レポート

震災の緊張からのバルカンへの逃避行 (4)

公開日 : 2011年03月29日
最終更新 :

コソボの北西部の町ペテイからいったんモンテネグロへ出て
ボドゴリッツアまでは行かない山の中、ベナレ泊後、セルビアへ
山道を向かう。朝早く出たのにモンテネグロの国境係官が、
セルビア側のゲ~トは12時半~14時開いているだけだよ、
と教えてくれる。

数キロ戻ってモンテネグロのガススタンドで2時間待ち。
カップチ~ノを大カップで頼んだら、「日本か、金は要らない、
タダにする」と1ユ~ロも受け取らない気風のいいお兄さん。
「ウエルカム ツ~ ジャパン、ユウ クルナゴラ!」と
つい親切に甘えてタダ飲みさせてもらいました。

セルビア国境は山の中だが2~30台の車の列。
「ノ~プロブレム、ジャパン」にスパシ~ボで通過。200kmほど
北へ走行して疲れたのでウジチェ手前のズラチボルの4ッ星ホテルへ
飛び込み泊、40ユ~ロ。近くのレストラン夕食にミックスグリルを
注文。羊肉ス~プとナンだけで充分だったのに、牛ステ~キ、牛レバ~ステ~キ
豚ステ~キ、ヤキトリ、ポテト、トマトサラタと大皿一皿に山になって
セルビア料理らしいが出てきて食べ切れません。
ホテルがサウナやジムなどあったので寝坊して、ウジツェに行く前に
ボスニアサラエボへ先に往復することにした。

200kmほどの途中の山中にはモクラゴラの鉄道(3月末まで運休)、
それと、メチャブニクの「ライフ イズ ミラクル」という映画のロケ地の
丘の上のトンガリ屋根木造家屋群など、ビシェグラ~ドの世界遺産の16世紀
の石橋、など立ち寄り、午後3時サラエボ着、坂道上の35ユ~ロの宿に入りました。
朝食、WiFi、駐車場つき。

夕方6~7km歩いてサラエボ中央駅と2009年にできたアヴァズツイストタワ~
35階でカフェと展望。日本援助日の丸バスの写真をとり市電に乗って戻り、
またもやボスニアグリルの夕食。サラエボは2連泊する。

フィアット車は快調で五右衛門かフジ子でも居てくれたらいいのに、、、ただ
日本の今回の震災被害のみなさまのことを心配しながら、時折、チキショ~と涙ぐみ
のドライブ。私の旅券にはHIROSHIMAと本籍地が記載がある。広島市のどまん中。
宿で旅券をカウンタ~で出すたびに見られたか、とハラハラするのだ。
米国などでは「フン、」と鼻を鳴らされたことはある。

2日後、セルビア/ウジツェ~ベルグラ~ド~ノビサ~ドとまわって、また
ボスニアに入り、ザグレブへ向かいます。バルカン走行ハイライト車旅も予定
の半分、ロ~マから3000kmを越えました。
雪山と、つずれ折りの山道と、緑の谷と丘、オレンジ色屋根の集落。町の狭い石畳道。
フィアット小型軽500で正解でした。

                     ひがしまち



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5件のコメント

  • ベオグラ~ドに着きました。

    今回、車でのバルカン諸国周回で、出入国国境通過で、一切お金がかからず、
    旅券提示だけですんだのは、アルバニアとセルビアだけ。
    サラエボからセルビアへ再入国をプリボイからしてウジツェ泊後、鉄道中央駅
    とバスタ~ミナルを見て、朝早く180km北へベオグラ~ドに午後1時に
    着きました。
    ベオグラ~ドは大都会、宿探しに苦労したが、市Center近く、投宿。
    宿指定の一方通行道路際駐車場所の確保、一泊59ユ~ロと最初云われたけれど
    日本旅券を出すと、50ユ~ロでよい、とまけてくれた。
    WiFi接続可、朝食付き。
    ホテル食堂で昼食。昼寝1時間。
    3時から夕方まで市内を手ぶらで散策。人通り多く繁華街は混雑。坂道が多い。
    インフォセンタ~もわりとたくさんある。

    国会議事堂前の大通り、横断歩道真ん中に、「日本と共に」の日本語文字と
    zu japan solidaren と書かれた赤十字の公告塔が目立つ。
    こちらのTVでは天皇皇后両陛下が被災地お見舞いに訪れになった様子も放映
    しています。

    疲れもあったが、宿への帰り道を1時間くらい街の中、道に迷った。
    そのかわり洗濯屋を見つけた。

    明日から四月、眠ることにする。

                         ひがしまち

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  • セルビアへ再入国しました

    ボスニアのサラエボでは2連泊、たくさんのシャツ衣類の手洗い分も
    感想した部屋の空気で乾き、サラエボでは一軒しかない中華料理屋で
    炒飯を食べ、(一軒しかないから大使館員などの飯所、、中央駅近く)
    朝はセルビアのウジツェへ向かいました。

    100kmほどで国境についたのだけれど、ここでセルビア側の入国
    を拒否された。これまでスコピエからもモンテネグロからも問題無く
    パスポ~トを見せるだけですんなり車ごと通過できていたのに、
    若い男性係官がコソボの出入スタンプを旅券で見つけたのか、機嫌が
    悪く変なつむじ曲がりだったのか、とにかく私のロシア語でもダメで
    Uタ~ン、およそ20km南の山の中の町、プリボイという国境の町
    へ迂回することにした。

    ところがこのプリボイの町のセルビア国境は、パスポ~トを見せるだけ
    で、年配のイミグレ係官は、OKですんなり通してくれました。
    コソボとセルビアはこの3月ブカレストでコソボ住民の通過往来について
    協議会談をした、とyahooニュ~スで見ていたが、セルビアよりも
    かえってコソボ川の出入りが厳しい、と感じてはいたものの、理由が
    いまだに判らない。バルカンはまだ自由往来の地域ではないのかも。
    結局30kmほどの迂回ですんだ。たくさん日本人は訪れている筈だが
    「歩き方掲示板」でもバルカン情報は断片的で検索しても少ない。
    この3月末はこんな状態でした。参考にしてほしい、と思う。

    西ヨ~ロッパでは無線LAN/WiFiは宿で5ユ~ロほどとって、接続
    できるのが普通だし、米国は無料。でもバルカン諸国は無料でInter
    net接続がどこでもできるかわりに、ブロックされたり、この掲示板
    にたどりついてペ~ジを変えようとしたり手間かけているうちに切断状態
    になって初めからやり直し接続をすることが多い。

    ウジツェはセルビア西部の交通の要所の町、
    町で一番ノッポの高いビルの13階、一泊25ユ~ロのホテル宿泊にした。
    とても薄暗く古いホテル。
    でも米国のように、持参したダニ用虫除けスプレ~は、使うことはまだない。
    無線LANはこうしてサクサクと入る。
    明日はベオグラ~ド。

                           ひがしまち

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  • 地図と準備

    今回は2ヶ月前くらいから、出かけることに決めていた。
    書店でバルカン地図を探してもなかなか見つかりません。
    おまけに震災さわぎだし、私も身内の葬式をすませて、すぐ飛び出し
    準備もろくにできませんでした。PTSDになりかけでしたからね。
    ロンリ~プラネットでもセルビアとモンテネグロは一緒、国境線が
    表示されていません。

    一昨年のシcジリア、マルタのときはミシュラン地図帖をロ~マで購入
    しましたから、今回はアンコ~ナの町でフェリ~に乗る前に、やっと
    書店でバルカン見開き地図を一冊購入して、これで道路地図わなんとか
    確保しました。

    イタリアアンコ~ナという町はイタリア人みな男女黒一色の服装。
    食べ物屋がほとんど無いのに、書店だけは何軒もある港町。
    目抜き大通りはそぞろ歩きの現地住民でいっぱいでした。

                       ひがしまち

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  • 11/03/29 20:12

    不適切

    1.タイトル名

    東日本大震災の被災者は勿論のこと、福島原発近隣から避難・退避している人
    指定地域外で、それすらすらできずに苦労している人がたくさんいる中で、
    配慮の感じられないタイトル名だ

    2.(2)以降は(1)のトピックの下にレスとしてぶらさげれば済むこと

    あえて、パラパラ個別にトピックをあげる意図はなんなのか?
    個人的な日記風にしか読めないが、備忘録なら自分のブログに下書きしてほしい

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  • Re: 震災の緊張からのバルカンへの逃避行 (4)

     旧ユーゴ諸国を車で周遊とは、うらやましくも素晴らしい旅ですね。

    実際周られて、今回の震災のことが広く知られて同情されているんでしょうか。
     
     文中の無料カプチーノもその関連ですか。

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    津波から良く知られています。

    コソボの田舎町ペチでも、通りすがりに「チャイナか?」と最初に声をかけられ、
    「日本人」と答えると、「Japan、Sorry! Tsunami!」と
    そのアルバニア人男性云ってましたし、アルバニアのデュレスでも朝食をとって
    いたフロント前テ~ブルのアルバニア人旅行者年配男性は、汚いリンゴの切り身を
    二つ私に食え、と差し出して、軍隊式敬礼をキチッと私にして、別れていきました。
    早朝でしたけれど、そのリンゴ食べましたよ。
    いたるところ、それぞれの国で、震災へのお悔やみ、同情の言葉をいただきます。
    宿では、必ずTVをつけ、BBCなりCNNなりつけていますが、必ず毎日、津波と
    福島原発の様子、惨状は繰り返し放映続いています。リビア情勢と双璧ですね。

    日本のTVでは日常ほとんど海外ニュ~スは、CNNなどの断片的な画面をわざわざ
    見なければ、見ることがありませんが、ヨ~ロッパでは日常の地元TVでもよく報道
    されているようです。で、みんな日本の震災を知っています。
    日本のメデイアは海外に目隠しをした、世界の陸の孤島、と申し上げたら云いすぎで
    しょうか?

                              ひがしまち

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