レポート

バルカン車旅も終わりに近く、、、、

公開日 : 2011年04月03日
最終更新 :

ベオグラ~ドでは中心部2泊、サバ川とドナウ川合流点がよく見える丘や城塞、
ヨ~ロッパ最大のセルビ正教会や、バスタ~ミナルんど坂の多い街を歩き回って
3日目に北西のノビサ~ドの時計塔のある城塞に行き、立ち寄り、駐車違反金を
郵便局へ1000デイナ~ラ支払いに行ったほかは、セルビア国境をクロアチア
へと問題なく通過。
コソボに何日居たか、とイミグレ係官に聞かれた他は、ベオグラ~ドのホテルの
領収書を見せて、それでOK。
クロアチアに入ってからはオシェイク経由、ザグレブを目指して走行、幹線途中
の何も無い畑の中の三ツ星宿に投宿、
車はもう4000km走行しtきたが、セルビアを出たことで、私の今回の車ド
ライブバルカン旅も、実質終ったようなもの。ホット安心ができました。
ロ~マまでまだ1000km以上を残しているがレポ~トはこれで終わりとする。
今回の車で越えた国境は9カ国になる。
国ごとの通貨コインの管理が一番面倒だった。
ガソリンベンチンの値上がりもあるのだ、と思うが、よく判らない。

アルバニアの穴ボコ道が結局一番悪かった。交通マナ~も悪い。
他バルカン諸国でも通行人の車道横断、飛び出しが非常に多い。
道路はどこも砂埃りが多い、ガススタンドに米国のようにも水ふき取りモップな
ど設置されていないから、車を拭くタオルを市場で購入して、宿の部屋の水で
絞っておき、それで車を拭いていました。すぐ砂埃りをかぶって車は泥だらけ。

ロ~マからの帰国便、エアチャイナは北京からのフライトを欠航にしているが、
夜中に電話をして、北京一泊ホテル代エアチャイナ持ちで翌日へ自動振り替え便へ
確保済み。エアチャイナヨ~ロッパセンタ~と北京本社と、日本の東京大阪
オフィスへ電話して睡眠不足気味。

                       ひがしまち


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2件のコメント

  • 帰国しました

    中国国際航空が往路と同様に、ロ~マからの乗り継ぎ北京~羽田便が
    欠航になっていたので、またまた嫌々ながら北京に一泊を余儀なくさ
    れて、海外保険も切れた一日遅れの早朝便で、日本に帰国しました。
    毎年のことながら、北京は黄砂が舞い、空気汚く、たちまち花粉症に
    なりました。

    仕事の予定も一日遅れ、また日常に戻ります。

                          ひがしまち

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  • 西ヨ~ロッパ文明圏に戻った感じ

    セルビアからハンガリ~には抜けずに、やっとクオアチアの北の回廊圏へと
    戻ってなぜかホッとしました。
    アルバニアの都会建物のケバケバしさ。ベオグラ~ドやスコピエのことさら
    旨の大きさを強調したような若い8頭身のカッコ良い女性たち、それでいて
    どこか素朴なバルカン諸国の人たち。

    日本に帰れば地震で壊れたわが家の修復と放射能汚染が待っている。
    テキサス大平原のような中のクロアチア北部の宿で、登る朝日を見て、
    、、、でも感謝。

    ロ~マまであと1500km。
                        ひがしまち

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    その後の宿代

    オシェイクの町では適当な宿がなかったので、途中ジャコボ手前の南下幹線沿いの
    周囲になにもない一軒宿40ユ~ロ一泊。途中ヨ~ロッパ最大の寺院立ち寄り。
    ザグレブの町では中心地のsobe40ユ~ロ」、
    プリトビッツエ公園で200ク~ナのsobe一泊、遊覧船に乗る。
    次の日がリエカの町散策のあと、オパチアのアパルトマン40ユ~ロ。
    今日がブレッド湖のsobeで40ユ~ロ。天気とてもよく城まで歩いて登った。

    いずれも中心地近くで歩き回るのに便利な宿となると、どうしても泊40ユ~ロ
    を重ねる毎日。クロアチア、スロベニアとなると、やはり高めです。


                            ひがしまち