カサンチスからボレ アジスの表通りは花が咲き乱れ、旧式の日本車が席巻していた。 物が入手しにくいような記事も見かけたが、大抵の物は入手可能である。 miniSDカードアダプターなどの最新のものは見当たらなかったけど、どうってことはない。 (USBホスティング機能の付いていない日本製のデジタルビデオが悪いだけだ) ・・・インターネットカフェもちゃんとあるんだし・・・・ ・・・日本語が■で表示されるけど・・・ ・・・メールは読めないんだけど・・・(だれかPDF変換されるWebメールを提供してよ) シェラトンなら電源アダプターさえ各国のが用意されているので不要だった。 (三又コンセントは持って行こう) 今度行くときは手ぶらで行くだろう。 もちろんお土産は別として。 一転して、庶民の住宅街が密集している裏通りはタイムスリップした感覚に陥る。 (良い子の皆さんは真似しないで下さい) たぶん、この懐かしさは5,60年前の日本の風景に似ていると思う。 日本人が無くしたかったものと、無くしてはいけなかったものと、現在と未来とが混沌としている。 ボレ国際空港・中国アフリカフォーラム碑・エチオピア中国友好道路、どれも中国の援助で建設されたものらしい。 日本はいったい・・・何をしていたのだろう。 農業支援と言いながら、結局は日本人職員の雇用確保が目的だったんじゃないのか。 舗装されていないゴツゴツとした石畳を歩きながら、ぼんやりと考えてしまうのでした。