中止はひどい!!

さすけねえ様こんばんわ。

中止はかわいそうですよね。修学旅行って学生時代の一番の楽しみ。
お子様たちは何と言ってらっしゃいますの。

私が高校2年生だったら、豚風邪が終息したら行きたいと運動しちゃうけど。
保護者も一致団結して学校に交渉したらどうでしょう。

「成田に係留」も経験したいって気持ち、場所も、状態も違うけど、解るなあ。
私が高校2年生の丁度今頃、東北北海道2週間の就学旅行がありました。
北海道で火山が爆発したんです。私たちの泊まっていた旅館にも灰が降ってきました。
私たちが出発して1時間後、降灰で視界が悪く交通機関がストップしました。
あと、1時間出発が遅れてたら、あと何日か北海道にいられただろうなあと、今思ってももったいな
かったと思います。


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2件のコメント

  • あの火山の時はGWの連休で、家族でフェリーでドライブに行きました

    ラファエルさん今晩は。

    あの時非常線まで言ったのです。

    子ども達が双眼鏡で「石が飛んだ~」と。

    大日本帝国陸軍の戦車が砲台を外して「災害出動」の横断ゼッケンをつけて道をふさいでいました。そこまで行ったのです。

    北海道のフキノトウが、道端に沢山出ていてでも食べ頃は過ぎていました。蕗の塔でなく、東京タワーに花が咲いていた。

    伊豆大島の噴火の時は、帰ってきたらTV放送で、あと少し居たら船で逃げた話しになったのだけど。

    残念だった。

    あの時は、今地震計が設置されているのでロープの内側に入らないよう・・・酒が入っていたので仲間と中に入ってばったばった飛び回ってオ●ッコまでして・・・山の神を怒らせたのです。

    あの時は1等だかその上の船室で、何しろ2等ではなかった。

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    あの時の火山って2000年のこと?

    さすけねえ様


    私の火山の大噴火はもう40年以上も前のことです。
    朝なのに真っ暗で、へんだなあと思っているうち、テーブルの上が白っぽくなってザラザラしてた。
    予定通りバスに乗って出発。霧雨よりもっとさらさらしたものが降っていた。バスガイドさんが噴火したと教えてくれました。何キロか走ると、急に日差しが出てきて、空を見上げると、噴煙で曇っていたのがわかったんです。札幌につくまでずっと車窓から噴煙が覆っているのが見えました。
    歳がばればれですね。

    大島の時は、我が家から10分ほど行った高台から大島がみえるのです。テレビで溶岩が流れているのを見て
    「見に行こう」と息子に言ったら、まだ小学校5年生の息子に言われました。
    「お母さん、苦しんでいる人居るんだよ。何言ってるの、僕いかないよ」と言われて、スゴスゴ。

    修学旅行がおわったら、受験体制にはいるのでしょう。
    その前にぱあっと遊びたかったでしょうに。

    40年も前でもそうでした。理数、医学部志望の人は修学旅行に行かず学校に残って特訓授業してました。
    私は、アホでよかった。

  • 09/05/19 09:55

    贅沢な悩み

    私の時代は修学旅行は戦争でなく何時も行軍でした。
    しかし考えようによってはお陰で足が強くなり今はどこへでも行けるので余り損をしたなどと考えません。

    これからも何があるかわかりません。
    私の年代は戦争に直接参加するのと全く戦争が関係ない人の中間で、学校給食は1度もありませんでした。
    しかし4年早く生まれていれば、陸軍幼年学校にも入れたし、私は入りたくても入れなかったので結果的には幸運でした。

    其の時に遭遇した事は良いことも悪いこともある程度運かもしれません。
    私は伝染病が珍しくなかった時代を潜り抜け、何億の中から選ばれて生まれてきた幸運をかみ締めています。
    インフルエンザも長い或いは短い人生の通過点と思って最善の対処をするだけです。
    私は過去の人より幸運な時代に生まれたと何時も思うことにしています。
    どんなに嘆いてばかりいる人でも過去こんなに海外へ行くのが一般的になった時代は初めてな事は認めざるを得ないでしょう。

    物事は同じことでも良く考える人と悪く考える人では180度違います。それならば楽観的に考えたほうがストレスもたまらず良いと思っています。

    私は引越し手続きが完全に終わる夏頃海外へ出かける予定にしていますが、其の頃インフルエンザ騒動がどうなっているか予想は出来ませんが、何れにしてもいつかは出かけられると考えています。

    なお第一次大戦が1918年に終わりましたがスペイン風邪の大流行のため終戦が早まったとどこかで聞いた覚えがあります。
    少なくとも今の方が対策は進んでいるのは其の頃より幸運だと思っています。

    私事ですが数日前にあったばかりの近所の私より1歳若い人が危ないといわれて其の時は葬儀を頼むといわれています。
    本人も其の奥さんも常にマイナス思考で嫌な事から逃げていました。
    私も今は好奇心から生きているうちに何でもやってやろうと今の所へ引っ越して来ましたが、知人がそうなったのを聞くと楽観的な私でも死ぬことが間じかに迫っている現実を少し考えてしまいました。

    ただ私が変わらないのは最悪を考えて最善の努力をするだけはしています。
    この事は海外で色々なハプニングが起きてもあわてずに対処できてきた事にも通じます。
    どうせやっても時間がないと考えると何も出来ません。見習うべき先輩は現実に幾人もいます。

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    ドキ!年齢ピタリとあたったと思った。

    EAVO様がでていらしたから
    新聞にも大きくでましたから、火山の爆発でぴたりと年齢があたったかなと思いました。

    この豚風邪は見えない敵です。見えない戦争です。
    メキシコ、アメリカ旅行に関係なくても広がるって、何故かしら。
    ふるい人間は流言飛語的なものまで思ってしまう。細菌兵器とか、衛星からまいたとか、なんとか軍様、アXカXダとか。

    高校2年生ならあと1年半あるじゃないですか、キャンセル料なんてサービスしてくれたっていいし、
    中止より延期のほうが、づっと我慢できそう。
    修学旅行って、いつかはでかけられるってものじゃあないです。卒業したら修学旅行じゃないですもの。

    私なら今頃わあわあ泣き喚いています。

    全然話は違うけど、先日テレビで、北杜夫さんが言ってました。戦時中、戦後すぐは、うつ病ってなかったそうですよ。生きるのがせいいっぱい、生きるか死ぬかのときは発症しないのだそうです。
    豚風邪にもぴりっとたちむかわないといけないですかね。