レポート

イタリア旅行の帰国報告とお礼

公開日 : 2012年06月24日
最終更新 :

イタリアに行ってすぐ、ボローニア近くで地震がありましたが、列車が遅れた位で、支障はありませんでした。真っ黒に日焼けして帰ってまいりました。
皆様からアドバイスを頂いたお礼と無事の帰国をご報告いたします。
悪名高い、タラントの旧市街、ナポリのバス、トラム、地下鉄も被害にあわず。悪人そうな人は分らず。尤も、こちらが貧乏なのだから、狙われないか。イタリアの乞食は可哀そうとはとても思えないのが多い。若いのがナイキの靴を履いて携帯をかけながら帽子を出している。職が無いのか、労働が嫌なのか。電車賃まで呑んだのか。モスタル(イタリアの対岸)には、子供を5人連れたガリガリに痩せた母乞食がいた。しなびた乳を咥えた赤子は出ない乳に泣く力さえない。子供の顔から、父親は皆別々である事が分かる。誰の子でも、母親には我が子。ボスニアヘルツェゴビナ紛争から大分経ったが、蹂躙の痕は至る所に残っている。可哀そうなので、持っていた菓子の残りを子供にやりました。
イタリア人は、高田純次と釣りバカの浜ちゃんとダチョウ倶楽部の上島を足して3で割らないような人間ばかり。利害が絡まなければ至っていい人でした。
例えば、バスの運転手。車内禁煙なのですが、タバコを吸いながら携帯をかけながら運転。遅れているのに、隣のバールでコーヒー。途中の広場で、30分待って、別から来たバスと合流して乗客は一台に移して、一台は運転打ち切り。親しいおばさんが乗ってきて、しばらく乗車口で世間話をして、後ろの人はつかえて乗れない、後ろは乗せないまま発車。商売敵のバスと高速道でカーチェイス。
いいこともありました。僕と家内は間違えた駅に降りて、駅前に止まっていたバスに、「ここに行きたいのだ」と言ったら、早く出て、貸し切り状態で20分も走って、「ここで4番のバスに乗ればいいと」言ってバス賃も取らなかった。
南イタリアの田舎は英語は全然通じませんでした。ホテルでさえ全然。モーニングコールもブレックファーストも通じないのです。通じないので、レセプションの人は紙に書いて見せるのだけど、もっと判らない。同じローマ字圏の人なら語源が近いので、多分、書けば、通じるのでしょうね。
マルコポーロ3さん、  ダルマチア海岸バスの右側に乗って南下しましたよ。
東さん、JORGEさん、たびとーくさん、ひろろんさん、Kあこさん
列車は都合22回、中長距離バスは16回、フェリーは5回乗りました。ユーレイルパスはイタリアの場合、得にも便利にもなりそうにないので結局買いませんでした。FSのチケットレス、セルフサービス、現地買い、色々試してみました。安いのは早割のような「MINI」の予約。駅が混んでいる場合はチケットレスがいい訳ですが、そこまでの予想は難しいですね。一両編成のローカル線は切符の車内販売がありました。便座のないトイレの穴からレールが見えました。
ぐら姐さん、みどりのくつしたさん、マシューポテト2さん、春ゼミさん、とんととんたさん、domenicaさん、ふいりっぱさん
サンマリノは最高でした。アルベロベッロはツゥルリのB&Bに泊まりました。
タオルミーナの北のカステルモーラも綺麗でした。
ショレッリさん、alfronさん
カタンザーロへのカラブリア鉄道もケーブルカーも運休したまま倒産した様子でした。FS線も廃線。バスも来ないので、白タクで行きました。    
Da pepe vecchia hostaria は残念ながら閉まっていました。Pizzeria Topolinoのピザはすごく美味しかった。
みなさん貴重なアドバイスをありがとうございました。

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