3月10日 私は昭和20年3月10日の大空襲は25キロ北から真っ赤になった空を見上げていました。 B29から照明弾がいくつも落とされるのも良く見ています。 今日は其の話ではなく、明治38年3月10日の話です。3月10日は日露戦争で最後の奉天(瀋陽)大会戦に日本軍が勝利し以後陸軍記念日となりました。 其の関連で今夜21日午後8時から9時半までCATVヒストリーチャンネルで大映映画の菅原健二主演、建川斥候隊日露戦争秘史を見ました。 これは私も少年倶楽部で読みましたが山中峯太郎の書いた敵中横断300里を映画化したものです。 これは奉天大会戦のために建川中尉(後の駐ソ大使)以下6人の斥候隊を描いたもので、奉天の北、鉄嶺を迂回してロシア軍の動静を探った手に汗握る話です。 斥候でロシア軍が奉天に軍を集中させているのがわかりました。途中1名が戦死しました。 映画化された頃NHK-TVで私の秘密という番組があり、其の番組に生き残り隊員が出演したのを覚えています。 又山中峯太郎氏がTVに出たのも覚えています。 なお山中峯太郎は陸軍を途中で止めて小説家になり、本人も辛亥革命(1912年)で孫文側の革命軍に加わりました。 其の時の実話も本になって(アジアの曙)戦後文芸春秋社から復刻版が出て380円で私も買い今もあります。 私は北京からシベリア鉄道に乗った時に奉天(瀋陽)も通りましたが夜で寝ていたらしく覚えていません。起こされたのは満州里の国境付近です。 日露戦争跡では旅順要塞もツアーで行きましたが大体が年寄りの男性でした。 昭和20年の東京大空襲の日は北西の季節風が強く米軍も其の天候を利用しました。 天気予報は戦時中は勿論なく、戦後まもなく天気予報がラジオで流れて電気もつき平和になったのを実感しました。 TVが始まった昭和28年から30年代初頭頃は未だ日露戦争の経験者が生存していて色々昔の話が聞けました。 私の懐かしのメロディーは戦前戦中の歌ですが、最近の懐かしい歌というと私には新しすぎてわかりません。 私も昔話を伝える歳になってしまいました。昔はTVがありませんでしたから親や近所の人から明治の話も随分聞きました。 3月10日関連で今TVで映画を見たばかりでしたので強引に話を繋げました。 NHKでも其の頃の映像が残っているでしょうから、又懐かしい番組を見たいです。 明治元年生まれの横山大観がストリップが好きだった事、幕末生まれの牧野富太郎博士など今も思い出されます。
東京大空襲のごく一部 コメントありがとうございます。 祖母の兄(故人)は当時、陸軍省へ勤務していた関係かいくら当時のことを訪ねても詳しい事は話してくれませんでした。 祖母の生の話では、人の焼け焦げる臭いは嘔吐へとなり、口にハンカチをあて決して鼻で息はできないそうです。 トイレへ駆け込めば、人が重なって死んでいる。走って逃げる女性の背中に負ぶっている赤ん坊も死んでいる。 熱くて河へ飛び込んだはいいが、水温は熱で煮えたぎっていて皆ユデダコ状態で死んでいる。場所によっては逆に凍死。 「カーチス・ルメイ少将」 自分の中では、この人間は本物の悪魔です。 世代に関係なく憎んでいます。 しかしながら、アメリカは好きです。この件とは関係ありません。そう考えることが今後の国際交流も含めて一番大切である。 ・・・今は、そう思っています。 大統領
カーチス・ルメイ氏 カーチス・ルメイ少将は、戦後も東京大空襲に関しては 一切の取材を断わったそうです。 彼なりに様々な葛藤のあった人生のように思います。 「・・・・・・・・」 戦争。。 二度と起きる事のないことを祈ります。 大統領
敵中横断300里今夜再放送 今夜午後11時よりCATVのヒストリーチャンエルで再放送されます。