09/08/15 08:59

Re: 先輩に 「礼」

ありがとうございます。
8月15日の玉音放送はよく覚えています。暑い日でしたが私にはすぐ負けた事だとはわかりませんでした。
その後まもなく復活した天気予報は印象的でした。

8月14日夜の最後の熊谷空襲も空が赤くなるのも印象に残っています。1週間くらい厚木の海軍航空隊の戦闘機が日本は負けていないとビラをまいていました。

しかしロシアへは3度行っていますがあの国は昔からずるいです。結果論ですが1ヶ月早く降伏していれば原爆も北方領土問題も起きなかったのにと思いました。それも今だから言えることです。

まさか海外へ自由に行ける日が来るとはまったく想像もできませんでした。あれから60年余どんなに今の政治が非難されても日本に関する限りあの時よりはるかにましな世の中です。

あのころでしたら海外へ行きたければいくらでも行けましたが命がいくつあっても足りません。
私もあと5年早く生まれていましたら今はこの世にいないかもしれません。
いとこが熊谷陸軍少年飛行学校を出て戦闘機に乗っていましたので私もあこがれていました。満蒙開拓義勇団にも入ろうかと思っていました。

一番若い人では俳優の小沢昭一さんが昭和4年生まれで陸軍幼年学校へ入られたと聞きました。
私は家の防空壕で米軍F6F艦上戦闘機の機銃掃射を間近で受けたのが思い出です。

何の目的もなく海外へ行くのはやめたほうがよいとお説教を言える時代のほうがはるかに良いです。
人間が消耗品の時代は2度と御免です。生きていて良かった今はそう思います。
しかし軍歌や行進曲は戦争に関係なく今でも好きです。時々インターネットで聞いています。今の歌はあまり覚える気がしません。

平和平和と唱えていれば平和がくると思っているおめでたい人がいるのは残念です。本当に戦争に反対する人はごく少数とは言え軍人の中にいます。
いつも生きがいを持って生きていますので考え方はだいぶ変わりましたが元気な今があります。今でもやりたい事が多すぎて時間が足りません。

ようやく1ヵ月後に出発する世界一周の主な部分の手はずが整いました。今は日本のパスポートのありがたみをかみ締めています。
逆に戦争に勝っていましたら植民地の経営に手を焼いていたかもしれません。個人でも国でも失うものがないのは強みでもあります。

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