危ないとき=現地の人は分かっています さすけねえは、ケニアの「アメリカ大使館爆破事件」の半日前の帰国のための飛行機に乗りましたが、地元の人は「起きる」と分かっていました。 「現地係員ツアー」でしたが、ケニヤッタ空港に着いたら、ライフルを構えた兵隊の列。 その中をタラップを降りて歩きました。 空港ビルにたどり着くまでに、銃口の多さにビクビクしていました。 現地の人が「今、大変危ない状態です」とテロを予告するような発言でした。 帰りの飛行機に乗る搭乗口で金属探知機+「ポケットの中のちり紙やゴミまで」の提出を求められました(今まであの時しか「搭乗口での身体検査」は経験ありません!)。 その時に、実は目の前で「パスポートが盗まれた」と騒ぐ西アジア系の人が。 マニラ空港(多分)で日本の新聞が積み込まれて、テロが起きたことを知りました。 なるほどと思いましたね。
そういう雰囲気が漂うときは、あるのでしょうね テロが起きそうな社会情勢というのは、 テロを何かしら予知できるような状態のときもあるのでしょうね。 9・11のときは 世界貿易センタービルに航空機が突っ込んだ映像を見た瞬間 「テロだ!」と自分はあらゆる人に確信をこめて伝えました。 そのときはまだニュースでは「テロ」ともなんとも断定が行なわれてない状態でしたが・・・。 「事故です」が、繰り返し報じられてました。 「テロ」の線が濃くなった、というのは数時間経ってからでした。 でも、アメリカが恨まれ、 こういう出来事がいつ起きてもおかしくないような世界情勢になっていることは すでに出来上がっていたのです。