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海外旅行への憧れ

公開日 : 2010年11月01日
最終更新 :

今では海外旅行は誰でも馴染みがありますが 40年、50年前はそうではありませんでした。
そんな中で 私にとって 小田実氏の「何でもみてやろう」はバイブル的存在でした。

著書紹介からの引用
>若さと知性と勇気にみちた体当り世界紀行。留学生時代の著者が、笑顔とバイタリティーで欧米・アジア22ヶ国を貧乏旅行して、先進国の病根から後進国の凄惨な貧困まで、ハラにこたえた現実を、見たまま感じたままに書いたベスト&ロングセラーの快著

みなさんはどんな本を読んで海外への想いをふくらませましたか。

ところで 偶然見つけた下記の故小渕総理のウェブサイトに次のように書いてあります。
http://www.kantei.go.jp/jp/obutisouri/profile/grobal/grobal.html

>昭和38年1月、小渕青年は世界旅行に出発しました。当時、アメリカ統治下にあった沖縄から、台湾、タイ、パキスタン、インド、セイロン(現スリランカ)とアジアをめぐり、中東、アフリカ、ヨーロッパから北米、そして南米と、訪れた国は38カ国におよび、9カ月間の大旅行になりました。

小渕総理 そうだったんですか!

今は故人となってしまいましたが 親しみが沸きました。

もっと詳しく小渕総理の旅の話を聞きたい(読みたい)です。何か情報をお持ちの方がおりましたら教えて下さい。

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7件のコメント

  • 10/11/02 19:33

    Re: 海外旅行への憧れ

    こんばんは

    Southeast Asia traveller ではあまりにも長いので、HNを変えました。

    憧れの海外旅行。幼友達がハワイへ招待旅行で行くというので、羽田へ見送りに行きました。
    お土産は生のパイナップルでした。ツアーの全員がお土産に持ってきたので、空港での植物検疫がものすごく時間がかかったと言っていました。帰国時も羽田へ迎えに行きました。

    B707で羽田から、HK、BKK経由でインドへ行ったときには$500持って行ったことが、パスポートに記録されています。
    それと、コレラとチフスの注射済みのイエローカードを、パスポートに添付しました。

    インドのツーリストビザ、有効6か月、3回まで入国可でした。42Rps、約2100円でアルバイトが一日1500円でしたのでかなり高かったです。

    お土産に香港で、ダンヒルと洋酒を指定されました。団体でしたので、帰りの飛行機の中で、酒を買わない人二人に分担してもらい、一人で9本持ち込んだ人がいました。ジョニ黒が3分の1で買えたのでそれなりのメリットがありました。

    帰ってくるなり、ニクソンショックで、あわてて三和BKの銀座へ行きTC$150を円に替えました。レートは1ドル356.23円と日記にあります。次の日にはドル交換全面停止になり、再開後は330円台になったので大損する寸前でした。

    当時は海外旅行ローンというのがありました。



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    海外旅行のお土産

    昔はよくウイスキーや香水・たばこ等を買いましたね。ダンヒルのたばこ ジョニ黒等 私も買いました。
    でも最近はほとんど買いません。海外に度々行くようになり いちいと土産を買わなくなってしまいました。無事に帰ってくるのが土産です。

  • 10/11/02 17:59

    屋根の無い車

    僕に海外へ大きな影響(関心)を与えたのは、河村季里の『屋根の無い車』でした。
    (『生き残った特攻隊員』風の生活をなされていた河村さんは、今は海外旅行ガイドブックなどの出版社をなされているようですね)

    僕の海外は20代後半デビューで、高校時代に同じ学校から2人ほど海外留学へ行きましたが(ひとりはその後ニュースキャスターに)、その時も特に興味は無く、母がニュージーランドへ行ったり、友人たちから「新婚旅行でロスへ行った」と聞いても特に興味も持たず・・・・日本中をあても無く(主にコミューンを点々と・・)旅をしていました。

    『屋根の無い車』では、大学を中退してバンクーバーへ行き、ガスタウンにあるコミューンで暮しているうちに、そこで知り合ったアメリカ人の女の子と(なんとなく)VWのバス(バン)でアメリカを旅して、そこからヨーロッパへ・・・スペイン、ニースを経てサハラで終わります。

    文中の回想で、主人公の青年が「旅行とは日常から切り離された時間と空間を味わうもので、旅とはそれ自体が日常だから、帰る場所も日程も無い」と語るシーンがありました。

    確かに、修学旅行は帰る場所が無ければ集団就職になってしまいますし、新婚旅行も帰る予定が無ければ旅行じゃなくて引越しです。出張(旅行)も帰る予定が無ければ転勤ですもんね。

    屋根の無い車を読んだ当時の僕も、いつも「今、自分が居る場所が家」で、全財産は背中に担いだ雑納袋(米軍払い下げのダッフルバッグ)で、いつか帰る場所というのが無い旅を続けていたので、生活している国は違えど『屋根の無い車』に妙に共感を覚えました。

    やっと定住に慣れた頃に、ふとバイクで沖縄まで泳ぎに行ってそのまま1年暮らしてしまいました。
    そこで知り合った数え切れないほどの友人たち(基地の中と外を半々で生活していたので、90%の友人がアメリカ人でした)が、次から次と任期を終えて帰国して行き、僕も沖縄を離れて東京へ戻り、晴海から勝鬨橋を渡って排気ガスだらけで渋滞の首都高を走っている時に「アメリカへ行こう」と決めて、結果的に人生で一番長く住んだ(住んでいる)街はロスという事になってしまいました。

    渡米当時は確か$1=¥228位で、LAX到着時は$2,000位しかなく、安宿に1週間分前払いしてボロボロの中古車を買ったら$500位しか残ってませんでした。








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    AFS留学生制度

    J@LAさん レスありがとうございます。
    生まれてこの方60年以上ずーと同じ家に住んでいる自分とは全く違うので 大変興味深く読ませていただきました。

    同級生が海外留学とのことですが もしかしてAFSの留学生でしょうか。
    私は受験しましたが 不合格で留学は実現しませんでした、 それが悪かったか あるいはかえって良かったのかは 今になっても判断がつきません。良かったと考えるようにしています。

    ロスが人生で一番長く住んでいる街 ということですが 私にとっては単なる旅のdestinationで 2度ほど訪れました。
    でも 申し訳ないが サンフランシスコの方が好きです。

  • みなさんの書き込みを拝見していると、それぞれのロマンが感じられて素晴らしいですね。

    > 小田実氏の「何でもみてやろう」はバイブル的存在でした。
    これも、すごく懐かしいですね。60年安保からベトナム反戦運動というのは、うちの兄貴の世代ですね。

    私は高校生まで山口県のいなか(兄貴と同級生だった菅直人が中学高校の先輩です)に育ったので、海外旅行なんて憧れでしかありませんでした。
    たまにソーダ工場岸壁に寄港した外国船の船員が街中を歩いていようものなら、「あ、外人だ!」と注目するようなレベルです。宮島辺りで岩国基地の米兵を見ても、しばらくは進駐軍だとかMPなどと呼んでいました。
    そんな状況なので、海外旅行はトリスを飲んで懸賞に当てるくらいしか・・・そういえば、旺文社の中高生海外派遣という懸賞プログラムに応募したこともありましたかね。
    高校の英語教師がアメリカに2ヶ月ほど研修旅行に行くという時も、学校をあげて記念講演をしましたし、帰ってきた時も全校生徒の前で帰国講演なんていうのがありました。その時の講演で記憶しているのは、先生が初めて飛行機に乗ったということと、給油地のアラスカで着陸時にドンと落ちるような恐怖を味わったといった他愛もない話くらいです。
    大学に入ると、留学生や洋行帰りの先生(南極越冬隊長もいました)も結構いましたし、海外の著名な博士の講演を聞く機会もあったので、多少は海外が身近に感じられるようになりましたかね。そういえば、大阪万博も外国をぐっと身近なものにしてくれましたね。そのころでも、南回りヨーロッパ行きとかシベリア鉄道とかに乗れるような金持ち連中もいましたが、私には縁遠かったですね。
    結局、就職した会社がたまたま外資系だったこともあって、海外での会議に出席するための出張の機会が得られるようになったのですが、最初のうちは「憧れの外国」に、それなりに興奮したり緊張したりもしましたが、そのうち(国内でも海外でも)出張が嫌でしょうがなくなってしまいました。

    海外旅行が楽しくなったのは、私の場合40歳過ぎて初めての子供ができ、子供に「何でもみせてやろう」と考えるようになってからかもしれませんね。
    その子供もあっという間に高校2年生になり、一人で海外に行くようになってしまいました。

    とりとめもない書き込み、失礼しました。

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    レス ありがとうございます

    彩パパさん
    じっくり読ませていただきました。

    >高校の英語教師がアメリカに2ヶ月ほど研修旅行に行く
    私も高校の英語教師をしておりましたし アメリカ2ヶ月研修旅行にも参加しました。もしかすると同じプログラムかも知れません。
    このトピの中で航空運賃について書いたのは その時のものです。

    約45年前 大学に電車で通っていた頃 日光に行く旅行者が東北線の日光行きに乗っていることが時にはありました。そんな時はチャンスとばかりに 話しかけて 英語を話す練習をしたものです。

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  • 10/11/02 06:35

    Re: 海外旅行への憧れ

    私は小渕総理の世界旅行は知っていましたが詳しいことは知りません。

    ずっと古い話で恐縮ですが政治家でも変り種がいました。
    仙台藩からアメリカへ行き226事件で暗殺され奴隷に売られそうになったり七転び八起きのだるま宰相の高橋是清首相、
    アメリカ無宿の松永元文部大臣など結構います。

    初代首相の伊藤博文はホワイトホースの輸入元ジャーデンマジソン商会の手引きで長州藩から密航して水夫としてこき使われたり、高杉晋作の上海密航など当時の若者は屈辱外交の今と違って元気がありました。

    私はせめて死ぬまでにハワイくらいは行きたいと今宇宙にあこがれているほど実現性のなかった夢でまだハワイも行っていません。最後にとって起きます。
    唯憧れでも白瀬南極探検隊記やアメリカ大陸横断鉄道の写真集などを買って夢を見ていました。

    また今は殆ど見ませんが西部劇の大平原は米大陸横断鉄道工事中のインディアンの襲撃など、電信線を切られ
    鉄砲をつないで通信したシーンが印象に残っています。
    また夢だった総天然色のアメリカ映画月世界征服はいずれも浅草の満員の映画館で見ました。

    今それらが簡単に実現してしまった良い時代になりました。
    不満を言う人はどんなに便利になっても永久になくならないです。

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  • 1976年 航空運賃

    赤い文字でタイプされた紙の航空券があり 値段がわかります。
    30名の団体で 日本航空です。

    行き 羽田→サンフランシスコ 84500円(285米ドル)
    帰り ニューヨーク→羽田 446米ドル+tax3米ドル 計449米ドル

    行きの代金を換算すると 1米ドル=296円になります。
    それを帰りの代金に適用すると 132904円です。
    往復で217404円になります。

    あるところで大卒の初任給を調べたら95000円と出ていました。
    とすると その2倍強になりますから やはりかなり高かったと言えるでしょうね。
    まあ今のように格安航空券などない時代でしたから仕方ないかもしれません。


     

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  • 1米ドル→360円  の時の海外旅行って・・・

    目指せ100ケ国さん こんばんわです

    1米ドル→360円だった時の海外旅行って、超散財ですよね
    単純計算しても 1米ドル→82円の4倍だし
    物価だってかなり違うし・・・・
    「憧れのハワイ航路」って歌がありますが 本当に庶民には高値の花だったのですね~

    この頃 高校生だった方が現在では○○カ国訪問した・・というレスをみたのですが
    うーん すごいお金持ちじゃないと行けなさそう・・・

    今の感覚でいいますと 海外旅行ってどのくらいの散財なのでしょうか?




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    金額ではあまり変わりない?

    のりーたさん、こんばんは

    横レスになりますが、失礼します。
    私も十分若いので(笑)、360円のころは分かりません。
    確か私が始めて渡米したとき、300円でした。
    でも、ボストンまでのフライトが16万円、YMCA一泊が3000円、食事は約1000円と今とあまり変わりませんよね。
    必死にアルバイトして稼いだお金で行ったので、金額は良く覚えています。

    確か、2週間でトヨタ・カローラ一台分の旅費がかかったと思い出しました。
    この金額をどう思われますか?

  • 海外旅行は「水杯」で送別会、「餞別」を集めてお返しが大変だった

    目指せ100ケ国さん、こんばんは~~~

    昔は一握りの富裕層がJALパックで(庶民には「夢の」)ハワイに行き、庶民は海外旅行というだけで友人が送別会をしたものです。

    そして「お餞別」を皆さん出してくださるので、そのお返しが大変だったのです。

    海外旅行に行くと帰りのバックがお土産で一杯で自分のものは入りきれなかった。

    今、お土産は自分以外に買わなくても良いし、日本旅行より海外旅行が安い時代。

    ネックになるのは、休暇の心配だけ。

    成功を祈る!

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    そうでしたね

    76年にアメリカへ行ったとき兄弟全員が集合して送別会をしてくれました。もしかして帰って来ない・・・。
    当時ニューヨークは大変治安が悪く 地下鉄は一切乗りませんでしたし。
    昔と比べて今は治安がよくなりましたね。

    それから 先日行った床屋さん曰く。来週ソウルへ会社(従業員)の旅行でソウルへ行くが 国内より安いよ。
    今は円高。海外旅行にはいいですね。

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