レポート

アユタヤの日本人町

公開日 : 2011年12月29日
最終更新 :
退会ユーザ @*******

一般人、草野英信さんが、居住後の遺跡を発見したらしい。
大体の位置は想定されていたが、明確な遺物はなく、明確でなかったが、
今年1月、10年間のライフワークの後に、陶器片などを発見したとのこと。
凄い人がおりますがな。この掲示板にもいろんな凄い人が居るけど、それにも劣らんひとやね。
これからのアユタヤの見所になるね。なんせ、山田長政の世界やから。

ところで、日本人町の一党か、それとも、避難民かは知らんが、その頃、一部の日本人はバングラデッシまで到達したって、何かに書いてましたな。
日経12月29日 文化爛

それに比べて今は素敵な時代ですがな。タイからダッカへの空路で地上を見ていたら、ジャングルと泥濘と乾燥地が交互に延々と続いていた。ここをインパール作戦の兵士たちが、ほぼ徒歩で越えていったとは信じられない思いで眺めたですな。作戦は10万人程度の参加で人名の損失は80%。で、しかも、殆どは飢えと病気で死んでいった。日本軍のいつものパターン、つまり、国民なんて赤紙1枚の価値やって、国なんやね。この悲劇で責任を取るもんは誰もおらん。この社会上層部の基本的な考え方は、今回の原発事故でも同じやったね。東電も官僚達も、だれも悪いことしたなんて考えておらんね。
でもって、何事かを成し遂げるのは、個人的な行動ばかり。

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