うーん それでね・・ おじさん(おじいさんかな)の小学生の頃は おコメが足りなくて親がどこからかかき集めた お芋やカボチャを刻んでご飯に炊き込んで量を増やしたのを食べていました。 いえそれでもあれば良いほうでした。 お陰で私はいまだにサツマイモ、カボチャには箸がのびません。 家の周りは焼け野が原で、草茫々。 渋谷では宮益坂、道玄坂両方の上から駅が丸見えでした。 海外旅行なんてとんでもない時代です。 日本国内の汽車のキップが自由に買えるようになるには それから5-6年ほどかかったでしょうか。 ですから いまだに焼け跡育ちの仲間たちはいつでもあの頃の何にも無い時代に俺たちは戻れるゾ・・・とうそぶいてはいますが、そんなことになったら一番先に死にたくなるのも 私たちの世代でしょう。 もう少し上の世代の人は いろいろなものがあったところから戦争でどんどんなくなっての窮乏生活でしたが、幸い?なことに私たちは無いところからのスタートだったので ある意味たいへん幸せでした。 そこへ行くとあなた方は あるところから無いところへ・・いえそんなことは考えないようにしましょう。 でも私の家では 陽あたりの良い冬の日はエアコンはいれません。夏の日中でも風さえ吹いているならエアコンは切っています。 まあ 田舎・ですからそれも出来るとはいえますが。 便利な自動車も実は運転ができません。 いえ 老親の介護用の車は家内に免許を取ってもらったのでアンマリえばれませんが。 ですから いまの北朝鮮の人々の暮らしはアンマリ他人事ではないのです。 あの暮らしは必ずしも今の私たちとそう縁遠いものではないかも知れないと考えた事は・・・ないでしょうね。とうぜんですが。 年寄りの繰言です。
カーボンオフセット 飛行機に乗って消費した分のCO2を「排出権取引」や「植林ボランティアで埋め合わせる」みたいなカーボンオフセットがセットになるような時代が来るかも? 時間はかかるけど、船だったらCO2の排出が少ない分、埋め合わせが楽だとか、○○航空は省エネ型の機体を使っているみたいな選択肢が出てくるかも?
昔話 その2 嫌がられそうだけど もう少し・・・。 角栄おじさんが日本国中をコンクリート漬けにする少し前までは 日本国中すこーし山の中へ入れば 棚田が広がり、コケラ葺きや藁屋根、萱ふき屋根のまずくても美しい山村風景が広がっていました。 もちろん 切り崩された山肌なんてないきれいなたおやかな山々がつづいて・・。 初めてあこがれのスイスの山村に立ち入った時の印象は・・・なんだ信州の村の風景とオンナジじゃないか・・・でした。 その後音をたてて日本の原風景が崩壊していく中で かのスイスの風景はほとんど止ったかのように静かできれいのまま・・でしたが。 ああ それもここ2-3年で大きく変わろうとしています。 やっぱり 便利さはこれ以上要らない・・・というべきではないでしょうか。 まあ 先に生まれた分そんな気ままな事が言えるのかもしれませんが。 やっぱり空路なら 飛行船でしょうね。 大げさな空港もいらないし。 あっ それでは日本の政治家も 土建屋も立ち行かないか・・・。