Re: Re: Re: ロシアにて~最終章~「奇跡の木造教会」/とうとう行かれたのですね!

はじめまして。

6月にロシア行きを予定していましたが、都合で9月出発に変更しました。
お帰りになったばかりのようで、お伺いしたいことがいっぱいあります。

旧ソ連の国々は厳しいとのこと、どのように厳しいのですか。具体的にお教えいただけないでしょうか。

以前、入国審査が厳しいと聞いて、この掲示版でうかがったところ、大丈夫だった、スムースだったという方と、審査官がグズグズしていて一人あたりに時間がかかる、身体検査が執拗だったとか、いろいろでした。
今回、いかがでしたか。
大手旅行会社主催の9日間のツアーで行きますが、簡単にはいかないでしょうか。

ところで、京都の件ですが、
近所に京都から引越ししてこられた生粋の京都人の奥様に振り回された経験があります。
悪口のつもりではないのです。言葉です。
当番だったので、町内会の共同購入品の(灯油)回覧板を持って行くと、彼女いわく「へえ、おおきに、かんがえとくわ」と言われたので、当番域を廻ってから、又行き、どうされます?と聞くと「考えとくいいましたやろ」というのです。数日して又行き、考えてどちらにします?と聞いたら、あきれ顔されました。
「考えとく」というのはお断りなんですね。似たような感じの言い回しに慣れるまで、「京都の人ってなんだろう」と思ってしまいました。でも、今は懐かしい思い出です。

円山公園の桜、平安神宮の桜、哲学の道の桜、東福寺のもみじ、大好きです。二度と行きたくないのは祇園祭りのころの京都。あの暑さは日本一ですね。

  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • 入国審査

    あぁ、いますね。こういう人。
    京都では、家に来たお客が長居していて、
    「ぶぶづけでもどうですか?」
    と家人に言われたら、「帰れ」という意味らしいです。
    京都の人たちは、結構遠まわしな言い方が多いですね。

    なにぶん古い文化があるからか、クセはあります。
    なかなか一言では語れませんがね。

    僕は宇治在住で京都市内在住ではないのですが、逆に東京に行くと
    東京の人とは心底合わないと感じました。

    道を尋ねたりしても、長々とどうでもいい理屈と自己の都合を並べ立て、結局知らないとおっしゃる。
    知らんのなら知らないの一言でいいのに。


    さて、ロシアの入国審査ですが、パスポート、ビザと出入国カードがあれば
    何も問題ありません。
    いたってスムーズです。

    ただ、パスポートをなくした時はかなり大変でした。
    パスポートがなければ出国やホテルに泊まることはもちろん、長距離列車や長距離バスに乗ることも原則不可能になるので。

    年末年始で休日の日本大使館に緊急電話して駆け込み、帰国のための緊急渡航書を発行してもらいましたが。
    それを手に入れて帰国するまでが一番きつかったです。

    小銃持ったロシア語しかしゃべらない警官相手にパスポートの紛失証明書発行を交渉したりしたときは
    警察内の牢屋を見せられ、
    「ここに入るか、金を出すか、どっちだ?」
    みたいな事を小銃をちらつかせてアピールしてくるし。

    今回のサンクトペテルブルグでは、出入国カードの出国のほうを紛失しまして。
    これがないと滞在登録が出来ない上に、ロシアの法律上出国が認められないという重要なものです。
    昔アメリカでI-94をなくしたときの経験から、行きの機内で予備にもらっていた
    新しい出入国カードを書き、駄目もとで出国審査官に一言謝って提出したら
    出国は出来ました。

    パスポートさえあれば何とかなる国ではあります。
    いずれにせよ、旅行会社主催のツアーであれば、何の心配も要らないとは思いますが。
    パスポートと出入国カードだけは絶対に紛失しないようにしてください。

    あと、ロシア人というのは優しいです。
    ただ、警官などの官憲がきついんです。
    ロシアに限らず、ウクライナやモルドヴァなどの旧ソ連の国で、結構痛い目に遭いました。
    今となってはいい旅の思い出ですが。

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    さっそくお答えいただきありがとうございました。

    少し安心しました。

    出入国カード、パスポートにホッチキスで留めてくれる国ありますが、ロシアはないのですか。

    無くさない方法は別の入れ物に入れて、腹巻にでも入れておこうかしら。
    そそっかしいので心配です。

    お金はドルからルーブルがよいでしょうか。

    実は、私の家(実家)の方は本籍京都府下京区なんです。
    父は戦中ハルピンに行きましたが、左肺浸潤で返されて、深草の陸軍病院に終戦までいたようです。
    まったく付き合いはなくなりましたが、今でも親戚は健在のようです。