ホアランポーンからアユタヤへ ホアランポーンは少し古いようでいて、でもそれがすごく歴史をかんじさせる素敵な駅でした☆ 駅の中には、教えていただいたとうりおいしそうなお菓子屋さんやドーナツ屋さん、コンビニ、フードコートもありました。 インフォメーションで次のアユタヤ行きの時間をたずねると、2時過ぎの列車がもうすぐ出るよといわれ、おやつはあきらめることにしました泣 窓口で買ったチケットは15バーツ。 教えてはもらっていたけどこんなに安いんだぁ! こんどはこけないように、しっかり足元に注意して列車に乗って、陽のあたらない方の席にすわりましたv それから、教えてもらったようにアユタヤに着いたらわかるように、まんなかあたりの車両にしましたv (今からだとアユタヤに着くのが4時かぁ。YH予約してないけどあいてるかなぁ) すこし不安になっていると、ガタン!と音がしてゆっくりと列車が動き始めました。 列車は混んでいましたが、私の向かい側の席には誰も座ろうとしませんでした。 何でかなぁとおもっていたら、シートがこわれてたんですw 何度もタイ人がすわろうとしては何か言って別の席をさがしにいきます。 そのうち、日本人らしき男の子2人組が席の前で止まりました。 「日本人ですか?」 と言われ、 「はい」 と言うと、 「わぁ、よかった~!ここ、空いてます?」 「はい、でも、こわれてるみたいですよ」 それでもいいと斜めにグラついているシートに足をふんばってすわると、 「一人で来たんですか?スゲェなぁ!俺達2人で来て2日間カオサンに泊ってきて、今日アユタヤに泊るんすよ~。アユタヤいくんすかぁ?ゲストハウスどこに泊るんすかぁ?カオサンはどこに泊ってたんすかぁ?」 言葉の洪水でしたw 機内で会った人もそうだったけど、やっぱりカオサンロードとゆう街は有名でみんなが泊るんですね。 やっぱりカオサンに泊ったほうがよかったのかなぁ... 私がタイに来るまでの経緯を話すと、思いっきり笑われてしまいました泣 「初めてにしてもそこまでビビんなくても大丈夫じゃねぇ?あ、でも、九州からだし、女一人だからソノ人達からからかわれたんじゃねぇの~?だってツアーで来るとこじゃないっしょ、タイって。多分、オッサンが団体で来て女買う時だけホテルに泊るんじゃねぇ?」 ショックでした。 なんにも分からないからEAVOおじいちゃまにご心配いただいて、ツアーに変更して、みなさまから安心してもらったのに、これで2回目です。 話の経緯を話しているうちに、アドバイスをいただいたみなさまに対しても否定的だった2人にだんだん嫌になってきました。 でも、2人が初タイだとゆうことだけが私の自身にもなりましたw だって、私にはみんながついていてくれるからv 後でこの二人と同じゲストハウスに泊るとは夢にも思いませんでした。
アユタヤ行きの車窓から 私がすこし困ったような顔をしていたからでしょうか。 ドンムアン(バンコクの元玄関口ですよね?)をすぎたあたりから2人ともウトウトしはじめて、やっと風景を楽しめるようになりました。 ランシット(?)をすぎたら突然いままでと風景が変わって、おもわず、 (あぁ、これだぁ!こんなのみたかった!) どこまでもつづく田んぼ、舗装されていない道、角の大きな牛.... でも、いちばん不思議な気持ちになったのは、まわりに何もないようなところにある駅に停まったときです。 だって、音がないんです! バンコクではつねにいろんな音がきこえていたので気が付かなかったけど、すごく感動してしまいました☆ 目の前の2人が眠っているうちに、私はまた車両と車両の間の特等席へうつりましたw やっぱりここのほうがたのしいなぁ~♪ (あ、書き忘れましたが、こんどはちゃんと切符を切ってもらいましたよ!カチカチさんにw) 階段にすわっていてすごい発見をしました。 ふと横をみると、「日本国有鉄道 昭和○○年」と書いてあるのです! (そういえば、前にサイトで書いてあったような...) 日本で使われていた列車なんですね~、どうやって運んでくるのかなぁ? 飛行機はムリだとおもうから、やっぱり大きな船で運ぶのかなぁ?? なんてことをかんがえていると、背中をトントンとたたかれたので振り返ると、カチカチさんでした。 「ネクスト、アユタヤー、ネクスト!」 わぁ、おぼえててくれたんだ!親切だなぁ☆ 特等席に移ってからの時間はあっとゆうまでした。
日本国有鉄道の銘版 タイ国鉄の客車はJR(旧国鉄)のものがたくさんあります。 販売ではなく、JRが古い車両を譲渡するケースが多いと聞きます。 新しいものは韓国・DAEWOO(大宇)製や英国製もあるようです。 あなたが見た車両端の「日本国有鉄道 昭和○○年」というプレートは 「銘版」といって、製造工場も標記してあったはずです。 改造した車両には、もう1枚「○○工場 昭和○○年改造」という 銘版もついています。 1月にタイ国鉄機関助士の友人と、ファランポーン駅に停車中の 列車の銘版を見ながら話をしていて、 「日本ではマニアの間で1万円を超える取引もあるよ」といったら、 「二人で取り外して山分けしよう」(もちろん冗談です)と笑ってました。 でも将来、タイ国鉄の銘版泥棒が現実のものとならないよう、 祈るばかりです。 車両の輸送は、当然飛行機ではなく船で運びます。 台湾新幹線の車両も、何回かに分けて日本から船で運ばれ、 スワンナプーム空港からバンコクへの空港連絡鉄道の ドイツ・シーメンス社製の車両も船で到着したと、 1月下旬発行のタイ国鉄機関誌に掲載されていました。 日本のJR在来線のゲージ(レールの内のり)は1067mmなので、 タイの1000mm(メートルゲージ)幅の車輪への交換(改造?)は タイ到着後に行っているのではないかと思われます。
アユタヤ 1 アユタヤ駅に近づくにつれ、ホテルやおおきな建物が見えてきて (やっぱり観光地だけあって小さい町じゃないんだなぁ) とおもいました。 駅のホームにもたくさんの人がいて、 (ここでこけたらまた笑われる) 細心の注意で降りましたw まわりをよくみると、私と同じ年くらいの日本人がほかにもたくさんいました。 これだけたくさんいるならイザとゆうとき安心と思いました☆ ホームに降り立ってすぐに客引き(何の?)の人たちが旅行者と思われる人たちにかたっぱしから声をかけていました。 中にはカタコトの日本語を話す人もいます。 「コニチワー」 「こんにちわ」 「トゥクトゥク、トゥクトゥク!」 「まいあお、まいあお」 他の人たちも、一部をのぞいてほとんどが渡し舟のほうに歩いていきます。 そういえば、私は列車の中でも景色にみとれていてガイドブックを一度も広げませんでした。 日本にいるときから穴があくほど毎日みていたせいか、駅からの道順も 「あ、これだ」 くらいにしか思いませんでした。 客引きの人たちも、ガイドブックをひろげて立ち止まっている旅行者にむらがっているようにみえました。 そのことに気が付いたとき、すこしだけ自由になったとゆうか、羽がはえたような気分になれました☆ 渡し舟へとつづく道には屋台で焼き鳥を焼くいいにおいと、ちょっと臭いタイ独特の(?)においがしました。 レンタサイクルや、日本語で書かれた看板のあるゲストハウスもあって、そこにいた中国人ぽいおじさんは、 「コニチワー、ゴハンタベルー?」 と、日本語で声をかけてきました。 船着場には日本語で書かれた看板もあって、かんたんに乗ることができました。1人3バーツ。 ボートがくるのを待っていると、目の前にアユタヤYHの看板がさがっていました。 (あ、これだぁ!) 他にもガイドブックにのっていて見覚えのある宿がずらり♪ (よかったぁ♪アユタヤわかりやすいなぁ☆) ボートが近づいてくるあいだに、船着場はいつのまにか日本人旅行者でいっぱいになっていました。
つづきを待ってます。 すごくおもしろい。 のんたん続きがはやく読みたいです。 SAT