LARA物資 下記のとおり、キリスト教徒が運動に深くかかわっていたようです。 <カリタスジャパンのHPより> 日本政府は、受け皿としてLARA救済物資中央委員会を設立し、 カトリックより日本カトリック復興委員会の委員が、中央委員会委員として任命される。 <http://www32.ocn.ne.jp/~abcq/lara/la-kyoukai.htm より> 日系アメリカ人で盛岡出身の浅野七之助が1946年1月22日に設立した 「日本難民救済会」から始まった運動は、日系人を中心に浄財を集め物資を購入した。 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A9%E7%89%A9%E8%B3%87 より> 反日感情が残るなかでの「アジア救援公認団体」認可に際しては知日派のキリスト友会員 (クエーカー教徒)の協力によるところが大きい。 なお、日本国内での物資配付にあたっては連合国軍最高司令官総司令部の意向により 日系人の関与について秘匿され、アメリカからの援助物資として配付された。 <http://www.a50.gr.jp/jp/lara.html より> 認可取得に当たっては、後にLARA中央委員会委員として継続的に活躍されたE.B.Rhoads女史 (1896~1979)の尽力が大きく貢献いたしました。 同女史は、1917年、21才の若さで東京フレンド女学校(現 普連土学園)の教師として来日。 またフレンド流(クェーカー教徒)の牧師として滞日していた