レポート

次の計画 北半球の寒極へ

公開日 : 2010年10月02日
最終更新 :

今日1月の旅行手配のためJICへ行ってアウトラインを話してきました。

正月休み後の1月11日にビザが不要になったモンゴルからシベリア鉄道で乗り換えながらヤクーツクへ、更に北半球でもっとも寒く氷点下67度の記録(非公式には氷点下71.2度)が出たヴェルホヤンスク、オイミャコン周辺の寒極といわれる地域へ行く予定です。
現地ツアーは2名以上ですが多分誰もいないでしょう。いずれにしてもガイドなしでは危ないです。

氷点下40度を目指していますが多分軽く下回るものと見ています。
地球の寒極は南極の旧ソ連ソヴィエッカヤ基地で出た氷点下89度です。日本観測隊のドーム富士では氷点下75度を記録。
しかし冬の南極は越冬隊員以外は行くことは不可能です。私は11月から3月までの夏季に2回行っただけです。昨年11月氷点下5度でした。

私は昨年キリマンジャロ頂上へ登り寒さと高さの自己記録は更新しました。
後はエヴェレストといいたいところですが、山は30歳前に家業の都合で断念したため登山技術不足でもうこれ以上の高山は登れません。

寒さは12月のグリーンランドで氷点下31度が自己記録ですが、次の旅行が無事に完了できればそれ以上の希望はなくなります。
未だハワイ、韓国、台湾は行っていませんので死ぬ前にのんびり行くと思います。

なお私はYH教祖様から名誉ある称号である旅の初心者と命名されましたが、初心者になるのも大変です。
今日は未だ値段の点で不確定要素がありますので徐々に決まり次第レポートします。

この旅行は月面反射通信の準備をあきらめ残り少ない余生の代わりに決めたものです。

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6件のコメント

  • アマチュア無線は何処へ行く

    EAVOさん、こんばんは

    次回の計画が決まったとのこと。
    おめでとうございます。
    しかし、EMEは断念されたのですね。

    私も中学生の頃、EMEに憧れていたものです。
    しかし、随分電波事情はかわりましたね。
    昔は中波、短波とVHF位しか電波も思いつかなかったものです。

    しかし、今はJSTも長波のCW変調で送られるようになり、時計は自動調整されるようになりました。
    夢のトランシーバも、いまや携帯電話で世界中につながるようになってしまいました。
    しかも携帯電話は符号分割多重接続という複雑極まりないデータ通信になっています。
    家の中にも、WIFIの電波が飛び交います。
    誰もが現在の居場所を、GPSで気軽に調べられます。

    このような時代になると、EMEの魅力は薄れてしまいますね。
    ネットワークが発達したので、SSBやFMでのアナログ信号の転送の必要もなくなってきました。

    こんな時代に、アマチュア無線のやるべき技術は何なんでしょうね。
    もう、雑談をしながらログをつける作業に、何も新しい技術の進歩も感じません。
    やはり、アマチュア無線もデジタル技術を追い求めることになるんでしょうか?

    ちょっとトピずれかもしれません。失礼しました。

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    私も はまりました

    ま~おじさんさん こんばんわです

    アマチュア無線・・ハムですね
    私も高校の時にはまっていました~ たのしかったなあ
    いまは、免許は返納しましたが

    中学の時に、「電波関係の仕事もいいかな」と 漠然と進路について考えていた時に
    数学の先生が 科学雑誌に掲載されていた「光ファイバー」のページを私にみせてくれました。
    「これからは 光学通信の時代だなあ」と思って 高専進学をやめました~
    でも 無線はやってみたかったので 高校に入ってすぐに免許をとりました

    「アマチュア無線って なんですか?」と 若い方に聞かれて
    携帯電話 と チャット をミックスした楽しみ方ができたんだよね 
    とか 説明しました
    今となっては あの「ゴッツイ トランシーバー」も懐かしいですね

  • 10/10/02 19:23

    日本で零下45度を経験しました

    魚の冷凍庫は可なり冷えます。類の物で最低はどれ程かは存じませんが、、、窒素や水素を凝固させた氷(固体)が気化する煙で金魚を瞬間的に冷凍させ、その金魚を微温湯で溶かすと、また元気に泳ぎ始めました。たぶん金魚自体の組織には損傷が無かったからでしょうか。。。でも寒極の地の温度程度では駄目ですね。
    余談ですが、最近の皮膚科は同様に局部的に冷凍させてから削る手順の治療をしていて、これも経験。

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  • 10/10/02 17:42

    EAVO氏は一生、ハワイ、韓国、台湾には行かないワン

    なんか宣言みたいに聞こえるワン

    そんな柔なトコ行くなんてプライドが許せないと・・・

    チャレンジスピリットが生きる証なんだから

    達成してもらいたいワン

    理解には苦しむけど

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    10/10/02 18:28

    みなさん、有難うございます。

    達成してから報告すればよいかもしれませんが、今までここで宣言して自分を縛って実行してきましたから今回早々に宣言しました。

    自分でもばかばかしいと思わないわけではありませんが、特別得意なことがあるわけでなし元気なうちにやれればと自己満足です。

    今のところ80歳で今の元気があればよいと思っていますがどうでしょうか。
    遠くの国から先に行き残りが近隣諸国だけになっただけに過ぎません。
    20年前にはせめてハワイくらい死ぬまでには行きたいと月並みに思っていました。
    国内も鉄道が無い沖縄県だけ行っていません。
    なんとなく南洋群島や沖縄など戦争に関係した場所は行きずらい気分があるのかもしれません。

    戦争に勝った日露戦争の激戦地は平気で行けました。
    尚私はプライドは全然持っていません。現役時代いつも頭を下げてばかりいましたから慣れっこになっています。

    皆さんから激励された以上病気にならない限り大丈夫だと思います。
    元気とはいえ血圧降下剤など薬は毎日何種類も飲んでいますので、今度はせいぜい半月ぐらいですが薬は貯め始めないといけません。
    皆さん有難うございました。

    これ以上更に計画が煮詰まるまでレスが着いてもその度にお答えしないかも知れませんが気持ちはありがたくいただきますので返信はご容赦ください。

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  • Re: 次の計画 北半球の寒極へ

    EAVOさん、こんばんわ・・・

    > この旅行は月面反射通信の準備をあきらめ残り少ない余生の代わりに決めたものです。
    皆さんのご意見(私もですが・・・)を採用していただきまして・・・  (笑)

    更なる躍進!    頑張ってくださいね、応援しています。
    私は寒いのが苦手で、今までは冬の「かっぱ橋」(上高地)での-15℃が最低記録かな?
    (更新しようとは考えていません。  オー寒い!)

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  • 老いてなお前進。 ですね

    その近辺、私はウラジオストクからヤクーツクへ飛行機で行ったことがあります(夏です)
    寒さの経験はイルクーツクでの-30℃が最高でしょうか。-30℃だと下はジーンズ一本、上もダウンジャケットの普通の冬用旅行服装で凌げるのですが、-40℃以下だとそれなりの準備がいるでしょうね。
    昨冬ロシアからの帰りの便で、ヤクーツクに一ヶ月滞在した日本人学生と会話しましたが、オイミャコンは一人では無理で現地ガイドの車で往復したとこのとでした。一ヶ月居て、総経費は50万円。

    老いてなお前進。
    この掲示板には20-30年前の旅行経験を得意げに繰返し投稿する常連がいますが、謙虚になお前進するEAVOさんはまさに正対する存在です。

    良い旅であることをお祈り申し上げます。

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  • Re: 次の計画 北半球の寒極へ

    EAVOさま、おはようございます。


    私は北海道出身なのですが、子供の頃に(30年くらい前)-20℃越えは経験したことがあります。
    昔は雪もたくさん降ったし冬は毎日寒かった記憶ですが、最近はどうなのかな?とふと思いました。

    2005年12月にカナダのイェローナイフにオーロラを見に行った事があります。
    その時は、-17℃でした。(もっと極寒を期待していったのですが・・・ハハハ)
    駐車中の車からヒーター用コンセントが出ていたのが印象に残っています。

    EAVOさまの自己記録更新を祈っています!
    では。

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