さすけねえの父は亡くなって19年になります。
父が生前「さすけねえ、ロシアの捕虜生活をしたカスピ海の港町にシベリア鉄道で行きたい、旅費は出すから行ってくれないかい」と言われた。
もちろん「行く」と回答していて、チャンスが無く行けなかった。
シベリア鉄道を貨車の床に「トイレ用の穴」が開いた捕虜輸送用の貨車に揺られて何日も何日も移動したそうです。
ふんどしの紐を切って「布」を売ったら、現地のおばさんが頭にスカーフのようにかぶったそうだ。
その金で本を買ってトイレットペーパーにしたそうだ。
黒パンを常食にすると大便が硬くなり、紙がいらなくなるそうだが、習慣でどうしてもほしかったそうだ。
砂糖を船に積み込むときにわざとその袋を破って、飯ごうにその砂糖を入れ、捕虜収容所に戻って砂糖水を飲んだそうだ(だから生き延びた)。
そのカスピ海の港町やらに、定年になったら位牌を持って行きたいと思うようになってきた。
シベリヤ鉄道では寝台車でも自信が無いので、飛行機+鉄道で(ごめんなさ~い、貨車で移動した捕虜の皆さん)。
いつも馬鹿なレスばかりのさすけねえですが「まじめな質問」もしなくては。
http://yabusaka.moo.jp/akatuki.htm
父は有名な捕虜収容所の隣の収容所に居たそうで、その跡暖かいカスピ海側に移動したそうです。
4年半の捕虜生活は父の青春の半分を過ごした苦い経験だったようです。
その港町が分からないので、だれか詳しい方知りませんか?
そこまでの行きかた方も教えてください。
お願いします。