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わが家だけの感動、ブレンナー峠。

公開日 : 2008年08月07日
最終更新 :

これは我家だけの旅の感動である。
私が46歳だった16年前(1992年)、ぼく等夫婦は初めてヨーロッパ旅行に出かけた。目的はオリエント急行にのるため。そのころ、一度廃止されたオリエント急行が再編成され、再び走り出していた。
豪華列車の感動もさることながら、ロンドン~ヴェニス間の車窓の中で、チロルの風景に見惚れた。 そして脇を走る道路を見ながら、こんな絵のような田舎を、車でゆっくり回ってみたいと思った。

それ以来、僕等は毎年のようにヨーロッパに出掛け、田舎巡りを重ねた。 そして今回の旅行のスケジュールに、久しぶりにチロルを組み込んでから、気が付いた。 あのオリエント急行はブレンナー峠を通るだろうか? 季節は奇しくもあの時と同じ5月下旬。 運航日程を調べて、5月26日の昼、僕等はブレンナー峠で待ち伏せた。

細かいタイムスケジュールは分からないが、オリエント急行が定刻通りインスブルック駅を出発すれば、12時45分から15分間のあいだに、きっとブレンナー峠を通る。 そう思って1時間以上前にレンタカーでブレンナーに到着し、待ち伏せポイントを探し、駅の手前の駐車場の2階で待った。 風が少し冷たかった。

12時47分、・・「来た!、白い屋根が見えた!」と、遠目のきくワイフが叫ぶと、少ししてオリエント急行の濃紺の車体が現れた。 私は写真を撮り、ワイフは乗客に手を振っていた。 ほどなく列車は通り過ぎ、僕等はぼんやりと余韻に浸っていたが、気が付いた。
峠まで牽引してきた起動車を、このブレンナー駅で外すに違いない。

駅まで300メートルを、ぼく等は走った。 駅にはオリエント急行の優雅な車体が有った。 駅のホームに行って近くで写真を撮った。 着飾った乗客達が社内で行き来しているのが窓越しに見える。 今日の乗客も、それぞれの夢を実現しているのだろう。 
この16年間、旅への純粋な思いは変わらないけど、回数を重ねてきた僕等のヨーロッパ旅行の節目になった。

旅する者はみな、自分の旅行の感動を大切にしていますが、ぼく等夫婦も、その時その時の旅行を、楽しんでいます。

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4件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    12/01/08 13:52

    Re: わが家だけの感動、ブレンナー峠。

    kiya様

    いつも親切なご回答ありがとうございます。

    今度の旅行のプランのために、あれこれ調べていたら、素敵なレポートを見つけてしまいまして思わず書き込みさせていただきます。

    オリエント急行に乗られたのですね。うらやましいです。憧れの中の憧れ、将来の目標の中の目標です。ただ夫婦二人ともがリタイヤ年齢になるまでは、かないそうにありませんが…

    正月にオリエント急行の番組を見てまして、次回の旅でこのブレンナー峠を私も通るのかしら?と思いワクワクしています。

    イタリアからドイツに向う予定ですが、ドイツからイタリアに方向のほうが良さそうですね!

    サン・マッダレナ村にも泊まられたとのこと、私もコスミ様から教えていただいて、ここを訪れるのがとても楽しみなんです。

    唐突に3年以上前のレポートへの書き込みお許しください。

    旅の感動が伝わってきて、今日はとてもいい日曜日になりました(^-^)

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  • 私にとってのブレンナー峠

    kiya さんご夫妻のステキなブレンナー峠のあとでは なんと無粋なと思われそうな 私のお話です。

    あこがれのブレンナー峠越えは 私はイタリア側からです。

    コルティナ・ダンペッツオで ドライチンネをめぐり、ドロミテの不思議な山を眺めながら 小人のように小さなエーデルワイスの群落のなかで昼寝を楽しんだあと インスブルックへ抜けるためにチャーターしたバスで 高速道路を一路オーストリアへ。

    中学高校時代からの山遊び仲間が集まっての ヨーロッパアルプスのワンダリングも10年つづいてそろそろチロルに足を伸ばそうかと言う頃でした。

    もちろん 私も監督者?同伴ですが そろそろ同行者の多さにくたびれてきた頃です。

    長旅のバスが 鉄道と大きな道路が合わさったけっこう広々とした場所でやや徐行をしました。 国境です。

    えっ これが ブレンナー峠・・・!と 寝ぼけ眼をこすりながら窓の外を見回す私がいました。

    その少し前 スイスに雪が無くてインスブルックに逃げて、そこから スチューバイタールの氷河へ通ったときに この先に ブレンナー峠がと胸躍らせていた感激は いったいどこへ行ってしまったのでしょうか。

    そうなんです。考えてみたら 私がこれまでよんだこの峠のお話はすべてが 南の国イタリアへの思いがあったんですね。 

    イタリア側からだと 登りとも思えない長い長いダラダラ登りの果ての峠だという事に まったく気がついていなかったのです。

    ですから 私たち夫婦にとってのブレンナー峠は まったく散文的な印象しかないのです。 

    やっぱりこれって 損したんでしょうね。 いや そんなことも無いか。

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    08/08/09 07:59

    逆コースでしたか。

    ぼうふらおじさんのブレンナーは、逆コースだったんですね。そうすると言われるように、イメージの湧き方が違うかも知れません。  私の場合は、チロルの山あいを抜けて、広い下り坂に入るので、ホーっと気が緩み、いろいろイメージできたのかも知れません。 

    車窓で、小さなスケッチを書いていたオヤジさんが、それを私にくれました。 言葉も分からず笑顔で受け取るだけでしたが、決して上手とも思えないそのスケッチは、アルバムに入れてあります。 どれもその時の旅の思い出だから。

    今回、ブレンナーを通るプランになったのは、イタリア、ドロミテのサン・マッダレナ村に泊まり、オードレ(ガイスラー)の山塊を見るためでした。 だからオリエント急行を見る前日にこのサン・マッダレナ村に行き、当日はイタリアからブレンナーにレンタカーで戻り待ち伏せたのです。 

    ブレンナーで列車を見た後は、オーストリアに戻り、この日はシュトゥバイタールに行きました。奥のフルプメスも行きましたが、泊まったのは谷の入口に近いテルフェスの村でした。 村はずれのターラーホフというペンションでしたが景色がよくて、偶然とても良い宿でした。

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  • 08/08/08 06:31

    オリエント急行

    私は妻が生きていれば極地などへは行かず多分乗ったと思います。
    フルムーンも乗るつもりでいましたが果たせませんでした。

    キャンピングカーは二人で全国を回ろうと引退後買ったものですが、これも途中でおしまいでした。

    一人だと不便なこともあります。
    JR乗り放題もフルムーンが使えず、一人用(3日用)も西日本だけ発売されず他のJRは全部乗りました。

    kiyaさんも元気そうですから出来るうちに何でも経験してください。
    私も初めのうちは再婚はしないのかと外国でも良く聞かれましたが、今は元気に独身生活を楽しんでいます。

    然し同じ独身でも今威勢の良い現役世代が何時までも今の状態を続けられるか疑問に思っています。

    私が働いていた頃タイや台湾などへ出かけて元気だった人たちの多くは元気ないか、あの世へ永久旅行に旅立ってしまいました。

    口だけが達者な歳よりは嫌われるだけです。kiyaさん、奥さんも心身ともに元気にお暮らしください。

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    08/08/09 07:36

    読んでいただき、感謝。

    EAVOさんには、いつも生き方を見せて戴いており、大いに参考ににしています。 私の拙文が亡き奥様を思い出させてしまい、申し訳なく思います。

    自分の旅への期待とともに、それと同じくらい相方の旅への希望を叶えたい、そんな気持ちをいつも持っています。 人生は自分だけのためには、そうそう頑張ったり、努力したりは、出来ませんから。 
    そんな想いが、EAVOさんと共通しているかな?と、思います。

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  • 退会ユーザ @*******
    08/08/07 23:58

    Re: わが家だけの感動、ブレンナー峠。/すてきですね!

    kiyaさん、いいお話をありがとうございます。

    16年という歳月ののちに奥さまとおそろいで、こうした再会を果たされた、何てお幸せなことでしょう。
    一見望めば簡単にかなえられそうでありながら、実は必ずしもそうでないということが、この歳になるとわかってきますよね。
    (あ、勝手に同じ年代にしてしまっていますが.........。)



    ところで、ブレンナー峠は私にとっても少し思い入れのある場所です。
    というのも、私にとって初めてのヨーロッパ周遊は、当時心酔していた堀田善衛さんご紹介のモンテーニュの旅日記を辿ってみたい、ということから始まったからです。
    中でも主目的?が、ブレンナー峠を越えてドイツからイタリアにはいる、ということだったんですよね。

    ただ、むろん往時は馬ですよね。
    こちらは列車。
    まあ妥協です。

    とは言え、国境駅を越えてから、延々と続く下りの長かったこと!確か、車の道路も鉄道と併走していませんでしたっけ?
    滑るように流れ落ちてゆく(ように見える)車を眺めながら、列車の食堂車でお昼をいただいていたのでした。
    (マルクで払って、リラでおつりが来ました。懐かしいですね!)

    気のせいか、ドイツ(実際はオーストリアですね)からイタリアに抜けたとたんに、風土というか、町並みも変わったように感じられました。


    ま、オリエント急行に乗ることはないでしょうけれども........なんと言っても私にとってはオリエント急行はアガサ・クリスティの世界ですね。着飾った紳士淑女の数にははいれませぬ。

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    08/08/09 07:24

    Clioさん、ありがとう。

    拙文を読んでいただき、ありがとうございます。
    アルバムの写真を見ただけでは、何もないブレンナー。 だから、わが家のアルバムに貼るために作った拙文です。 アルバムを見てくれる知り合いが、文を読んでくれれば、
    「ああ、思いがあったんだ。」と、分かってもらえるから。

    Clioさんは、堀田善衛さんご紹介のモンテーニュの旅日記が、背景にあったのですね。 私はほとんど読書をしませんので、知りませんが、夢がふくらんで、その夢を叶えたいというアプローチも、なかなか良いですね。

    >国境駅を越えてから、延々と続く下りの長かったこと!
    そうです、そのとき通って来たチロルを思い出しながら、私も夢を広げました。

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