最悪のブダペスト空港

私達は今夏7月23日と25日に空港ホテルで各1泊しました。
(以前は市内、ドナウベントを観光しましたが、今回はモルドバからの入国及びコソボへの出入国並びにフィンランドへの出国のためだけでした。)

私達だけかもしれませんが、私達は過去に世界中を旅行してこれ程酷い扱い等を受けたことがありませんでした。
出来ることならブダペストを避けた方が良いと思います。

1、空港内の案内所
空港ホテル及び電話のかけ方を尋ねましたが、空港に直接関係無いと言われて相手にされませんでした。(2回別の案内所でも同じでした。)

2、空港タクシ
空港から4~5kmの距離でしたが、2人の運転手に尋ねると、EUR20(¥3,400)とEUR25(¥4,250)でした。

3、爆弾騒動(7/25日)
空港2A付近で不審な荷物を発見して、空港ターミナルから外に出された荷物を爆弾処理班が駆けつけその間約30分間、到着側の一部が閉鎖された。

4、空港ホテルのシャトルバス
電話をしないと迎えに来ない。電話のかけ方を教えてくれない(旅行者が多く知らないのかも?)若しくは知っていても教えない。

5、空港売店の高物価
値段はハンガリー通貨で表示していて値段が良く分らない。
私達の前の人は水(エビアンの最も小さいサイズで多分300~400cc)でUS$6(多分USの人かと思うが、驚いて戻そうかと迷っていて後の列を見て諦めたようでした。),その前の人もポテトチップの袋2個とその他2~3点でUS$50でした。
ペットボトルをゲート前に持ち込めないのをいいことに足元を見て高い料金設定をしている。

6、航空機チェックインの対応
チェックイン窓口が分らなかったので全く仕事のしていないNY行きのチェクインカウンターの人に尋ねると向こうという。向こうといわれても分らないので尋ねても答えなし。向こうへ行って、再度尋ねると放送を聴けと言う。
2時間前に行っても、誰も対応しない。

チェックインでもよそ見したり真剣に対応しょうとしない。

7、ボーディング
最初に子供、身障者、・・・であるが、ボーディングチェック早くを受けても乗るバスが同じなので狭い部屋に入れられて待たされる。
小さな飛行機でも、ボーディングに掛かった時間は約55分。
飛行機の遅れは全く問題ではない。

8、出入国管理官
仕事が単純なので対応がいい加減になるのか、手続きの最中でも、余所見したり、知り合いが来ると明らかに遊びの話と分る内容で話に夢中になり、手続きが散漫に成る。
私達入国者にとって非常に不愉快であった。

9、荷物の排出が非常に遅い
小型機で、僅か4人の4個の荷物であったが飛行機を降りて40分も掛かった。

10、空港ホテルの料金
ウイークデイ:99ユーロ
ウイークエンド:89ユーロ


ブダペスト空港に僅か2泊だけで、ハンガリー国民全てがそうであるとは言えませんが、この空港で働く人達に限って言えば、やる気を失った国民としか思えませんでした。

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2件のコメント

  • かわいそうな方ですね。

    ブダペストには、何度も行っていますが、すばらしい街でした。

    まず、なんと言っても食べ物が美味い。
    フォアグラ、アスパラ、ポテト、グラッシュスープ…
    そして、トカイワイン。

    最近じゃ、随分物価も西よりになってきましたが、それでもまだオーストリアよりは安いと思います。

    ふんどし締めて入る温泉も、最高でしたけどね。


    チャーチルさんこの板では、随分自論を展開されているようですが、本番に弱いんですね(笑)
    格安CとLCCってのも笑っちゃいます。
    私なら欧州Cなら別の方法とりますけどね。結局高くついているって事に気づいた方がいいと。
    本題と関係ないですが、片道航空券でも随分と仰っていましたが、結果がこれですか(大爆)

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  • 08/07/29 18:00

    Re: 最悪のブダペスト空港

    私はそれほど悪い印象はありません。
    チャーチルさんが特別悪い扱いを受けたとも思えません。受け取り方は皆まちまちですから私とは不満度が違うようです。

    私もタクシー代金をごまかそうとしたりもされましたが、駅で誘われて20ユーロで送り迎えつきの宿に泊まったり、
    キャスター付きキャリーが3000円と安かったり、特別不満はありませんでした。
    夜のドナウ川クルーズも良かったです。

    坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと思えます。いつも私より不満が多い気がします。
    毎日そこで生活をするわけではないので、旅行は見つけてでも良い印象を持って帰りたいものです。
    少なくとも日本と同じ期待度は持たない方ががっかり度も違います。

    私のハンガリーは1956年ソ連軍に立ち向かったハンガリー動乱当時まで遡ります。同じアジア系人種です。
    当時ブタペスト放送からナジ首相がハンガリー国歌と共に皆さん助けてくださいと言う悲痛な叫びの放送が忘れられません。

    今は無いかもしれませんが私の最初の東欧旅行(1999)で1989年の民主革命後ハンガリー農林省に掲げてあった今のハンガリー国旗と交差して共産主義時代の槌と釜を切り取った旧ハンガリー国旗が印象に残っています。
    http://www.c-player.com/ac45785/thread/1100071194352

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