09/05/22 18:33

そのとおりですね

>>発症してしまった人はちょっと辛いのですが、
>>これで免疫を獲得して今後同じタイプのインフルエンザにはかかりにくくなることが期待できますし、
>>公衆衛生的観点からは集団免疫の成立にも貢献することになります。

もし感染者が逆にいなかったら、こういう研究に生かせないということもある、そういう意味では感染者は貴重な存在ですね。日本では、感染者が非難されて、ネットで住所まで公開されているようですが、感染者を誹謗中傷しているような人がお世話になるのは、実は感染者のおかげで成立する研究成果だったりするわけです。

日本は、感染者を探し出して、その感染者の行動に非がなかったかどうか洗い立てる、「村八分」社会的なところがあります。「ウチの子にうつったらどうする?」と学校に怒鳴り込んでくる親たち、海外旅行へいく人に後ろ指を立てる近所の人たち、結局、みな「悪者」がほしいわけです。「悪者」を祭りたてて、その人のせいにすればよい。そしてそれをマスコミが煽る。同じ考え方を「共有」しあって、「同じ考え方こそ『いい』」「違うことを考える人は自分勝手」という、実に狭い価値観に走ります。この裏にあるのは、結局新型インフルに対するただの恐怖心です。

マスクもこの延長戦上にあります。マスクがいいと誰が言い出したかわかりませんが、マスクが『いい』という勝手な憶測で、みんなつけているから、自分もつけます、というだけの話。旅行も、みんなやめているから、自分もやめる、あるいはやめさせられる、というだけの話。キャンセルが相ついでいる頭を抱えている旅館などはかわいそうです。

トイレットペーパーの話ですが、インドでも、タイでも、カンボジアでも、まあ言ってみればアジアのほとんどの国が、庶民の間では使わないところが多いですよね。

これだけ「紙」ではなく「水」で流す(洗う)方法が広く長くとられているのはワケがあって、それが大変効率がよい、生活の知恵に根ざしていることだからといえます。紙でゴシゴシこすって肛門を毎回傷つけるよりも、「水のほうがお尻にやさしい」のは明らかで、健康にもいいといえます。

日本でトイレの技術が発達して、現われたのが「ウォシュレット」。

金をかけて、技術を結集させて、結局、アジアで古くから行なわれた慣習に戻っているわけです。

ただ、水を自分でお尻にかけるか、機械がかけてくれるか、というだけの違いで、原理はまったく同じ。

オイルショック時のトイレットペーパー・パニックなんて、マスコミが作り出したことに過ぎなかったという点は本当に納得ですね。だいたい人間は、トイレットペーパーなんて使わずに生きていける。いや、むしろ使わないほうがどれだけ環境にいいか、木をいっぱい切らなくて済むか。木をたくさん切って、お尻を傷つけながらトイレットペーパーを使い続けるのは、環境にも健康にもよくないでしょう。でも日本人がみなトイレットペーパーでお尻をふくのは、やはり「みな同じことをするのが好きだから」なんでしょうね。

ちなみに自分は日本の自宅でもバケツに水をくんで、お尻を水で流しています。

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