09/07/10 17:43

同じでしょう

EAVOさんの仰っていることと私の言っていることは同じだと思います。
グラスに半分残っているか、半部しか残っていないと思うかと同じで、
主観です。

少なくとも言えるのは、駅前は賑やかで、店も沢山あり、レストランも
よりどりみどりであるということはない、です。後は表現の仕方でしょう。

メストレのcentroが徒歩10分程度であることは紛れもない事実。
イタリアで駅前が繁華街である街ってマイナーでしょう。

『思います』とはpenso cheみたいなもの。それを、想像の世界ととりますか?
さらに例のかたですが、もっと生産的なことに頭を使ったほうが良いのでは
ないかと”思います”。

  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • Re: 同じでしょう

    イタリア語でPenso che~の場合、確かに主観的な表現です。
    これは文法的には接続法現在といいます。この場合「想像」や「希望」といった意味合いが込められるため、上記の発言から判断する限り、想像の世界と取られても間違えではありません。

    • いいね! 0
    • コメント 1件
    09/07/12 14:41

    婉曲、意見もありますよ

    なんで、想像となるのでしょうか?

    ではこうしましょう。

    ”本島の駅からメストレ駅までは一駅である”は客観的事実。

    一方、メストレに宿をとり、本島まで観光するのは、便利であるか
    不便であるかは人それぞれ。ある人は、言ったきり夜まで戻らなく
    ても良いので、関係なく、むしろホテル代が安い分お得と言うだろうし、
    他の人は、暑い中歩いても一度ホテルに戻って休息も取れないし、
    買い物したいので、荷物を置くのに一度戻りたいので、凄く不便
    と言うでしょう。要するに客観事実は存在しない。これを言い切ると、
    何度も続くユースホステル論争に発展します。

    このような場合に、主節にpensare(不確定のかなり少ない
    動詞ですよね)などを使い、従属節に主語が異なる場合の接続法は
    別に想像ではなく、判断、意見も自然に使われるはず。

    ”私は、メストレからの本島通勤はきついと思います。”
    ”きついのではないかな?”とか言いませんか?想像で言えるほど、
    バーチャルツアーは発達していません。イタリア語(を話す
    かたですよね?)でも、自分の意見を言うときは、断定的に言わない、
    と教わりました。英語でもそうですよね。

    私は他のラテン系言語から入ったので、イタリア語の長い文は
    辞書なしでは読めませんし、文法もかなりいい加減ですので
    悪しからず。

    • いいね! 0
    • コメント 0件