同じでしょう EAVOさんの仰っていることと私の言っていることは同じだと思います。 グラスに半分残っているか、半部しか残っていないと思うかと同じで、 主観です。 少なくとも言えるのは、駅前は賑やかで、店も沢山あり、レストランも よりどりみどりであるということはない、です。後は表現の仕方でしょう。 メストレのcentroが徒歩10分程度であることは紛れもない事実。 イタリアで駅前が繁華街である街ってマイナーでしょう。 『思います』とはpenso cheみたいなもの。それを、想像の世界ととりますか? さらに例のかたですが、もっと生産的なことに頭を使ったほうが良いのでは ないかと”思います”。
Re: 同じでしょう イタリア語でPenso che~の場合、確かに主観的な表現です。 これは文法的には接続法現在といいます。この場合「想像」や「希望」といった意味合いが込められるため、上記の発言から判断する限り、想像の世界と取られても間違えではありません。
婉曲、意見もありますよ なんで、想像となるのでしょうか? ではこうしましょう。 ”本島の駅からメストレ駅までは一駅である”は客観的事実。 一方、メストレに宿をとり、本島まで観光するのは、便利であるか 不便であるかは人それぞれ。ある人は、言ったきり夜まで戻らなく ても良いので、関係なく、むしろホテル代が安い分お得と言うだろうし、 他の人は、暑い中歩いても一度ホテルに戻って休息も取れないし、 買い物したいので、荷物を置くのに一度戻りたいので、凄く不便 と言うでしょう。要するに客観事実は存在しない。これを言い切ると、 何度も続くユースホステル論争に発展します。 このような場合に、主節にpensare(不確定のかなり少ない 動詞ですよね)などを使い、従属節に主語が異なる場合の接続法は 別に想像ではなく、判断、意見も自然に使われるはず。 ”私は、メストレからの本島通勤はきついと思います。” ”きついのではないかな?”とか言いませんか?想像で言えるほど、 バーチャルツアーは発達していません。イタリア語(を話す かたですよね?)でも、自分の意見を言うときは、断定的に言わない、 と教わりました。英語でもそうですよね。 私は他のラテン系言語から入ったので、イタリア語の長い文は 辞書なしでは読めませんし、文法もかなりいい加減ですので 悪しからず。