ひょんなとこから 初めて知った玉電!読み方は、 「たまでん」でいいのかな? まさかのぎょくでんだったら失礼しますm(__)m。 なんだか名前も可愛い感じ♪ 田舎者故、関東の鉄道網にかんしては 今も昔も旧国鉄も私鉄も???なんすが、 嘗ての客車を再利用してる観光スポットって 全国各地に結構あるのでしょうか? あと、玉電含め懐かしの廃止路線にも 面白いエピソードがあれば教えて下さいませ。
謎の放置車両? 琵琶湖線彦根駅「水色いちばん びわ湖」 タマゴタマゴさん みなさま こんばんは みなさん意外に鉄ヲタだったようで(笑) そうなんですよね~、世田谷線・荒川線の路面電車は、さしたる用事がないのに乗りたくなります。 走る車両博物館との広島電鉄も気になります。 当たるとすごい車両に乗れるんですね? さて、京都に所用あり、いつもなら東京から新幹線でまっすぐ行くところを、米原で琵琶湖に乗り換えて遠回りしてみました。草深い田園風景の中を彦根・安土・石山など歴史に登場する地名に停車しながらノロノロ(新幹線からだとそう感じる)進む電車に和みました。たった1時間の遠回りがこんなに楽しいとは! 乗り鉄の気持ちがちょっとわかったような気がします。 と、前フリはここら辺で、本題は琵琶湖線彦根駅にあった謎の車両です。 展示って感じではなく、放置って風情なんです。 どことも繋がっていないうえに草ボウボウの線路に置かれた謎の車両。 車体には「水色いちばん びわ湖」とあって、正面には、スワンボートをデフォルメしたと思われるイラストが。 私が乗った琵琶湖車両ともすれ違った銀色列車とも違う明るい水色です。 しかも古びています。 このトピックを思いだして、写真も撮ってきましたよ。 http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/19660/ 琵琶湖線はかつて水色だった? その時代を偲ぶイベントか何かに使われた車両なのでしょうか? どなたか、事情をご存知の方、推測できる方がいらっしゃいましたら、教えてください。 では!
玉電雑考 玉電は、軌道法に基づき玉川砂利電気鉄道として申請され、玉川電気鉄道として営業が開始されました。 申請名のとおり、旅客用ではなく貨物用のもので、,多摩川の砂利を東京の建築土木の素材として運ぶのが主目的で、関東大震災後の東都復興に活躍したことが記録に残っています。 終戦前くらいから貨物輸送としてはその使命が終わり、以降は旅客輸送が中心となってきました。 玉川電鉄が東急傘下に入り、東急玉川線となり、地下化に伴い廃止されましたが、支線が世田谷線として残り現在に至っています。利用者などは昔風に「玉電」と呼ぶことが少なくなく、駅名にも昭和40年代まで「玉電○○」というのが残っていました。 読み方は、「たまでん」で「ぎょくでん」とは呼ばれませんでしたが、設置目的などから「じゃり電」とは呼ばれていました。 車両は、その形状等から「芋虫」とよばれていたそうです。(青がえるは東横線の車両だったと思います。) 宮の坂駅前には、江ノ電から里帰りした旧車両が静態保存されています。 現在残っている世田谷線は新式車両となり走行路線等も含め。軌道電車-路面電車というよりLRTといった感覚になっています。同じ軌道電車として残っている都営荒川線のほうが路面電車のイメージが残っているように感じます。 環状7号線を横切るときは、踏み切りで電車が信号待ちをしているというちょっと珍しい光景を見ることができます。
元々は砂利運搬だったんすか! ウヮー、詳細ありがとうですm(__)m。 関東大震災の時代って・・・・・ 凄い歴史がある路線だったんすね。 芋虫やら青蛙やら、 車両そのものの特徴や地元の利用者の愛着があったんだろうと推測します。 みんなから愛称で呼ばれる電車ってなんかいいなぁ~♪
いやはや自分の勘違い。 失礼しました。 あれ、、そうだったかな?で 他所での画像の類を見てみました。 なるほど青蛙は確かに東横線でした。 自分のイメージは緑と薄黄色の「芋虫」 (ステップが出る奴。でも下高井戸には 来なくて二子玉方面専用だったような) をコレと記憶の入れ替えをしていました。 記事を読むうちにも記憶と言うより 思い出の様なものが出てきました。 当時は帝都電鉄と銘打った京王にも 青蛙を少しハンサムだか豚面にしたようなのが 新鋭の5000系と一緒に走ってましたっけ。 昭和は遠くなるばかりですが、スレによっては 毛色の違う風が吹いている場所と離れてたまには 異国の旅とは違う鉄道話も良いかななどと思った次第です。 良い旅が皆様にありますように。
広島電鉄の路面電車 タマゴタマゴさん、こんばんは。 最近でこそドイツ製や国産の新型車両だらけに なってしまった広島電鉄の路面電車ですが、 以前は「走る鉄道博物館」と呼ばれ、 全国の廃線になったチンチン電車を たくさん走らせていたものでした。 被爆電車を走らせていたりもしました。 そういう車両にあたると、本当に懐かしいにおいを感じるものです。 最近は…というと、やや味気なさを感じたり^^; でも基本「オタク」なので、どんな車両であれ乗るのは好きなんです。 このところ車で出かけることが多く、めったに乗る機会がないのですが、 今日久しぶりに乗ったので、ちょっとうれしくてカキコしてみました。 渋谷のあれ、そう、東横線ですよね。 以前行ったとき、鉄オタのダンナが教えてくれました(笑)
わー、懐かしいです ねこにゃん♪さん、タマゴタマゴさん、みなさま、こんばんは。 広電のちんちん電車、懐かしいです。もう20年は乗ってないかも・・・ですが 最近はドイツ製(!)や新型車両だらけなんですかーー。 広島駅から八丁堀の方に買物に行ったり、西広島(己斐)から横川の方に向かったり(メルパルクに行くときに乗ったような気がする)、あと、好きな男の子と広島から宮島口方面に帰って行くときはJRじゃなくて、わざと時間のかかるヒロデンに乗ったりなんかしてーー(^^) 広島電鉄という言葉から、あの頃の懐かしい思い出が押し寄せてきました。 機会を作って乗ってみようかな、そんなことはしない方がいいのかな。 東京だと、話題にあがった世田谷線と早稲田から出てる都電荒川線、両方とも用事もないのに乗ったことがあります。荒川線は普段なじみのない所を通っていくので面白かったです。。。って。わたし別に「オタ」じゃないはずなんだけど、あれ??
チンチン電車!この響きにも憧れが~っ♪ ねこにゃん♪様、こんにちワンっ! 広島のヒロデン? 以前は走る鉄道博物館とな? いやぁ、随分と心憎いことやってたんすね~。 廃線ファン?の心をワシ掴みじゃないっすか! 被爆電車ですか・・・鎮魂の思いで乗車したり目にしたりの 人達もいたでありましょうね。 歴史の動く証人でもあったわけだ・・・。 最近はドイツ製の車両ってのも、 時代の流れなんでしょうか・・・日々利用するものなんで 益々便利で快適になるのは嬉しい反面、寂しかったりもするんでありましょうね。 cokemomo様、 へへっ、アッシも北海道の田舎からワザワザ出て来て 用も無いのに都電荒川電車に乗ってしまいましたーっ! いぇいぇ、決して乗り物ヲタでは御座いませんが。 でも、普段の生活で全く縁の無い範囲をそこに在る交通手段で 動いてみるのって日本に限らず、外国の街でも 何だかワクワクして(やっぱり少しは乗り鉄の血が混じってる?) 愉しいもんですなぁ。 広島のヒロデンも楽しみ♪になって来ましただ。 情報ありがとうです。
雑談的に失礼します。 一種の地元話題みたいみたいなものですみません。 玉電は実家の隣駅から出ていて小学生の頃、 渋谷に遊びに行く時はコレか井の頭線の どちらかを使っていました。 車両の愛称が「青蛙」だったり、車窓の日よけまで 総木製のものがあったりの味深い路線で。 現在でも下高井戸-三軒茶屋間で世田谷線の名称で 二両編成のが走っています。東京の大手私鉄の中では 輸送力無視の特異的な路線かもしれません。 ところで別項で渋谷の玉電というのがありました。 自分の場合、帰省時の経路で渋谷にて乗り換える事も ありますが20年近くは「降りた」記憶がありません。 ハチ公近くに展示されているというのは初耳でした。 同じ文字を見て年代や人それぞれの個性で違う 見方、切り口になるのだなあ、と思いました。 旅そのものや掲示板への書き込みスタイルも そういうものかもしれませんが、いずれにせよ タマゴタマゴさんにも良い旅がありますように。
年代、個性の他に・・・ こんにちはです。 書き込みありがとう御座います。 多分、都市部で生まれ育って ○○電車や、○○鉄道が生活に密着しているが為に 極普通の風物になっていらっしゃる方には、 公共交通機関への興味がちょっと不思議かもしれませんね。 北海道で程よく田舎だと 私鉄電車は勿論ですが、地下鉄も路面電車も 普段の生活圏では経験出来ず、正に どこか遠くの都市へ出掛けた時にしか 体験出来ない乗り物なんです~(笑) 程よくと言うか中途半端な田舎では、 免許を取って車を所得しちゃうと もう何処へ行くにも必然的に車なんすね・・・・・ 自分の場合は日帰りで往復500キロ圏内は 真冬以外は車が当たり前の感覚となってます。(ドンだけ田舎だよ!) なので、旅先で 動き回る足となる 公共交通機関は国内にしろ海外にしろ 普段は縁が無い田舎者の 旅の楽しみの1つでもあります。 今は無き嘗ての電車も ネットで写真を探して眺めてみると とっても素敵なモノがあってビックリ! 電車の車両1つ取っても 現代のものよりずっと個性と味があったりなんすね~。
渋谷の車両は玉電ではない?そうな・・・ 確か泊まれる車両ってのが、 岩手の雫石付近にあったような・・・記憶違いかな?
Re: 渋谷の車両は玉電ではない?/東横線ですよ タマゴタマゴさん みなさま こんばんは 渋谷駅ハチ公口に展示してあるのは、初期の「東横線」車両ですよ。 「東横線」は、今も昔も東京横浜電鉄(東急)の看板路線。 展示車両の正面のプレートには「澁谷ー櫻木町」とあり時代を感じます。 次回の渋谷探索の際には、ぜひお立ち寄りください。 若い人はよほどの鉄ヲタでないと知らないと思いますが、 「玉電(玉川線と呼ぶこともある)」とは、かつて渋谷と溝の口をつないでいた路面電車のことで、「東横線」とは別の歴史を背負った別の路線です。 廃止になったのは1969年のことだそうです。 60年代以前の渋谷世田谷界隈を知る世代にとっては、牧歌的な時代の象徴のようですね。 東京の電車・地下鉄網は、住人にとっても、もはやカオス状態です。 ネットの乗り継ぎ検索がなければ最短経路などわからんです(笑)。 近年、新路線開通、路線名変更、事業会社名変更などなどが相次いだこともあって、 世代がずれると、同じ電車を別の名前で呼んだりするから、会話が成立しにくかったりしておもしろいです。 私は「東京メトロ」と言うのが嫌で、いまだに「営団地下鉄」と呼んでしまいます。 営団地下鉄の正式名称は、「帝都高速度交通営団」なんですよ! 残すべき名称だと思うんだがなあ。 そんな諸々があり、旅行で東京に来られる方には、刺激的かつ混乱の電車体験となりましょう。 楽しいトピックをありがとう~ 全国のノスタルジック車両の情報を楽しみにしております。 では!