2つの立場 彝驫靉さん、こんにちは チャリティ番組って 出演者をブッキングしたり膨大な経費をかけて ほかの番組と同じように、いや、ほかの番組以上に 何とか目だって視聴率をとろうとしてますよね。 その部分が企業に注目されて 企業は金を出す、つまりスポンサーになるのでしょう。 大きな広告効果があるかどうかが常に問題です。 逆に、広告効果をもたないところにはお金は回ってきません。 実際、寄付しにくる人も 広告などで知らされなければ集まらないかもしれない。 寄付金っていうのは こういってはなんですが、「おまけ」みたいなものなのかもしれません。 寄付行為も「おまけ」でしょう。 それよりも、こういう「チャリティ」のもたらす広告は絶大です。 普通の番組以上に、スポンサー料も高いでしょう。 しかし、出す価値はあるかもしれない、なんといっても「いい企業」とか「社会貢献をしている企業」というイメージを、見ている人に植え付けられるわけですから。 企業は企業の宣伝しか考えていないでしょうが 番組は番組の視聴率しか考えていない。 ギャラも制作費もバンバン使ってとにかく大がかりな番組にしようとする。 幸い予算は、チャリティ・スポンサーのおかげで、いつもよりたっぷりあるかもしれないし 足りなくなったら寄付金から回せばよい。 (※イベント自体の出費も「支援活動」の一部として計上できるかもしれません。) 結局、企業の出した金や寄付金がどこへいくかというと・・・ 番組のこうした膨大な経費として消えていき 残った分がやっと実際に使われる。 でも使われる段になって さらにNGOやNPOの経費や食費に消える。 (もちろん全てのNGO/NPOがそうではないです。 本当に良心的に活動をしている団体もたくさんあると思います。) あるいは受け手側の「経費」や「横流し」に消える。 さあ、残るのはどれだけ・・・? 寄付するにあたっては、寄付する側も、 1万円寄付しても200円くらいしか役立たなくてもいい、という覚悟が必要ですね。 もちろん、 それでもいいから寄付する、という人と それじゃ理不尽だから寄付しない、という人とに 立場がわかれますね。
スタッフにも生活をする権利がありますからね。 チャリティ番組の経費や、スポンサーの広告効果など、現実的な 部分はどうしても避けられない。 NPOやNGOのスタッフが使う経費も同じです。 なぜなら、その活動をしている人達も生活をしていかないと いけないからです。ボランティアと言えども、それを仕事にする 以上、給料を得なければご飯を食べることもできないし、家族が いれば養うことも出来ない。当然、スタッフは給料をもらう権利 があるし、その人達の行動がなければ、寄付金は集まらない。 > それじゃ理不尽だから寄付しない、という人 こう思う人は、そういった活動をする人達の人権を考えていない んですよ。ボランティアと言っても、ご飯を食べて生きていかな いといけないんですから、当然経費がかかるのは当たり前なんで す。その経費がどういう使い方をされているかと言う問題も確か にありますが。 だからと言って、何もしないのでは、誰も助からないんですよね。 それが現実だと思っています。 やっちゃん
NGO,NPO NGO,NPOはそもそもボランティアでは無く、非営利団体ですね。営利と聞けば「金儲け」を連想しますが、そうではありません。営利とは儲けた金をその団体の所有者達に分配する事です。一番身近なのは株主配当ですね。昨今の社会情勢では「企業は株主の物」とのフレーズが結構流れていますが、企業が儲けた利益を企業のオーナーである。株主に分配している訳です。例えば、私が発行株数三億株の企業の株、一株を買った場合、私はその企業の1/三億を所有した事になるのです。この場合はその企業の従業員の机の消しゴムは私の物なのかもしれません。その消しゴムで得られた企業活動の利益は私に入る事になるわけです。 話しは長くなりました。ではそのNPO,NGOの位置は、「金儲けをしても良いけれども、それを所有者に分配してはならない。」のです。その利益は新なプロジェクトに回して、どんどんと新たな事に挑戦をしていく。これがNPO,NGOの社会的な役割でもある訳です。例えば、その国の人と共同で排出権取引に目をつけて、開発途上国で非電化や、火力などの温暖化ガスを発生させるような設備を使わない発電を普及させ、それを取引の材料に使う。これが開発途上国でも大都市などに隣接した工場群のある場所ならば、日本の企業が乗り出しやっているのですが、地方で小規模の集落とかになるど話しは別です。このような場所では技術力があり、機動力も備えているNGOの活躍の場となる訳です。そうして得られた利益はそのスタッフの給与に、そして、次のプロジェクトの内部留保に、ある程度目処がついたら、その集落の人に譲渡して次の行動に移す。金儲けと開発途上国の開発が両立する訳です。 開発途上国に対しての寄付とNGO,NPOは似て異なる物だと私は思います。 そして、「恵まれない国の人々」のフレーズをちょくちょく耳にしますが、私はこの言い回しは好きではありません。私達は彼らの自立を助ける立場、自立をしようとする人々に対して「恵まれない人々」は酷い言い方だと私は思います。
ビジネスです。 私は、結論から言いますと反対です。 皆様、御馴染み名物番組、24時間テレビ。 某学会信者(芸能人)を使って奉仕活動をしています。 こうなってしまうと純粋な奉仕活動か、芸能人の宣伝なのか、政治活動なのか疑いたくなります。 電気代も馬鹿になりません。 マラソンは、いったい何を意味するのか。 芸能人のマラソンは、大名行列なのか。 お笑いなのか、歌番組なのか判りません。 最後は、お涙頂戴と万年大将とオデコが出て来て終わりです。
『チャリティ番組は飢餓や災害といった社会問題を食い物にしている』 『チャリティ番組は飢餓や災害といった社会問題を食い物にしている』 という意見もありますが、これは一理あるでしょうね。 深刻な状況を、テレビで流して お金を稼いで、稼いだお金のほとんどは自分のものにして わずかなお金だけを実際の援助に回す、 ということが行なわれているのであれば。 やっぱり、「やり方」の問題でしょうね。 同じようにお金を集めるにしても、別の方法があるでしょうし、 それを実際に使うときも、別の方法があるでしょう。 こういうやり方しかないのだから仕方ない、といって 芸能人をいっぱい集めてお金を湯水のように使って作られる「チャリティ番組」、 スタッフにも生活がある、といって 最低限の生活費以上にたらふくお金をもらって肥え太る「有償ボランティア」 ・・・こういう「正当化」は逆に、こういう援助の力になろうと思っている人々の気持ちにブレーキをかけてしまっていることも否定めません。 募金にしても、 ただ道端に突っ立っているだけで 人々が汗を流して稼いだお金を当然もらえると思っている発想自体がおかしいという意見もあります。 募金箱をもって突っ立っている時間があるくらいなら その時間自分で働いて、その働いたお金を自分で寄付すればいいんでは? やはりキレイゴトのニオイが拭いきれない活動もたくさんあると思います。 残念なことは、ニセモノがいるために ホンモノの援助活動さえもが胡散臭く思われてしまうことが多いことです。