サン・ジャン・ピエド・ポーは山バスクの端だけど

バスクと巡礼路が、どうもベスト・マッチだとは思えない。
霧の立ち込めるガリシアの入り口、セブレイロ峠の石碑に埋め込まれたブロンズ盤に巡礼路には多様な経路があったように記されていた。
コスモポリタンの「路上の人」が多く通ったオック地方にも巡礼路があったようだ。関係ないが、もっとオックに目を向けて欲しいな。
16番の写真は、金融恐慌で退職しアパートから出た自分の後姿かと思うほどに酷い。巡礼路を歩く大多数の人は、うらぶれた印象は無かったので。

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