レポート

パブリック・ビューイング

公開日 : 2014年06月26日
最終更新 :

 W杯も決勝トーナメントになると、名勝負が増えてきて、眠れなくなる日も増えてきますが、現在旅行中の方は、対戦国にいるならば、ぜひパブリック・ビューイング(PV)で楽しんでほしいものです。

 2004年のポルトガルで行われたユーロカップの時に、欧州旅行をしていて、パリからチューリッヒに夜行で向かう日にスイス対フランスの試合がありました。この時はどうやって調べたか覚えてないのですが、ラ・デファンスでPVがあるというので、メトロで出かけていきました。前半くらい見て、駅に行こうと考えていたのですが、でっかいスクリーンはあるのに、試合時間に近づいても人が集まりません。時間になっても始まらない。おかしい・・・・ふと気づきました。私は日本でメモった試合時刻を元に来たのですが、ポルトガルは・・・一時間時差がありました。一時間待つと列車に間に合わなくなるので断念。人が集まりつつある広場を後にしました。この時はスイスが健闘して、引き分けか、勝ちだったと思います。

 チューリッヒからベルリンへの飛行機の中、今日はドイツ対オランダが行われます。今日こそはリベンジを・・とベルリンの地方紙を眺めていたのですが、何とかfernsehen(最近はdie Public-viewingとドイツ語でもそのまま英語風に言うみたいですが、当時はドイツ語でした。)の会場が載っているではないですか。いくつか会場があったのですが、知った場所はただ一つ、ポツダマープラッツのソニーセンター。よし、ここにしよう、と決めました。

 ソニーセンターには四時間くらい前に着いたのですが、がらがら。イングランドのサポーターが何人かいるだけです。・・・イングランドのサポーターはまだ20世紀のころにドバイで見たのが初めてですが、本当に彼らは世界中に現れる。・・・・パリの例でも一時間前に来れば楽勝で見れると思ったので、暇つぶしにソニーセンターの映画館で映画を観ることにしました。ドイツ人監督に敬意を表して「デイ・アフター・トゥモロウ」。ちょうど一時間ほど前に終わり、劇場を出ようとすると、ものすごい人の流れ。えっと思い会場に行くと、なんと入場規制がされていて、もう入ることは出来ません。たまたま取材に来ていたZDFのそれは美しいレポーターを生で見られたのは良かったのですが、それだけ。・・・・諦めて宿の近くの飲み屋で見る羽目になりました。・・・で、結局、PVは経験できませんでした。今はそれなりにネットに接続すれば、もっと情報が得られますが、その教訓

0.現地語の「パブリック・ビューイング」という単語を早く知ること。
1.試合時刻は必ず地元メディアの発表に従うこと。
2.人の込み具合は上述のように場所によっても違うので、会場に何時間前から行って粘るか、いったん会場を離れる場合は、周りのジモティに聞いてどのくらい前に来ればいいか必ず確認すること。
3.今回はイングランドは敗退しましたが、顔に赤の十字を塗ってみているかも知れないイングランドサポーターには必ず敬意を払うこと。

 ということで、ジモティと共に精一杯楽しんできてください。

 

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1件のコメント

  • 1978年のワールドカップのとき

    ここ

    http://en.wikipedia.org/wiki/1978_FIFA_World_Cup
    によると 6月21日、 オランダとイタリア ブラジルとポーランド そして ペルーとアルゼンチンの3試合を サンフランシスコのカウパレス

    http://en.wikipedia.org/wiki/Cow_Palace
    まで見に行きました。 そのころはまだアメリカではワールドカップはテレビで生中継をやってなくて、
    こういったイベント会場にいってクローズドサーキットのテレビで入場料はらってみるしかなかったのです。

    あのハーンの40メートルシュート ブラジルが勝ったあとのブラジルのサポーターの大騒ぎ、 そのあと大きなゴール差で勝たなければ決勝進出のないアルゼンチンの信じられない勝ち方とそのあとのアルゼンチンサポーターの大騒ぎ。 そんなことを思い出します。

    今年の正月チリにいってこの話をしたら、チリ人の友達は、あれはペルーが八百長をやったのだと今でも信じているようでした。 このスケジュールをみても Group Aの最後の2試合は同時にやったのに Group Bの最後の2試合は、アルゼンチンがブラジルの試合のあとにやるというのは作為を感じさせます  今はグループステージの最後はみんな同時と決められてますが、たぶんあのころはまだそういった決まりがなかったのだろうと思います。


    それからアメリカでは86年 第2次メキシコ大会(このときは行こうかと思った)あたりからスペイン語のテレビチャンネルで、全試合生放送 が はじまって、 94年のアメリカ大会あたりから英語でも放送が始まって、個々2,3回ぐらい(日韓大会あたり?)から全試合テレビで英語放送をやるようになりました。

    04年のポルトガルで行われたユーロカップ、最後にギリシャが優勝という大番狂わせがあった大会ですが、そのあとアテネにオリンピックを見に行ったのですが、 オモニアあたりで、 オリンピックのTシャツを買わないで、ギリシャ ユーロ優勝のシャツが セールになっていたので、買いました。

    うちの近所(LA)は イングリッシュバーと ブラジリアンバーがありますが、 両方ともこういった大試合のときは中にはいれないです。

    http://www.latimes.com/local/la-me-little-brazil-20140623-story.html#page=1

    まあここにあるようにブラジリアンバーはあるというよりあったというほうが、正解ですが。
    94年のブラジル優勝のときはVenice Blvd が 閉鎖になりました。

    今年はハモサビーチの友達がビーチでパブリックヴィウができるといって、自分らアメリカ人もサッカーみるようになったのかとびっくりしていました。

    日本ふがいなく(戦うという気合を感じさせなかった)負けちゃったけど、オレンジカウンティ在住のドイツ人ひきいるアメリカはドイツとあした大1番です。  わたしはアメリカが勝ってもそれほどおどろかないです。

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