あえて異議をとなえます。 もうすこしきちんと調べてお書きなさい。

さすけねえどの

この事件はそんな単純なお話ではありません。

雪洞を掘ってしのげば吹雪は止んだ・・・などという普通の吹雪ではなく、何十年に一度の寒気団の中での殆んど寒冷地での移動経験の無い状態での(そのための情報収集が目的だった・・・)お粗末な装備という状況下で起きた悲劇です。

しかも最初の段階の大雪での行動不能におちいった段階で、雪洞を掘っての野営を試みますが、その時点ですでにシャベル、燃料、食料等をなくしており、そのまま野営することが困難と判断して戻る途中での更なる遭難と聞いております。

つまりその時点で帰営しようとしての行軍ですから、兵隊を無理やり歩かせたといってもある意味やむを得ない措置といえませんか。 その途中での混乱下ではすでに統率を失っております。 

現在の登山装備でさえ雪洞での滞在は疲労凍死につながることもあるのですから、ラシャ地の外套がせいぜいの彼らが助かる確率はそうそう高くはありません。

あんまり簡単に一括りにするのは いつもの事ながら貴方の悪いくせです。

>日本の兵隊、特に下士官は判断力が無かったようで・・・は誤りです。 日本の軍隊は優秀な下士官で持っていたと言うのが世界の戦史研究家の定説だと聞いたことがあります。

ここの局面での戦闘ではその場の判断を下す下士官がシッカリしている方が勝つのは、あなたもご存知の昔の米国製TV映画のサンダース軍曹でも同じことです。

武器の生産が追いつかずに緒戦の有利さを日本は失った・・と言われていますが、実はそれを使いこなすベテランの最小先頭集団班の中心のベテランの軍曹、曹長・・いわゆる下士官を最初の1-2年で全て使い切ってしまったことです。

貴方が言われるような経験のある上官・・士官はこの時点では育っておりません。

もっと調べてお書きください。 古いこととはいえ死者に対して失礼ではありませんか。

ついでに書きますが この件に関してはいつもの・・おひゃらかした書き込みはご遠慮ください。






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1件のコメント

  • 10/01/08 10:55

    日本最低記録

    この年に日本の最低記録氷点下41度が旭川で記録されています。この記録はいまだに破られていません。
    対露戦を予想した訓練でしたが、不運な事でした。

    私もー40度を目指しています。第二シベリア鉄道で何時か真冬に行こうと思っていますが、衣類もそれなりに準備しますので八甲田遭難は調べてあります。
    しかしあの時と違い短時間ですから比較になりません。

    今度の年末にも遭難がありましたが天気予報で西高東低の気圧配置が長く予想され暴風雪がわかっているのに奥穂高へ行くのは死にに行くようなものです。
    私にはみな50歳前後の中高年なのが意外でした。しかし遭難があるだろうとは大体予想はしていました。
    山へ行く人は天気図の見方を知らないといけませんが、わたしが現役の時にもただがむしゃらに行く人はいました。
    あとゴールデンウイークに薄着での凍死も毎年の事ですね。

    私が気象に興味があるのは山登りとかなり関係しています。
    なお今回キリマンジャロへ登った時は毎日無風快晴でガイドから何度も上は寒いと言われましたが赤道直下の頂上で5度でした。
    私は現役時代には国内ですが天候不良で引き返した事もあります。
    耐寒訓練をすると平地でも行動範囲がかなり広がります。帰国後も毎朝一番温度が下がる日の出前に歩いています。
    11月の南極は掲示板の誰よりも綺麗なものを見たと思っています。

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