Re: ヴォールヴィコント城キャンドルの夕べ こんにちは 何年か前に昼に行きましたが、そのときの印象を少し書き込みします。 交通手段は、知り合いの車に乗せてもらって行きました。 1.燭台 城の廊下を歩いていると、ろうそく10本ぐらい付けられる直径60~70cmの燭台がそこここにおいてあり、 何に使うのだろうと思ってみていたら、連れて行ってくれた人が、 週末のろうそくの明かりのイベントに使うんだ。窓から明かりが漏れて、すばらしい。 と言っていました。 (そのときはあまり興味がなかったので、ふ~んと言う程度でしたが、 今となっては、土曜日に行っておいてもよかったかなと思っています。) 2.城を建てた財務卿フーケという人を裁いた裁判官たち Clioさんのレスにあるように、城を建てたら、当時としてはすばらしすぎたので、 国家財政を横流しして建てたのではないかと他の貴族から疑われ、 ルイ14世の命令で裁判にかけられることになった。(これ、嫉妬の固まりじゃないか) (年代は、日本で言えば、徳川幕府ができてしばらくたった時代の1660年頃で、 当時、フランスでは、国家財政に携わる人の給料なんてのは、 適当に好きなだけ使ってもよかったのではないかと推定されます。 歴代、そんな風だったのではないかと。たまたま城を建てたから、にらまれた。) そのときフーケを裁くための特別法廷の裁判官に任命された人は10人ぐらいで、 お城の中には、それぞれの人の肖像画と、その下に略歴、有罪としたか、無罪としたか、の判定、 および、その判定の論拠などが書かれたものが展示してありました。 裁判官に任命された人の中には、司教などの聖職者もかなりいたし、学者も含まれていたようでした。 法廷の最終評決は、僅差で、フーケの有罪確定、 監獄につながれましたが、看守にその囚人が誰であるかをわからなくするため、 鉄仮面をかぶせられて一生牢獄で過ごしたのです。19年間牢獄で生きて、65歳でなくなったそうです。 (牢獄の中に鉄仮面をかぶった等身大の模型なども展示されています。) 10人ぐらいの裁判官で、多数決で決めるという裁判方法がこの頃すでに行われていたのですね。 (遠山の金さんが一人で決める日本の江戸幕府より進んでいたようです。) 日本の最高裁判所大法廷は、15人の裁判官の評決で決めることになっているようです。 昨年あった、日本の国籍法が憲法違反だと判決を出した時のニュース。↓ http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080604/trl0806041513002-n1.htm 3.シンデレラの乗った馬車のかたち この城に、厩舎の内部を馬車博物館にしている建物があります。(musee de equipage というと思う) 古い馬車から順に並んでいて、後の方には、皇太子が婚礼にパレードするような馬車もあります。 古い馬車の中に、シンデレラの物語で、ディズニーのアニメに出てくる、 魔法使いのおばあさんがカボチャに魔法をかけて馬車にして、 シンデレラが城に向かう場面がありますが、それに大変似た馬車がありました。 そのときまで、ディズニーアニメで、周りにつるのようなものがくっついているのは、 カボチャから作ったから周りにまとわりついているので、飾りの一種だろうと思っていました。 でも、実際、初期に使われた馬車は、バネを作る技術が稚拙だったため、 長いつるのような形の鉄をバネとして使って、乗り心地を保っていたそうです。 (そばの壁に、フランスの中学生でもわかるような簡単な仏語で解説がありました。) つるのまとわりついた馬車はディズニーの創作じゃなくて、実際に使われた形を参考にしたんですね。 この時初めて知りました。 (たぶん、オーディオガイドを借りれば、解説があるものと思います。) 城の内部は、ベルサイユほど豪華ではありません。 ろうそくの明かりは、すばらしいかも。 バスなどのツアーは、夜遅くてもかまいませんが、 電車RER-DのMelun駅から帰る計画は、女性だけなら、夜は危険です。 RER-D線の南郊外電車内では、時々、高校生が襲われて、 お金を取られたとか、携帯をとられたとか、報道されています。 参考までに(話が長くなって、ごめんなさい)
Re: Re: ヴォールヴィコント城キャンドルの夕べ 色々とためになるコメントありがとうございます。 フランス語は全くはなせませんし、英語もあんまり・・・。 なので、フリーは必ず(?)オプショナルツアーにしようと考えています!! しかも、ホテルまで送迎付!! なので、治安は多分安心です♪ やっぱりキャンドルの明かりがステキなんでしょうねぇ~。 楽しみになってきました!
Re: Re: ヴォールヴィコント城キャンドルの夕べ/ふ~む!! mamoruさん、詳しいご教示ありがとうございます。 実のところは、行く前に伺いたかったです! 私はフランス語はさっぱりですので、展示に添えられた説明に関しては、固有名詞を拾う程度のことしかできませんでした。 なるほど、そういうことが書かれていたのですね。 ウィキペディアで見ますと、裁判の結果は当初国外追放だったのが、王の怒りがそれではおさまらず、生涯幽閉となったのだとか。 こわいですね~ それでも、この時代から既に“裁判”というものがあったのはすごいです。 一連の出来事は、一見王個人対フーケ個人の(秀吉の利休みたい?!)争いのように見えますが、フーケ個人がそれまでの財務卿に比べて特別悪人だったわけではなく、王がすべての権力を掌握し、下はぱりぱり官僚の中央集権国家になっていく、歴史の大きなうねりの中に、フーケという個人が滑り落ちていったように感じられます。 mamoruさんも書かれているとおり、きっとそれまでは、どこまでが国庫のお金でどこからが個人の財産なのか、そんなにはっきりしたものではなかったのでしょうね。 前任者のマザランもけっこう蓄財に励んでいたようですから。 ヴォーは一旦相当荒廃していたのを、個人が修復、今も個人の持ち物だとのこと、驚きです。 私は、ゴルフカートのようなの乗り物を借りて庭を一周しました。 これは運転免許も要らず、簡単に噴水の向こう側まで行けて、とっても楽しかったです。 当時の衣装の貸し出しもやっているようでしたね。フランス人の女の子が着せてもらって見学、はしゃいでいました。 >電車RER-DのMelun駅から帰る計画は、女性だけなら、夜は危険です。 >RER-D線の南郊外電車内では、時々、高校生が襲われて、 >お金を取られたとか、携帯をとられたとか、報道されています。 えっ、そうなんですか! うーん。それは知りませんでした。 それもありますし、駅とをむすぶバスも多いとは言えないので、(私たちはタクシーを拾いました。)ツアーで行けるのは本当にいい機会ですよね。