Re: 好きです~新田次郎

時代という物は、物事の善悪や失敗を教えてくれます。

弘前の連隊は、疲れているのに兵士を歩かせて体力を消耗させた。

もし、雪洞を作って夜を明かせば、吹雪も止んだでしょう。

日本の兵隊、特に下士官は判断力が無かったようで、上官のいや恐れ多くも天●陛下のご命令を忠実に守ることが正しく、脇目も触れずに死に向かっていったようです。

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2件のコメント

  • ついでにもう一件訂正?

    さすけねえさん、

    遭難したのは青森の連隊ではなかったでしょうか?
    弘前隊は少人数で事前準備を怠らず、逆コースをたどって無事訓練を終えていたと思います。(映画では高倉健さんが引率の士官)

    青森連隊は結構な上位の軍人が「じゃあ私も行こう」と言い、船頭が多くなり指揮系統の乱れも一因とか、また一般の兵隊も「酸ヶ湯に泊まるから手ぬぐいを持って行こう」と言う気楽な気分だったと・・・記憶しています。

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    Re: ついでにもう一件訂正?

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    内蔵助さん今晩は~~~

    つまり、素人だったということですね。

    さすけねえの父は18年前に死にました。

    今日、シベリアの捕虜に見舞金のニュースを見ました。

    死人は該当無しのようです。

    親父は金に不自由しない人生でした。

    例え、その金をもらっても金銭的には恐らく喜ばなかったでしょう。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100109-00000539-yom-pol

    所詮大日本帝国はお終いです。

    天●陛下万歳!

    親父は、昭和天●下血の時に市役所に記帳に行きました、さすけねえが崩御前に死にそうだからと市役所まで送ってあげました。

    親父が死んだときは、弔電の1本も来ませんでしたがネ。

    八甲田山で死んだ兵卒の多くは、まさか軍隊の訓練で死ぬとは思わなかったでしょうネ。

    恩賜の義指を三笠(旧戦艦の博物館…山本五十六のかな?)でみましたが、多分その当時の兵隊さんも生き残ったら同様に、死んだらそれ相当の恩給は出たのでしょう。

    さすけねえの母の母の弟は、世界で始めて関節が曲がる義足を作ったT・Jという人でしたが、その当時ドイツに渡り、義足の勉強をしたそうです。

    さすけねえが子どもの頃、結構な年でしたが田舎に遊びに来ては、「さすけねえはパンにバターを付けすぎだドイツでは…」という人でした(笑)。

    さすけねえの家は、子どもの時から朝食はパンで「バターは薄く付けて(笑)」…今でもそれを引きずっています(バターはたっぷり付けたことはない+当然マーガリンなどのまがい物は付けない+買わない)。

    しかし、今考えると大叔父のT・Jが財をなしたのは戦争のおかげだったのかも?

  • あえて異議をとなえます。 もうすこしきちんと調べてお書きなさい。

    さすけねえどの

    この事件はそんな単純なお話ではありません。

    雪洞を掘ってしのげば吹雪は止んだ・・・などという普通の吹雪ではなく、何十年に一度の寒気団の中での殆んど寒冷地での移動経験の無い状態での(そのための情報収集が目的だった・・・)お粗末な装備という状況下で起きた悲劇です。

    しかも最初の段階の大雪での行動不能におちいった段階で、雪洞を掘っての野営を試みますが、その時点ですでにシャベル、燃料、食料等をなくしており、そのまま野営することが困難と判断して戻る途中での更なる遭難と聞いております。

    つまりその時点で帰営しようとしての行軍ですから、兵隊を無理やり歩かせたといってもある意味やむを得ない措置といえませんか。 その途中での混乱下ではすでに統率を失っております。 

    現在の登山装備でさえ雪洞での滞在は疲労凍死につながることもあるのですから、ラシャ地の外套がせいぜいの彼らが助かる確率はそうそう高くはありません。

    あんまり簡単に一括りにするのは いつもの事ながら貴方の悪いくせです。

    >日本の兵隊、特に下士官は判断力が無かったようで・・・は誤りです。 日本の軍隊は優秀な下士官で持っていたと言うのが世界の戦史研究家の定説だと聞いたことがあります。

    ここの局面での戦闘ではその場の判断を下す下士官がシッカリしている方が勝つのは、あなたもご存知の昔の米国製TV映画のサンダース軍曹でも同じことです。

    武器の生産が追いつかずに緒戦の有利さを日本は失った・・と言われていますが、実はそれを使いこなすベテランの最小先頭集団班の中心のベテランの軍曹、曹長・・いわゆる下士官を最初の1-2年で全て使い切ってしまったことです。

    貴方が言われるような経験のある上官・・士官はこの時点では育っておりません。

    もっと調べてお書きください。 古いこととはいえ死者に対して失礼ではありませんか。

    ついでに書きますが この件に関してはいつもの・・おひゃらかした書き込みはご遠慮ください。






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    10/01/08 10:55

    日本最低記録

    この年に日本の最低記録氷点下41度が旭川で記録されています。この記録はいまだに破られていません。
    対露戦を予想した訓練でしたが、不運な事でした。

    私もー40度を目指しています。第二シベリア鉄道で何時か真冬に行こうと思っていますが、衣類もそれなりに準備しますので八甲田遭難は調べてあります。
    しかしあの時と違い短時間ですから比較になりません。

    今度の年末にも遭難がありましたが天気予報で西高東低の気圧配置が長く予想され暴風雪がわかっているのに奥穂高へ行くのは死にに行くようなものです。
    私にはみな50歳前後の中高年なのが意外でした。しかし遭難があるだろうとは大体予想はしていました。
    山へ行く人は天気図の見方を知らないといけませんが、わたしが現役の時にもただがむしゃらに行く人はいました。
    あとゴールデンウイークに薄着での凍死も毎年の事ですね。

    私が気象に興味があるのは山登りとかなり関係しています。
    なお今回キリマンジャロへ登った時は毎日無風快晴でガイドから何度も上は寒いと言われましたが赤道直下の頂上で5度でした。
    私は現役時代には国内ですが天候不良で引き返した事もあります。
    耐寒訓練をすると平地でも行動範囲がかなり広がります。帰国後も毎朝一番温度が下がる日の出前に歩いています。
    11月の南極は掲示板の誰よりも綺麗なものを見たと思っています。

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