辺境好きのフランス人? 昨年、中国シルクロードを旅行したのですが、あっちでも こっちでもフランス 人が多いのには驚きました。 また、中国人のガイドがとんでもなく上手にフランス語を 話すのにもびっくり。ほとんどネイティブ並でした。 (それにしても中国人の日本語ガイドの日本語、上手く ないですねえ) カシュガルからウルムチへのフライトで、近くに フランス人の団体がいて、大声で話しているのです。 うち、1人の男性が背中に Miramas と大書した ジャンパーを着て、強烈なマルセーユ訛りだったので、 思わず「マルセーユからですか」 と話しかけてし まいました。答えは サロン でした。 Miramas も Salon も マルセーユ郊外の田舎町です。 また、欧州から香港行きのフライトで、フランス人の 中年夫婦と隣り合わせたことがありました。これから 雲南だったか青海だったか、かなりの奥地へ行くと 言っていました。(中国の地名をフランス語で言われて もピンときませんね。ちなみに、英語はほとんどダメで した)
フランス人団体さんは、日本人とどこか似ています インドで見かけるフランス人団体さんは 日本人の団体さんと、構成メンバーが似かよっています。 つまり 60代以上の高齢者の夫婦とか、中年男性、女性のグループが中心で 学生さんくらいの年頃にある若い人の割合は少ないです。 日本人団体さんと同じく 添乗員っていうかガイドに従順で、統一行動をとります。 やはり、ヨーロッパのお隣の国に行くのと勝手が違うので固まるのでしょう。 写真を撮るのも結構好きですよ。 だから、日本人は決まって首からカメラをぶら下げているというのは 大昔のイメージであって そのイメージはいまや東京で観光、ショッピングをする 中国人の富裕層にとって代ってしまったのではありませんか。 で、インドで彼らは ひどいフランス語訛りの英語は一応話します。 それに応えるインド人はひどいヒンディー語訛りなので なかなか意思疎通は大変みたいです。 レストランでも幾度かフランス人のグループがいましたけれど おおむね礼儀正しくて、大声で仲間内でしゃべりあったりしない。 このあたりも、日本人グループと似ていると感じました。 いちばん羽目をはずして楽しんでいるのは イスラエル人です。 兵役を終えたお祝いにインド旅行をするのが、従来からパターンになっいるらしく こちらは、個人旅行者の若者ばかりです。
脱線しま~す、、 Salonですか、懐かしい。 私が初めてプロヴァンスに行ったのは、98年ですから丁度10年前のことです。 そういえばこの町の普通のレストランで昼食したとき、隣り合わせた中年のフランス人夫婦と、会話する機会がありました。 この夫婦が英語で返してきたので、ちょっとびっくりして「英語が上手だ!」と言ったら、英語の教師だってさ。フランス人と英語という、印象の一コマでした。(笑) このサロン・ド・プロバンスに着く前に、ちょっとしたミステリーがありました。町の少し北でEygalieresというとても気に入った村に偶然たどり着いたのですが、この村を少し南にあるEyguieresだと思いこみ、地図をどうみても、近くのサロンに行けずに、狐につままれたように迷い、アルルの近くまで行ってしまいました。 このよく似た地名を、発音も出来ない私は、フランス語のワナ!、と呼び、以降フランスの地名は綴りをよく見よう、と心掛けているのです。
Eyguieres と Eygalieres Eyguieres には城跡があって、登ると展望がいいです。そこから山を 超えて北に行くと Eygalieres です。 私は、この順序で、自転車で巡ったのですが、多分、一生、字面から 2つの町を識別することはできないでしょう。なんで、隣接してこんなに 似通った名前の町が存在するのだろう? 地図です。スケールを広域にしてみてください。 http://www.viamichelin.com/viamichelin/gbr/dyn/controller/mapHomePage#locid=31NDI5N2wxMGNORE11TnpZeU1EST1jTkM0NU5EZzVOQT09 さて、ポイントは、サロンから来た、まさに農家のおっさん、という雰囲気の フランス人がはるか、カシュガルまでやってきている、ということです。 敦煌、莫高窟の前でも、南仏でみかけるのとおんなじように、ショートパンツ のご婦人がペットボトル片手に暑さにばてていました。 フランス人は、東方に行きたがりますね。いつぞやは、安売りエアラインだった か、チャーター便だったかが飛ばなくなり、大量のヴァカンス客がトルコから 帰国できなくなったニュースがありました。