お返事、ありがとうございます!!

Yarlan_Zeyさま
ぼうふらおじさま

え~、書き込み禁止になっていたのですか。驚きました。
それなのに、コメントいただき嬉しいです。

いただいた峠越えの情報は、私たちにとっては思わぬ収穫です。
お二人のお勧めで、もう迷わず、グリムゼルとフルカ峠のルートを行きます!

また、日没が21時だなんて、ずいぶん遅くまで明るいのですね。
とても安心しました。
宿泊も予定のブリエンツのままでいきます。
翌朝はゆっくりと、湖畔のレストランで朝食をとってから、
お天気がよければ、ロートホルンを楽しんで、
曇天であれば、湖船でインターラーケンまで、
雨でしたら、直行でヴェンゲンに行きたいと思います。

ヴェンゲンは、5年前に滞在し、とても気に入ったところです。
前回は、雲がとれずに、アルメントフーベルからの景色がすっきりしないので、
どうしてももう一度再訪したく、今回の旅を計画することになりました。
そこに行く手前に、初めての場所としてサンモリッツを加えたのですが、
そこからの移動だけでも、いよいよ充実したものになってきました。
ずっと先ながら、旅をつくっていく喜びを楽しんでいます。

ご経験豊富な皆様からのアドバイス、本当にありがとうございます。





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1件のコメント

  • 調子に乗ってまたまた蛇足・・・おヒマでしたら

    グリムゼル峠越えの蛇足に与太話です。

    第2次世界大戦のとき、ほとんど全ヨーロッパを制したヒットラーは当然のことですがスイスの掌握を考えます。特に地中海側の掌握にはアルプス越えの交通路を完全に手中に収めることは誰もが考えること。

    従属をほのめかして軍事的圧力を高めるヒトラー政権に対して時のスイスの将軍(といっても職業は銀行家ですが)アンリ・ギザンはもしナチスドイツのスイス進駐が行われるならば、全スイス軍をこの地に集結させて、グリムゼルトンネル初め、シンプロントンネルを爆破して徹底抗戦するとの決意を示しました。

    交通の要衝であると同時にスイス建国の地アルトドルフとは隣り合わせの山岳地帯です。この地を押さえればスイスは東西南北の通り抜けは出来ません。 得るものと失うものとの差に気付いたヒトラーはスイス進駐をあさりあきらめ、イタリアへの輸送を妨害しない・・という約束だけでにしたそうです。

    ちなみに ギザンの名はジュネーブの通りの名前に残っています。

    もうひとつのついでに。 EU諸国の泣き所は乾季である夏の渇水です。 そこで目を付けたのがグリムゼル峠のマイリンゲン側の谷を丸々ダムにすること。 もちろん再三再四の働きかけに環境と観光(どっちが先でしょうか)を重視するこの国が応ずるわけがありません。

    これ以上峠越えの道路を拡充することも拒否しています。その代わり、今まであるトンネルをより長く掘りなおして時間を短縮するからスイスを通過するならトラックも線路を利用しろ・・とがんばっています。

    駄言多謝。  

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