宗教的な意味があると言えば、あります ご無事にお帰りのようで何よりです。 バナラシにて、ガンガーの対岸の砂ですか。 対岸というところに訳があると思うんですが ガートのある岸辺はまさに死者の焼き場のある側ですから 対岸になったのかと想像します。 ヒンドゥー教は輪廻転生を説く教えですからね で、死者の灰を流したガンガー、そして岸辺の砂には おのずから宗教的な意味合いが込められているとみて相違ありません。 インドの宗教については、ごく表層的なことしか知らないので あんまり突っ込まないでくださいね。(笑) ガンガーの水は売られていますね。 缶入りで、これも外人観光客の土産物として代表的なものです。 遠方から巡礼にやって来たインド人なら ガンガーの水は聖水として、必ず瓶に入れて持ち帰ります。 水ではなくて、砂には特別な意味合いがあるのかよく分かりません。 実際にインドを旅行するより、ネット検索を趣味にしているお方がいらっしやいますから ずばりとした返事が頂けるかもしれません。ご期待を。(笑)
彼岸とは「あちら側」、此岸(こちら側)の反対なのです、それが「ガンがーの対岸」なのです。 http://homepage3.nifty.com/funahashi/sonota/hoka63.html 今夜の歩き方はすばらしい教養が満ちあふれるカキコになった。 南無阿弥陀仏(合掌)
Re: 宗教的な意味があると言えば、あります 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経 ・・・あのガートの対岸は、人間もすんでいません=宗教的にあの世なのです。 病気も、死も、実体のある物(色)も無い世界(空)なのです。 分かるかな?わかんねーだろうなー?さすけねえもわかんない世界。
ほほー はぁい。何とか無事に帰ってきましたぁ。 ホーリーは、バスの移動がストップするみたいだったので、バラナシは避けたのですが結局ネパールがホーリーでバスの中に水風船をぶっかけられました。 対岸の砂・・・なんかある人に供養した方がいいとか言われてちょっと恐くなってきました。誰か助けてください。
私も持って帰ってきました。 私の場合、海外のビーチに行った時の記念として砂や貝殻を持って帰っています。キューバ、バハマ、アメリカ・・・・。 山に行ったときは小石などを。エベレスト・ベース・キャンプ・・・。 で、家に飾ってあります。 そんな癖がありましたので、バナラシでも特に誰に言われたのではなく対岸に行って散策し、ビニール袋に入れて持って帰ってきました。 ちなみに、リシュケシュのガンガー、アンジュナビーチ、コヴァーラムビーチの砂等も。 その後、不幸なことも起きてないので供養など何も必要ないかと思いますが。