コソボの北西部の町ペテイからいったんモンテネグロへ出て
ボドゴリッツアまでは行かない山の中、ベナレ泊後、セルビアへ
山道を向かう。朝早く出たのにモンテネグロの国境係官が、
セルビア側のゲ~トは12時半~14時開いているだけだよ、
と教えてくれる。
数キロ戻ってモンテネグロのガススタンドで2時間待ち。
カップチ~ノを大カップで頼んだら、「日本か、金は要らない、
タダにする」と1ユ~ロも受け取らない気風のいいお兄さん。
「ウエルカム ツ~ ジャパン、ユウ クルナゴラ!」と
つい親切に甘えてタダ飲みさせてもらいました。
セルビア国境は山の中だが2~30台の車の列。
「ノ~プロブレム、ジャパン」にスパシ~ボで通過。200kmほど
北へ走行して疲れたのでウジチェ手前のズラチボルの4ッ星ホテルへ
飛び込み泊、40ユ~ロ。近くのレストラン夕食にミックスグリルを
注文。羊肉ス~プとナンだけで充分だったのに、牛ステ~キ、牛レバ~ステ~キ
豚ステ~キ、ヤキトリ、ポテト、トマトサラタと大皿一皿に山になって
セルビア料理らしいが出てきて食べ切れません。
ホテルがサウナやジムなどあったので寝坊して、ウジツェに行く前に
ボスニアサラエボへ先に往復することにした。
200kmほどの途中の山中にはモクラゴラの鉄道(3月末まで運休)、
それと、メチャブニクの「ライフ イズ ミラクル」という映画のロケ地の
丘の上のトンガリ屋根木造家屋群など、ビシェグラ~ドの世界遺産の16世紀
の石橋、など立ち寄り、午後3時サラエボ着、坂道上の35ユ~ロの宿に入りました。
朝食、WiFi、駐車場つき。
夕方6~7km歩いてサラエボ中央駅と2009年にできたアヴァズツイストタワ~
35階でカフェと展望。日本援助日の丸バスの写真をとり市電に乗って戻り、
またもやボスニアグリルの夕食。サラエボは2連泊する。
フィアット車は快調で五右衛門かフジ子でも居てくれたらいいのに、、、ただ
日本の今回の震災被害のみなさまのことを心配しながら、時折、チキショ~と涙ぐみ
のドライブ。私の旅券にはHIROSHIMAと本籍地が記載がある。広島市のどまん中。
宿で旅券をカウンタ~で出すたびに見られたか、とハラハラするのだ。
米国などでは「フン、」と鼻を鳴らされたことはある。
2日後、セルビア/ウジツェ~ベルグラ~ド~ノビサ~ドとまわって、また
ボスニアに入り、ザグレブへ向かいます。バルカン走行ハイライト車旅も予定
の半分、ロ~マから3000kmを越えました。
雪山と、つずれ折りの山道と、緑の谷と丘、オレンジ色屋根の集落。町の狭い石畳道。
フィアット小型軽500で正解でした。
ひがしまち