チェンラは「360」と、番地で呼んでましたね(笑)。 いなかっぺさん、どーも。 >>そのときはまだポト派が時々でる湖を船で行くと10ドル、飛行機で行くと50ドル、さああなたはどっちにする?という時期でした。まだ学生だったので勿論安い船で行きましたが、結局海賊はでませんでしたけどね。 僕は「Lonely Planet」を持って行ったので、 それに、「ボートは陸から銃撃を受ける」とあったんじゃなかったかな。 時間もなかったので、 プノンペンからシェムリアップへは、 往復飛行機で行きました。 カンプチアエアで往復90ドルでした。 あのころはチェンラも平屋建てで、 番地の「360」と呼んでましたね。 それから、みぽりんの話ですね。 http://tabi.yumenogotoshi.com/kakeashi/kake19.htm >>その時、「中山美穂を見て来ましたよ、西本さん」と声がした。 >>見ると、バンダナ君だ。 この話は、プノンペンでベトナムのビザを取るところまで書いて、 放ってあります。 タイ・カンボジア・ベトナム駆け足旅行記(1994) http://tabi.yumenogotoshi.com/kakeashi/kakelist.htm いつかは1994年のシェムリアップについても書かなければならないと思ってるんですけどねー。 遺跡としては昔の方がよかったですよ。 いまはとにかく人が多すぎますからね。 みどりのくつした
Re: チェンラは「360」と、番地で呼んでましたね(笑) みど先生、どーも! >僕は「Lonely Planet」を持って行ったので、 >それに、「ボートは陸から銃撃を受ける」とあったんじゃなかったかな。 それは知りませんでした。知らぬが仏ですね(笑)。ちなみにガイドブックも持っていかなかったですよ。日本語のカンボジアガイドなんてない時代でしたからね。その頃はホントに何にも考えずに行動していた時期です。ただ、アンコールが見たいだけで行きました。バンコクからのプノンペン行きカンプチアエアの中で日本人旅行者を発見し、キャピトルに一緒に行きました。そこで情報を収集し、シェムリアップへ。シェムリアップの宿につくとそこにはすでに詳細なアンコールの日本語の説明入りの地図がありました。これには驚きましたね。 >遺跡としては昔の方がよかったですよ。 >いまはとにかく人が多すぎますからね。 同感です。観光地になる前の観光地がいいですね。
一ノ瀬泰造を知っていて、アンコールワットを見ると、また違うんですよ。 もうほとんどの人は知らないでしょうが、 一ノ瀬 泰造 の「地雷を踏んだらサヨウナラ」 を読んでいると違うでしょうね。 ポルポト時代のアンコールワットに入りたくて、1人で歩いていった。 それを感じていると、アンコールワットに足を踏み入れることが、 ただの観光ではないと思えます。 僕は一ノ瀬泰造を読んで、それが理由で行ったわけではありません。 ただ、それだけの重みがあると感じていました。 なにしろ、アンコールワットの周辺には、戦車がいましたし。 1993年には、なにしろ、 国連ボランティアの中田厚氏、また警察官も殺害されていました。 そういう意味では、1994年に個人旅行でシェムリアップへ行ったのは、ちょっと危なかったかもしれませんね(笑)。 だからこそ、想い出に残るわけでしてね。 今の若者のように、シェムリアップのバイタク運転手と友達になる(付き合う)のが目的みたいな、そんなことでは、アンコールワットのすごさは、わかりません。 みどりのくつした