ここまで日本で広まっているのは もちろん、日本だけではなく、ヨーロッパでも脚を持つ人たちも、中にはいるでしょう ただ、日本は脚で広まりすぎ、それに右ならえしすぎ それが「正しい」と思っているのでしょう ここまでこの持ち方が広まっているのは、ここまで「この持ち方が正しいマナーでありなるべくこの持ち方をすべきである」という考えが広まっているのは、日本だけかと思います。 尋常じゃないのはその「広まり度」です どっちが本当は正しいマナーかということはさておいて、 欧米では、この持ち方に対しての考えや実際の作法で必ずしも広まっていない/定着していない現実を見ると、日本人はこの部分について、独自に「脚をもつのはマナー上、極めて重要」という考えを発展させてきたのでしょう。
Re: ここまで日本で広まっているのは 確かに持って飲んでたかは見なかったのですが、脚もってクルクルまわしてる人は1人見ました(脚もたないとクルクルまわせないですし)、その方は外国人の私からみてても、そうとうなワイン好きそうな感じでした。 ワイン好きさんの中でもいろいろ違うようです。私にこの料理にこのワインが合うよと勧めてくれた見知らぬ現地のおじさんはグラス持ちでした(ビストロで小さめのグラスでした) 私も異様に日本ではワインマナーに関してワインマナーっていうのを日本人の多くが気にするほど、こうあるべき、こうじゃないと恥ずかしい、マナー違反、格好が悪いっていう感じで植えつけて広まってる気がします。だから右ならえしちゃうのではと。 >欧米では、この持ち方に対しての考えや実際の作法で必ずしも広まっていない/定着していない現実を見ると、日本人はこの部分について、独自に「脚をもつのはマナー上、極めて重要」という考えを発展させてきたのでしょう。 ↑ そうなんですね。そんなに欧米ではうるさくいってないんですね。単に持ちやすいように飲みやすいように飲んでるって事で、マナーうんぬん考えてワインに接してなく自然に飲んでるって事でしょうか?ヨーロッパの方に「ワインマナーって知ってる?」って聞いてみたらどんな答えが返ってくるのかな? 確かにすごく重要度してると思います。私もワインマナー重視でしたし。。。(周りのワイン好きさん他から何も知らないって思われるのが嫌だったのかも) ワインマナー重視してる日本の方も、あまり重視してなさそうな外国の方も美味しくワインを飲めればいいって事が一番の基本であろうと思います。これからはやりやすいようにやってみます。
日本におけるワイン文化とフランス料理・・なんちゃって お話が弾んではおりますがもうひとつ見えてきませんね。そこでまたまた私なりの髪床談義をさせ手ください。 このごろはずいぶん改善されてはきましたが、外国人とくにフランスからのお客様がいちように嘆くのは日本のフランス料理はレベルは高いのにどうしてこんなに量が少ないのかということ。 まず味を見させてくれるのかと次を期待すると、なんと又違う料理の味見が続く・・。コース全体でも腹の足しにならない・・と。 これは 日本のフランス料理は上流階級?を中心に広がっていったため、和食それも懐石料理と同じ感覚で日本に定着したため、食欲の衰えてかつ舌の肥えた人々を相手に発達したのが原因とか・・。 そして日本でのワイン文化もそれに準じて根付いていったため、和食の作法(マナー)と同様に一種の<道>的な権威付けが加えられたのではないかと思われます。 いっぽうワイン発祥の地ではもともとこのお酒は日本で言えばドブロクであり、雑穀酒であり、芋酒でもあったもので飲み方に作法(マナー)があったとすればそれはいかにその味を損なわないで飲むか・・のルールだったに違いありません。 ただ時代が過ぎ、醸造方法が洗練され、ワインの選択が進むにつれランクが生まれ、飲む場飲む時、飲む人、呑み方によるルールが選別されていったと考えられます。 数万円、数十万円というワインが生まれ、そのための飲み方が誕生します。 こうしたワインではある意味飲むこと、飲む場が儀式であり、場を形成するとしたらそれはまさにルールの世界でしょう。 ワインのマナーはこうした形で形成し、日本へは先の高級フランス料理+懐石料理型をして伝播したとしたら いまの<かくあるのが正しい>・・?型の常識が定着したのも無理からぬと考えました。 今の日本のように 安いテーブルワインから焼酎型グラッパ、シャンパン(スパークリングワインを含めて)、炭酸注入方のシャンパンまがいまで各種のワインが巷にあふれている現在、どう飲んだら良いかはあくまでその飲む場がどこであるかに限定されることだと思いますがいかがでしょう。 そうなんです。 たかがお酒です。 おいしく気楽にいきましょう。 そうか この<気楽に>・・という点でマナーを気にするのが われわれ日本人なんですね。