Re: ホテルの選び方 どうも書き方がちょっとヘンな感じになっちゃいましたが、 要は、「地球の歩き方」に書いてあるとおりのホテルにとまって、書いてあるとおりのコースをたどって、書いてあるとおりのレストランに行って・・・という旅行者が増えているのかな、という疑問でした。そうなってくると、みんな同じような旅行の足どりになっていきそうですね。 結果的に泊まったホテルがあとから見ていたら載っている・・・それは自分もよくありましたね。地球の歩き方、いまはよくわかりませんが、昔はホテルのインフォでもなんでも、読者の投稿によって成り立っている部分があったような気がします。あのスタイルはとても面白かったので、全部ああいうスタイルの本とかまた出ないかな~なんて個人的には思ってしまったりします。間違った情報が入っていたとしても、それはそれで面白かったりするので。 自分はバルト3国が独立して1年くらいしか経ってないときに昔旅行したときは、なんにも参考になるようなガイドってなかったような記憶があります。バングラデッシュへ行ったときもそうです。中米を旅行したときは英語のガイドブックでしたが(たしかロンリープラネットではなかったです。)行き方くらいしか参考になりませんでした。たしかに、否応なくガイドを参照せざるをえない国があるという気もしますが、そのガイドすらない場合(もしかして出てたのかもしれませんが)、必然的に何も頼ることがなくなります。本質的には、この状態こそ、個人旅行の原点かな・・・っていう気がします。 全部ガイドを参考にしていったらどうなんでしょう。苦労はずっと少なくなるでしょうが、個人旅行の原点が見失われていきそうです。地球の歩き方はいい本ですが、こういう個人旅行自体の根本的なテーマはもしかしたら今の世の中、議論されなくなっているのかな、という疑問も残ります。なんのためらいもなく、地球の歩き方を肌身はださず抱えながら「バックパッカー個人旅行」する日本人たち、という現象・・・。
個人旅行とは・・・考えさせられますね おっしゃりたいことよく分かります。 なかなか深遠なテーマになってきましたね。(汗) どうしてもインド旅行に関しての事柄になってしまいますが みんな同じような旅行の足どりになっていく感は否めませんね。 デリー ~ アグラ ~ バラナシ ~ ジャイプルという北インド周遊ルートの お尋ねがいちばん多いですし 初インドで、あえて北インドを外した個性的なルートを組む人は少ないです。 K28 さんの言われる個人旅行の原点が見失われるという恐れですが たしかにそれは感じますね。 自分自身、旅先の宿でも、明日はどういうルートで何処まで行くかとか思案するにつけても ガイドブックやら現地で入手した地図を頼っている自分がいます。 だからと言って、その旅がガイドブックを踏襲したものに過ぎないではないかと 自分自身に厳しくなれるものでもありません。 トラブルやハプニングが付きまといますから 途中で修正をしてプランを練り直す必要に迫られるのは再三ありますし。 たとえばガイドブックに載っていない地に足を踏み入れたとします。 載っていても極めて情報が少ない。 そうなったらそうなったで、自力で現地の人に尋ねるなりして目的地を目指します。 で、ようやくたどり着いて、地図で確認して現在位置をたしかめ ガイドブックから最寄りの宿を調べる。 その時点で、安堵した気分になりますね。 個人旅行の原点のお話しですけど それを突き詰めてしまうと チベットのラサから、ヒマラヤ山脈を越えて、ネパールへ至るルートを むろんガイドブックは無しで、予備知識は現地にて収集しながら 走破する。 そのような事に行きついてしまうのではないでしょうか。 効率優先の思想は、こと海外旅行にも深く浸透している時代だと解釈せざるえません。 それに逆らって行く人たちは 今まさに、世界のどこかで、現在進行形で旅していると思います。
哲学的なテーマ これはちょっと哲学的な話になってきました。 もし、「個人旅行」というものを 「自分の力でなんでもする」というふうに定義して 「個人旅行者」のプライドを、ツアー客とは違って、 ホテルからルートから食事から何でも「自分でする」ことに求めるのであれば ガイドブックを肌身離さずもって旅行している姿というのは どこか矛盾を感じる光景といわざるを得ません。 自分でこのホテルみつけた、ここを自分の力で移動手段をみつけた、などという自慢をまくしたてている旅行者もときにいますが実は全部、ガイドブックに書いてあったとおりのことをしただけ、なんていうオチも少なくありません。 一体何をもって「個人旅行」というのか、よくわからない時代になっているような気がします。 もちろん、ガイドブックをもっていったとしてもそれは立派な旅行であるに変わりませんし、旅行の素晴らしさ自体はガイドブックの有り無しでは決まらないと思います。けれども、本当に自分の力だけで旅行を切り開いていったのか、という点になると、自ずとクエスチョンマークがつきます。もちろん、インフォメーションや旅先で会った人から情報を聞くことだって、「人の力を借りている」ことに変わりはありません。けれど、ガイドブックばかりに頼っていったら、そしてそれを大勢の人がやるようになって、大勢の人が何のためらいもなく「それが普通の個人旅行」と考えるようになっていく光景は、奇妙に思えてなりません。 ガイドブックを見れば、恐らく1時間もかかることを10分でできたりもするでしょうし、あらかじめ住所がわかったり、便利なことこの上ないでしょう。なんでバカバカしいことに時間をかけなくちゃいけないんだ、と笑う人もいるかもしれないですが、実はそういうことをバカバカしいと思う時点で、その人は個人旅行の本質的な精神から離れてしまっているのかもしれません。 もし本当に効率だけを求めていけば、個人旅行なんかせずにツアーに参加したほうがいいのではないかも思います。ガイドブックは自分も使うことありますし、自己批判にもなってしまいますが、「効率」優先の時代には、その「効率」に対してあまりに無意識に享受するばかりになりやすいという点は強調しておきたいです。「地球の歩き方」はそもそも「個人旅行者に手取り足取り細かく情報を与えてくれる本」なので、そのこと自体、本当は矛盾を内包しています。でも面白いし、つきつめて考えてみると、そこが矛盾しているからこそ面白いのかもしれません。
とぴずれゴメン!ガイドブック、そして「地球の歩き方」 欧米人旅行者がロンプラに依存している度合いは日本人が歩き方に依存している度合いより高いと感じます。ほんと分厚い本を肌身離さずという感じです。先日、ロンプラ持ったオランダ人カップルを東京案内したんですが、「それってライフラインでしょう?」っとからかうとにっこり笑って頷いてました。 地球の歩き方創刊時よりお世話になりましたがずいぶんと変わりましたね。「迷い方」の汚名をきせられて20年以上、地図の間違いは変わってませんが(笑)地図だけはもっとしっかりして欲しいですね。 創刊当初の片鱗は「ヨーロッパ編」に少し残っているだけ。そういう意味ではこの掲示版などで創刊当初の精神がいかされるといいですね。 昨年のインド旅行でガイドを持っていかなくて地図探しに苦労したので今回、中国編を持って行きましたがほとんど使いませんでした。10年以上ぶりに「タイ編」がたまたま手に入ったので持ってましたが、以外とよく出来てるなと思いました。 地球の歩き方の創世の頃のお話です。アーカイブで前の書き込みをさかのぼるとおもしろいです。よかったら参考に。 【地球の歩き方創世記】 http://www.c-player.com/ac44150/ ただ私は経験のない人はガイドは読むべきだと思います。ツーリズムが世界に浸透した今は旅行者をとりまく環境も変わってしまいました。小田実氏の「何でも見てやろう」の良き時代は遠くへ行ってしまったのです。
地球の歩き方とロンリープラネット たしかにロンリープラネットは、欧米人のバイブルのようになっていますね。異常です。この本は自分ももっている国とかありますが、しかし内容的に一番面白いのは「JAPAN」かもしれません。このガイドブックは、地域の研究もなかなか突っ込んでありますが(執筆者の興味によって細かい地域と大ざっぱな地域と多少ムラがありますが)、「何が欧米人好みなのか」という研究も徹底的にされているような気がします。実際、ロンリープラネットのせいで、その本で絶賛されている東南アジアの格安宿などは、非常にとりづらい現象さえ引き起こしてしまっています・・・。しかも、「地球の歩き方」は日本人だけですが、「ロンリープラネット」はアメリカ版やイギリス版はもちろん、ヨーロッパのいろんな言語に訳されているほか、日本語版まで出ている始末です。 ロンリープラネットは、地球の歩き方よりもさらに精密で、情報のアップデートも盛んだったりします。だけど、こちらも地球の歩き方が日本人にとってバイブル化していることで起きているのと同じような現象を生み出していますね・・・。ある地域で欧米人のとっている中心部への行き方ルートが、まったくロンリープラネットに書かれている通りだったり(ほかにもっといいルートがあるにもかかわらず)、宿泊や食事の施設への集中度だったり、その影響力には仰天させられることもありました。 そのうち、「歩き方族」とか「ロンプラ族」とかという皮肉めいた言葉が生まれるかもしれません・・・。 この掲示板が、昔の地球の歩き方のような、旅行者の生き生きした情報で成り立っていくようになっていけば、とても意義のあることかと思います。