Re: チェンラは「360」と、番地で呼んでましたね(笑) みど先生、どーも! >僕は「Lonely Planet」を持って行ったので、 >それに、「ボートは陸から銃撃を受ける」とあったんじゃなかったかな。 それは知りませんでした。知らぬが仏ですね(笑)。ちなみにガイドブックも持っていかなかったですよ。日本語のカンボジアガイドなんてない時代でしたからね。その頃はホントに何にも考えずに行動していた時期です。ただ、アンコールが見たいだけで行きました。バンコクからのプノンペン行きカンプチアエアの中で日本人旅行者を発見し、キャピトルに一緒に行きました。そこで情報を収集し、シェムリアップへ。シェムリアップの宿につくとそこにはすでに詳細なアンコールの日本語の説明入りの地図がありました。これには驚きましたね。 >遺跡としては昔の方がよかったですよ。 >いまはとにかく人が多すぎますからね。 同感です。観光地になる前の観光地がいいですね。
一ノ瀬泰造を知っていて、アンコールワットを見ると、また違うんですよ。 もうほとんどの人は知らないでしょうが、 一ノ瀬 泰造 の「地雷を踏んだらサヨウナラ」 を読んでいると違うでしょうね。 ポルポト時代のアンコールワットに入りたくて、1人で歩いていった。 それを感じていると、アンコールワットに足を踏み入れることが、 ただの観光ではないと思えます。 僕は一ノ瀬泰造を読んで、それが理由で行ったわけではありません。 ただ、それだけの重みがあると感じていました。 なにしろ、アンコールワットの周辺には、戦車がいましたし。 1993年には、なにしろ、 国連ボランティアの中田厚氏、また警察官も殺害されていました。 そういう意味では、1994年に個人旅行でシェムリアップへ行ったのは、ちょっと危なかったかもしれませんね(笑)。 だからこそ、想い出に残るわけでしてね。 今の若者のように、シェムリアップのバイタク運転手と友達になる(付き合う)のが目的みたいな、そんなことでは、アンコールワットのすごさは、わかりません。 みどりのくつした
Re: 一ノ瀬泰造を知っていて、アンコールワットを見る みど先生、どーも! 一ノ瀬 泰造と言う名前はそのときにいった、カンボジア、ベトナムで初めて耳にしました。戦争カメラマンの方ですね。実はそのとき興味があって調べてびっくりしたのですが、お互いの田舎が隣町でした。地元の図書館には資料とかもあるようでいつか行こうと思っていたのでが、未だに果たせてません。 >1994年に個人旅行でシェムリアップへ行ったのは、ちょっと危なかったかもしれませんね(笑)。 >だからこそ、想い出に残るわけでしてね。 それはありますね。ただ自分でも何でその危ない時期に行こうとしたのか理由は思い出せませんが、そのときの思い出は自分の中で美化されています(笑) 安全にいけるようになって、良かったとは思いますが・・・ Wikipediaで一ノ瀬泰造を引いてみたら、 現在、現地には村人が遺族の許可なしに勝手に建てた「墓」があり、旅行者から拝観料を巻き上げたり、エイチ・アイ・エスの日本語ガイドが一ノ瀬の写真を模写した絵をTシャツにして販売しているが、これらはもちろん非公認である。 こういう事が、Wikipediaに載るとはよっぽどなんでしょうね。エイチ・アイ・エスも落ちたものです。以前はこの「墓」はなかったですね。ここは一ノ瀬泰造が処刑されたところだそうで、行ってみたくもなったのですが、これじゃあねえ・・・