曼珠沙華雑考 ・・ 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は四倍体植物なので実(種)がならない。 球根があって、秋のお彼岸の季節に突然花茎を伸ばして花をつけ、その後から葉が出てきます。それで”花先花”、彼岸花。 この球根はかるい毒性がありますが でんぷん質ですので水にさらすことで解毒できるため昔から救慌植物として利用されてきました。 そのため畑を耕していて球根を見つけると畑の畦や用水の縁に投げておくので種が無いのに自然にそういう場所に増えていきます。 また洪水などで土と一緒に流されて日当たりの良い土手などに自然に群生します。 さて天保や天命の大飢饉の時はふだんは食べないこの球根を掘りあげて砕いて水にさらし、日に干したあと食べたとか。 戦争中(60年前の)の疎開先でこんな話を聞きました。 この花が何となく忌まれた理由はお彼岸に咲く花と言うこともですが、もう一つは昔の墓地に群れを為して咲いていたのも理由の一つです。 昔は土葬ですのであちこちから土を運んできて盛り上げます。 田畑の土を持ってくるわけは有りませんから当然曼珠沙華の球根の混ざった川べり土も運び込まれてそこで増えます。 激しい飢饉が無ければダレも食べませんから大抵の年は平和に花が咲いて球根が地中で増えていきます。 さーて 私の聞いたお話はここからが凄い。 天保・天明の大飢饉はどうも気候不順だけではなくてあちこちの殿様が収穫期前のお米の値上がりに目が眩みそれぞれの藩の備蓄米を先物で叩き売ったのが、余計ひどい飢餓状態を引き起こしたんだとか。 だから藩によっての飢餓状態が全く違っていたんだそうです。 流民となって他国に流れ込んでそこで餓死する人がたくさん出たそうです。 天候不順は全国的ですからそれぞれの地でも目イッパイの準備をしているので当然ながら曼珠沙華の球根なんかはすでに堀起こされていてよそ者の手に入るわけは有りません。 村はずれの墓地はこうした飢餓による行き倒れがたくさん葬られたんだそうです。 やがて飢饉が去りふだんの暮らしを取り戻した村人たちは助けられなかったこの人たちへのお詫びと、もちろん祟りを恐れてもあったでしょう、供養をすることになります。 こうしたことの一つにそれ以降つちからほりだした曼珠沙華の球根は村はずれの墓地に供えるようになったんだとか・・。 ですからこの花は死者の花、不幸な人のための花といわれるようになったとか。 迷わずにあの世(彼岸)へ行けます様にとの祈りもこめて。 それとあの時にあなた方に上げられなくてごめんなさいと言う気持ちもあったのかもしれません。 実は戦後のひどい食糧事情のなかでもあんまり彼岸花の球根を食べた人の話は聞きません。それでもそれから60年余。 この球根が食べられるということさえ記憶の彼岸へいっています。 食料自給率?%のこの国に生きる私たちは このきれいな花の向こうにある哀しい出来事をもしかしたらDNAレベルで思い出しているのかもしれません。 おしまい。