Re: 「歩き方」に載っているフリブールについて記述 ツルマル殿 私もそんなわけは無いだろ、またまた無責任な・・・と[歩き方]をひらいたり、当地のパンフレット引っ張り出したりして見ました。 でも町の創設1157年と云うと確かに古く、まだまだフリードリッヒ赤ひげ王だとか ヘンリー2世なんてことですから こうした王様たちが一箇所に定住すると周辺が食いつぶされた時代です。 と云うことは その後の大きな戦火に見舞われて無いことを考えるとそうかもしれないと思えてきました。 旧市街の大きさの点は これも街の上と下両方を考えるとそうかもしれません。 あちこちの大都市に残る旧市街は 城壁の中にある限られた場所をさすので 大きなお城があればそれだけ旧市街はそれほど大きくはありません。 まあ フリブールの場合は 旧市街が取りとめもなく上下に広がっているセイだといえなくもありませんか。 大聖堂の周辺、大学周辺、がけ下・・。 ほんとに面白いですが変な町です。 もっとも その分新市街もとりとめがない。 ところであの大学、これも古さと格式ではけっこういいとこにいるとか。 もちろん 教会付属の神学がはじまりのようですが。
話がそれますが この町、ドイツ語だと Freiburg になるんですよね。 ドイツのフライブルクが Freiburg im Breisgau と呼ばれるのは この町との混同を避けるためですね。 ちなみにこの町は Freiburg im Üechtland です。 町の名に川や谷や地方名を付け加えている場合には 同じ名称の町が (時として国を隔てて) 複数あるのだと考えられます。
Re: 話がそれますが この町の小高いところが教会を中心とした市街でフランス語圏、つまりフリブールで、川沿いの下の街がドイツ語圏・・ベルンの支配者チューリンゲン家が川から通行税をふんだくっていた根拠地だとか。 ですから いわゆる城壁都市が2重構造になっているのだとか。 お金持ちの商人は上に住み、働く人は下に済んだのだそうですが いまは下の方が静かでいい・・と人気が高いとか。 ですから 多分中世では ドイツのフライブルグよりこちらの方が有名だったのかも。 巡礼のたどる街の一つだったとも言われてますし。 余談ですが この街の隠れた?名物が ヨーデル?なんです。 といっても バスク地方のヨーデル?風で ヤギの絞め殺されるような何とも不思議なヨーデルです。