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ラマダンの風景
シリアに到着し、ダマスカス市内に入るとすでに夕方になっていた。宿に着いて荷物を下ろし、一服してから市街をぶらつこうと思って外に出たら日が暮れた直後でまだすこし空が明るかった。通りをみると、2時間くらい前まで車が一杯だったところが閑散としていてほとんど1台もいない。店もシャッターが閉まっている。僕はシリアについては何の知識もなかったので、ヨーロッパのように夜は街が閑散とする国なのかと思った。
でも、レストランに入りご飯を食べていると、いつの間にやら街中が賑やかになり始め、道路も車で大渋滞し始めた。最初は何のことか分からなかったのだが、このような日没→閑散→賑やかという構図は旅行中、どこの街でも一緒で、これがラマダン中の生活風景なのだということに気づいた。仕事をしている人たちは日没=飲食解禁のために急いで家に帰り、ご飯を食べた後は街に繰り出して夜中まで遊ぶそうだ。
観光に制限はあるか
ラマダン中の観光はそれなりの制限がある。例えば、パルミラ遺跡のような観光スポットはラマダン中は午前と夕方しか見られなかったり、本来は見られるはずの円形劇場が閉まっていたりする。それでも、主要な観光スポットが全く見られない、ということは少なくとも僕についてはなかった。
バスやセルビスでの交通については不便を感じたことは一度もなかった。ラマダン中だって経済活動は継続しているんだから、当たり前と言えば当たり前だが、普通にバスに乗れて少し安心した。
ラマダンに対してどう接するか
シリアでさえ、公式には「ラマダンをどうするかは個人の自由な意思に任されている」というようなことが言われる。しかし、これは西洋向けの彼らの精一杯の「建前」というやつだろう。実際には、ラマダンの風習は日本人が初詣に行くよりもずっと深く浸透しているように見える。パルミラでおんぼろタクシーに乗ったとき、車の中には僕と運転手しかおらず誰も咎める人がいないのに、運転手が日の入りの号砲と同時に水を飲み始めたときは感動を覚えた。彼は一日しっかりと神の教えを守ったのだ。
こういう国では「郷には入れば郷に従え」が基本だと思う。もちろん、シリア人は外国人がラマダン中の日中に飲食をしても、直接的に非難することはないと思う。でも、心の底では「こいつら、分かってないな〜」と思っているのではなかろうか。ハマからアレッポに向かうバスの中で、割と大企業に勤めていて熱心に英語を勉強している青年と慣れない英語で会話をした。彼は僕が水を飲まないことについて「イスラム教徒じゃないのだから飲んでもいいのに」と言っていたが、僕が「飲まない」というと「何でだ」と聞いてきた。僕が「イスラム教徒ではないが、飲まない方が礼儀正しい(Polite)と思う」と言ったら、とても満足そうな顔をしていた。きっと、日本に来た外国人が敷居を踏まずに部屋に入ってきて端正に正座したら僕らも何となく嬉しいのではないだろうか。僕らがイスラム世界に行ったときに取るべき態度の基本はここにあるような気がした。
では実際にはどうしたか
と、格好良くしめるだけでは建前の議論に終わってしまうので、どうしたかの本音を書くと、遺跡に行ったときとかにかげ隠れて飲んだお菓子を食べたりしていた。見えない場所ならOK。一度、日中ほとんど飲まず食わずでやってみたんだけど、あまりに苦しくて1日の途中でギブアップした。観光客としては、これが彼らに合わせるギリギリの線だと思った。
でも、日没時にモスクの中にいると、親切なおじさんがお菓子を分けてくれたり、果物をくれたり、外国人に対してもイスラム世界らしい、互助精神を示してくれる。こういう人たちの気持ちを傷つけてはいけないな、と思ったのであった。