話がそれますが この町、ドイツ語だと Freiburg になるんですよね。 ドイツのフライブルクが Freiburg im Breisgau と呼ばれるのは この町との混同を避けるためですね。 ちなみにこの町は Freiburg im Üechtland です。 町の名に川や谷や地方名を付け加えている場合には 同じ名称の町が (時として国を隔てて) 複数あるのだと考えられます。
Re: 話がそれますが この町の小高いところが教会を中心とした市街でフランス語圏、つまりフリブールで、川沿いの下の街がドイツ語圏・・ベルンの支配者チューリンゲン家が川から通行税をふんだくっていた根拠地だとか。 ですから いわゆる城壁都市が2重構造になっているのだとか。 お金持ちの商人は上に住み、働く人は下に済んだのだそうですが いまは下の方が静かでいい・・と人気が高いとか。 ですから 多分中世では ドイツのフライブルグよりこちらの方が有名だったのかも。 巡礼のたどる街の一つだったとも言われてますし。 余談ですが この街の隠れた?名物が ヨーデル?なんです。 といっても バスク地方のヨーデル?風で ヤギの絞め殺されるような何とも不思議なヨーデルです。
みんさん有難うございます みんさん、私の気まぐれな疑問に付き合って下さって有難うございます。 私、3年前にフリブールを訪れ、いたく感動しました。あの上の町と下の町に分かれ独特の景観をもつ旧市街が気に入りました。 実は、このたび友人に雨の日のスイスにおけるオススメの訪問先を聞かれ、フリブールを推薦した際に、「歩き方」のフリブールの部分を参考までに読んでみました。 旧市街の古さは、ヨ-ロッパ1ではないにしろかなり古いほうには入ると思われますが、広さについては、例えばプラハ旧市街を訪れた時の記憶だと、だんぜんプラハの方が広かったと思いますが・・・。
Re^2: 話がそれますが ツェーリンゲン一族は、ドイツのフライブルクの創設者でもありましたね。 ヨーロッパ史はロクロク勉強していないのですが フリブールの創設は9世紀後半、フライブルクは12世紀半ばですから スイスのフリブールのほうがずっと古いですね。 おっしゃるとおり、中世にはそちらのほうが栄えていたでしょう。 たぶん新しく作った町に同じ名前をつけたのかもしれませんね。 昔栄えた町というのは、独特の魅力を持っているので いつか訪ねてみたいものです。