Re: ○熱病で亡くなった 日本人1号は福島の方だったと記憶しています よく知っていますね~~~、さすが~~~その頃何歳でした? あの方の実家知っていますヨ~。 道路を挟んだ反対側にナントカというガラスの美術館があっておみやげ屋があって、1000円札のタオルを1000円で売っていたのですよ(笑)。 阿漕な商売で笑ってしまった。 「松島 牡蠣鍋クルーズ」もいいですが、安い塩竃市営の連絡船で島に渡ってハイキングも良いところです。 大昔、春に菜の花がさいている自動車が通らない「桂島」の小道を一回りしたけど、今でも咲いているのかな~~~? http://nanohanabatake.sblo.jp/article/21816963.html
有名ですね~ さすけねえさん こんばんわです >さすが~~~その頃何歳でした? えーっと 黒船を見たのはたしか・・・・ ではないでしょ 小学生の修学旅行コースが 野口英世記念館・鶴ヶ城・猪苗代・五色沼です 当時はかやぶき屋根の上に 保護用のトタン屋根がかけられて屋外に建っていましたが 今は 立派な建物に納まっていますよね 中南米でも野口英世の功績を称えて、学校や通りの名前になっていますね 会津若松の「野口英世 青春通り」よりも古いです~ メキシコには銅像があるし ・1,000円札の写真はエクアドルで撮影されたらしい・・ パナマやキューバにも行っているけど、当時の科学技術で病原体の研究をするって大変だったのですね。 蛇足ですが キューバ・メキシコに到着した日本人1号は宮城県人です
野口英世記念館 http://www.noguchihideyo.or.jp/ ボツワナ人をホームステイしたときに高速で連れて行ったら、彼女は感激しましたね。 「生家が残っている!」 さすけねえとしては「古民家としての文化財価値」があると思います。 アフリカの人は知らない人は居ないとのことです。 帰りは大吹雪で磐越道を走っている途中で通行止。 下に下ろされ49号線に、ボツワナでは味わえない大経験をしたと喜んでいました。