アユタヤ行きの車窓から

私がすこし困ったような顔をしていたからでしょうか。

ドンムアン(バンコクの元玄関口ですよね?)をすぎたあたりから2人ともウトウトしはじめて、やっと風景を楽しめるようになりました。

ランシット(?)をすぎたら突然いままでと風景が変わって、おもわず、

(あぁ、これだぁ!こんなのみたかった!)


どこまでもつづく田んぼ、舗装されていない道、角の大きな牛....

でも、いちばん不思議な気持ちになったのは、まわりに何もないようなところにある駅に停まったときです。

だって、音がないんです!

バンコクではつねにいろんな音がきこえていたので気が付かなかったけど、すごく感動してしまいました☆


目の前の2人が眠っているうちに、私はまた車両と車両の間の特等席へうつりましたw
やっぱりここのほうがたのしいなぁ~♪
(あ、書き忘れましたが、こんどはちゃんと切符を切ってもらいましたよ!カチカチさんにw)


階段にすわっていてすごい発見をしました。

ふと横をみると、「日本国有鉄道 昭和○○年」と書いてあるのです!


(そういえば、前にサイトで書いてあったような...)

日本で使われていた列車なんですね~、どうやって運んでくるのかなぁ?
飛行機はムリだとおもうから、やっぱり大きな船で運ぶのかなぁ??


なんてことをかんがえていると、背中をトントンとたたかれたので振り返ると、カチカチさんでした。

「ネクスト、アユタヤー、ネクスト!」

わぁ、おぼえててくれたんだ!親切だなぁ☆


特等席に移ってからの時間はあっとゆうまでした。

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2件のコメント

  • アユタヤ 1

    アユタヤ駅に近づくにつれ、ホテルやおおきな建物が見えてきて

    (やっぱり観光地だけあって小さい町じゃないんだなぁ)

    とおもいました。

    駅のホームにもたくさんの人がいて、

    (ここでこけたらまた笑われる)

    細心の注意で降りましたw


    まわりをよくみると、私と同じ年くらいの日本人がほかにもたくさんいました。
    これだけたくさんいるならイザとゆうとき安心と思いました☆


    ホームに降り立ってすぐに客引き(何の?)の人たちが旅行者と思われる人たちにかたっぱしから声をかけていました。
    中にはカタコトの日本語を話す人もいます。

    「コニチワー」

    「こんにちわ」

    「トゥクトゥク、トゥクトゥク!」

    「まいあお、まいあお」

    他の人たちも、一部をのぞいてほとんどが渡し舟のほうに歩いていきます。

    そういえば、私は列車の中でも景色にみとれていてガイドブックを一度も広げませんでした。

    日本にいるときから穴があくほど毎日みていたせいか、駅からの道順も

    「あ、これだ」

    くらいにしか思いませんでした。

    客引きの人たちも、ガイドブックをひろげて立ち止まっている旅行者にむらがっているようにみえました。

    そのことに気が付いたとき、すこしだけ自由になったとゆうか、羽がはえたような気分になれました☆

    渡し舟へとつづく道には屋台で焼き鳥を焼くいいにおいと、ちょっと臭いタイ独特の(?)においがしました。

    レンタサイクルや、日本語で書かれた看板のあるゲストハウスもあって、そこにいた中国人ぽいおじさんは、

    「コニチワー、ゴハンタベルー?」

    と、日本語で声をかけてきました。


    船着場には日本語で書かれた看板もあって、かんたんに乗ることができました。1人3バーツ。

    ボートがくるのを待っていると、目の前にアユタヤYHの看板がさがっていました。

    (あ、これだぁ!)

    他にもガイドブックにのっていて見覚えのある宿がずらり♪

    (よかったぁ♪アユタヤわかりやすいなぁ☆)


    ボートが近づいてくるあいだに、船着場はいつのまにか日本人旅行者でいっぱいになっていました。

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    アユタヤ 2 渡し舟

    びっくりしたのは、そんなに大きくないパサック川をタンカーみたいな船が航行していたことです。

    「BANGKOK」と書いてあったとゆうことは、この川はバンコクへとつながっているのかなぁ...あれ?あたりまえかw

    おかげで10分くらい船着場で待ってました。


    その間、日本人の男の子ばかりになったなかで、女の子は私とタイ人の学生さん(?)だけ。

    (うわぁ~、こっちの人ってスタイルいいなぁ~、それにすごいスリット入ってるし!髪の毛もサラサラですごくきれい)


    見とれていると、さっきの列車で前にすわっていた2人がまた声をかけてきました。
    ちょっと苦手です。


    「あ、さっき途中からいなかったから心配してたんだよー。間違って降りちゃったかと思って」

    「あぁ~、いえ、トイレに行ってたんで...」

    「あーそっかー、ゲストハウス、どこか決めてんの?」

    まわりの人たちもじっとコッチを見ています。

    「あぁ~、ゲストハウスじゃなくてYHに行こうと思ってるんで...」

    えっ!?とした顔になって、

    「ユース?!○○行かないの?」

    (○○ってたしか、日本人がオーナーのきれいなとこじゃなかったっけ?そこに泊るのがあたりまえみたいになってるのかなぁ...)

    カオサンに続いてこんどはアユタヤの宿までしらないの?とゆうような言い方で、それにまわりにいた男の子たちからも、「YH?マジ?」と小声でいっているのがきこえて、恥ずかしくて自分でも顔が真っ赤になっていくのがわかりました泣

    「あ、○○行くんすかぁ?僕らもなんすけど場所わかりますぅ?」

    そばにいた他の男の子たちも同じところだったらしく、私はすっかりハミゴになっていました。

    「それもやっぱりネットですすめられたの?」

    笑われながら言われて返事さえできませんでした。


    やっと着いたボートの一番奥にすわると、

    「あーゆーアホたちの言うことなんか気にしたらアカンで」

    突然話しかけられた関西弁と、タイ人とおもってたとなりの男の人が日本人だったことにびっくりしました!

  • 日本国有鉄道の銘版

    タイ国鉄の客車はJR(旧国鉄)のものがたくさんあります。
    販売ではなく、JRが古い車両を譲渡するケースが多いと聞きます。
    新しいものは韓国・DAEWOO(大宇)製や英国製もあるようです。

    あなたが見た車両端の「日本国有鉄道 昭和○○年」というプレートは
    「銘版」といって、製造工場も標記してあったはずです。
    改造した車両には、もう1枚「○○工場 昭和○○年改造」という
    銘版もついています。

    1月にタイ国鉄機関助士の友人と、ファランポーン駅に停車中の
    列車の銘版を見ながら話をしていて、
    「日本ではマニアの間で1万円を超える取引もあるよ」といったら、
    「二人で取り外して山分けしよう」(もちろん冗談です)と笑ってました。
    でも将来、タイ国鉄の銘版泥棒が現実のものとならないよう、
    祈るばかりです。

    車両の輸送は、当然飛行機ではなく船で運びます。
    台湾新幹線の車両も、何回かに分けて日本から船で運ばれ、
    スワンナプーム空港からバンコクへの空港連絡鉄道の
    ドイツ・シーメンス社製の車両も船で到着したと、
    1月下旬発行のタイ国鉄機関誌に掲載されていました。

    日本のJR在来線のゲージ(レールの内のり)は1067mmなので、
    タイの1000mm(メートルゲージ)幅の車輪への交換(改造?)は
    タイ到着後に行っているのではないかと思われます。

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    67mmの差


    タイ国コク鉄さんおはようございます。

    のんたんの視点が私の視点と合い・・・

    フイリッピンで乗ったフエリーもほとんど日本製で・・・

    銘版と音のない世界と共に前に座った乗客への観察眼、将来の旅好きの

    片鱗が見え隠れ。

    のんたん、この場への投稿、全部PCのどこかに保存してるだろうね。

    15日見落としていて、遅くなりごめんね、花粉症はどうなったかな。

    ばんこく9?待ってマース。

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