じます。

    長々とすみません。レポートありがとうございました。

  • 14/08/03 14:44

    2)ノルマンディーの「林檎の礼拝堂」 (その1)

    今から5~6年前のこと、四国は香川県の琴平町にある金刀比羅宮(ことひらぐう、いわゆる、こんぴらさん)の奥書院が何十年ぶりかに公開されるというので見に行った。江戸時代の有名な画家、伊藤若冲や円山応挙などのふすま絵や壁画などが鑑賞できる順路になっていて、最後に白書院という所を見学するようになっていた。

    白書院では壁画として椿の絵を製作中であるとの説明文もあり、入ると画家が壁画の製作中であった。すでに全体の三分の一程度描かれた壁画は、うっそうとした椿のトンネルのような感じを出していた。
    その画家の人は、3mぐらい離れて書きかけのあたりをじっと見て、構想がわくと壁に歩み寄ってほんの少し色を入れ、また下がってイメージを頭の中で沸き立たせているようだった。私が見ている間に描いたのはほんの10cm×10cmぐらいだろうか。画家って、あんな風に作り上げていくんだね。

    一段落したようなので、私は彼の方に歩み寄って、「画家の方ですか」と声を掛けると、「そうです」との返事。私、「椿のうっそうとした感じがいいですね。伊豆大島や足摺岬の椿のトンネルの中にいるみたいな感じで、私はこの感じが好きです。」というと、「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。一般客にまでずいぶん謙虚な画家だと思った。
    絵の雰囲気、天井の高さまでいっぱいに描き込まれた感じが、インターネットで見た林檎の礼拝堂の絵と一脈通じるものがあると感じてはいたが、この画家がノルマンディーの林檎の礼拝堂を手がけた田窪さんその人だというのは後で知った。

    林檎の礼拝堂に行ってみたい気持ちはあったが、ノルマンディー方面は以前旅行したこともあり、私の旅行計画の中では林檎の礼拝堂に行く順番はなかなか来なかった。
    それから何年も経って、今回ようやく行ける運びになった。

    林檎の礼拝堂のホームページを見ると、6月から夏の間は開いているが、5月まではファレーズの観光案内所での予約が必要、予約した時間のみ開けるとある。このあたりを旅行するのは5月になるので、予約することにした。

    メールで予約を入れると、すぐ返信があり、メールで知らせた申込者名、人数、日にち、見学時間を記したpdfファイルが送られてきて、それを印刷してサインし、FAXなどで返信するようにとある。印刷してサインした後スキャナで読ませてword文書に貼り付けてメールで送り返すと、その後、確かに予約申し込みを受け取った旨のメールが来た。観光案内所に到着したらサインした契約書を持参し見せるようにと書かれている。(サインされた文書で契約するという考え方のようだ。)

    (続く)

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  • 14/08/03 14:41

    1)ルーブル・ランス見学(Louvre Lens)

    ルーブル美術館の別館が、北フランスの都市リールの近くのランス(Lens)という町に出来て、盛況らしいので、リールにいた日に電車で出かけた。電車の所要時間は40分程度。
    Lensには、パリからのTGVも停まるようだった。

    駅前からは無料シャトルバスがあるが、電車から降りたらちょうど出た後で、帰りの電車の時間が限られるので、ちょうど駅に客を乗せて来たタクシーに乗った。美術館に着くと、ドライバーはバス停の時刻表を指さして「帰りはあそこから無料バスがありますから」と、タクシーに乗った私たちをちょっと気の毒がるような感じだった。料金7ユーロ。

    美術館の入り口で入場券を買おうとすると、「今日は無料です」というので、ちょっとラッキーと思ったが、その後の説明で、美術館は次のイベントの展示のために準備中で、片翼は閉止中、半分を無料で見せてくれる期間だった。
    展示は、紀元前何千年のものから順に近代まで、100点程度を展示している。
    ドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」の油絵がここに来ていると何かで読んだが、見当たらない。係員に聞くと、あれはすでにパリに帰ったという。久しぶりに見ようと思ったが残念であった。(昔のフランスフラン時代に、100フラン紙幣にこの絵が使われていて、よかったんだけどね。)

    建物は日本人グループの設計ということだ。ガラスを多用して、人工照明が最少で天井からの自然光のような感じで作品が見られるのがいい。

    展示される作品の数はパリのルーブルのごく一部だし、特別展と言ってもパリのルーブルから持ってくるわけで、この地方の人が手軽にルーブルの所蔵品を見られるというメリットはありそうだった。
    旅行者がパリからわざわざここだけ行くほどのメリットは見つけられない感じだ。

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